誤算

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 高千穂宮(たかちほのみや)執務室の中央には、会合時に使われる円形の(たく)が置かれている。  円卓に座るは邇邇芸命(ニニギノミコト)のみで、四神は立っていた。  思金神(オモイカネノカミ)天児屋命(アメノコヤネノミコト)布刀玉命(フトタマノミコト)天宇受売命(アマノウズメノミコト)が顔を揃えていた。  一様に深刻な面持ちである。  天宇受売命(アマノウズメノミコト)から注進を受けた思金は、言霊(ことだま)を操る天児屋命(アメノコヤネノミコト)を伴い、石長比売(イワナガヒメ)が実家に出戻る前に、連れ戻さねばならぬと追った。  時すでに遅し。間に合わなかった。  屋敷にて石長比売から事の次第を聞くなり、大山津見神(オオヤマツミノカミ)は激怒した。  やがて、(あわ)てふためき駆け付けた(あま)つ神を見る目は、怒りから哀れみへと徐々に変わった。  大山津見神は二人の娘を嫁がせる際、誓約(うけい)をした。 「こうであれば、こうなる」 「こうでなければ、こうならない」  神々は大切な場面で誓約(うけい)をする。  かつて、須佐之男命(スサノオノミコト)天照大御神(アマテラスオオミカミ)に対して、身の潔白を証明するために誓約(うけい)をした。  「我が身が潔白であれば、女神が産まれる」  須佐之男命の十挙剣(とつかのつるぎ)からは、三女神が産まれた。  また、高天原(たかまのはら)高御産巣日神(タカミムスビノカミ)は、裏切りを見極めるために誓約(うけい)をした。  「天若日子(アメノワカヒコ)が裏切者であるなら、射殺せ」  天から投げ落した矢は、使者として出雲神殿に滞在中の天若日子(アメノワカヒコ)の胸を貫いた。  大山津見神(オオヤマツミノカミ)もまた、誓約(うけい)をしたのだ。 「木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)(ちぎ)らば、華々しい栄光が約束される。石長比売(イワナガヒメ)と契らば、地上に置いての永遠の命が約束される」  この誓約(うけい)は、天つ神も承知していた。  双方にとって利のあるだった。   「二神を妻に持つことで、地上における華々しい栄光と永遠の命が約束された」と天つ神らは喜んだ。  片や、天孫に我が娘を嫁がせる大山津見神(オオヤマツミノカミ)は、大いに神の格を上げ、地位は確たるものとなる。  よもや、邇邇芸命が石長比売と契らずに、実家へ戻してしまうなど、誰が想像したであろう。  悔やまれるのは、邇邇芸命にあらかじめ知らせていなかったことだ。  大山津見神が、それを望まなかった。  誓約(うけい)は、取り消すことが出来ぬ。  (わら)にも(すが)る思いで、言霊(ことだま)を操る天児屋命(アメノコヤネノミコト)を伴ったが、無駄であった。    誓約(うけい)により、邇邇芸命及び随行八神は、地上での華々しい栄光は約束されたが、命には限りがあると運命づけられた。 「八咫鏡(やたのかがみ)を通じて、天照大御神に助けを乞うては、どうであろう」と、邇邇芸命が言った。 「天照大御神と言えども、無理でございます」と思金が首を振った。  本人でさえ取り消せぬのが、神々の誓約(うけい)だ。  しかも、今回の誓約(うけい)は天つ神が立ち合う中で行われた。 (父であれば、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)であれば、このような失態は演じなかったであろう)  随行員に加わると言った父を、押し留めたことを、思金は悔いた。  誰もが意気消沈していた。  突如、パンパンパンと威勢よく手を打つ音が響いた。  天宇受売命(アマノウズメノミコト)だった。 「潔く、受け入れましょう。それぞれが子を作り、華々しい栄光を引き継げば良いのです。さぁ、子作りしましょう!」  男神は互いに顔を見合わせた。  言霊を操る天児屋命(アメノコヤネノミコト)が、声高らかに宣言した。 「天照大御神の栄光は、子々孫々に渡り受け継がれよう!」  邇邇芸命と随行した神々は、未来を見据えた。  天より降った天つ神は、子孫に地上における使命を託すと誓い合った。  部屋には、吹っ切れた天つ神らの笑い声が響いた。    (のち)に、邇邇芸命は天照大御神より下賜された三種の神器は、統治者となる子孫が受け継ぐと定めた。  天照大御神の志を受け継ぎ、地上に平和と繁栄をもたらす使命を帯びると自覚させるために。  思金神(オモイカネノカミ)の子孫は、有力氏族である物部氏・大伴氏となり、(まつりごと)を助けた。  天児屋命(アメノコヤネノミコト)の子孫は、中臣氏及び藤原氏として天皇をささえた。  布刀玉命(フトタマノミコト)の子孫は、祭祀を担う斎部(インベ)氏族となった。  天宇受売命(アマノウズメノミコト)の子孫は、猿女君(さるめのきみ)として朝廷の祭祀にかかわった。子孫の一人である稗田阿礼(ヒエダノアレイ)は『古事記』編纂に関わり、伝え聞く神々の世を後世に伝えた。
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