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山幸彦は山の狩猟を好んでいたが、兄の海幸彦が持ち帰る大魚を見て、興味を持った。
互いの趣味を試すもよかろうと、道具の交換を持ちかけたが、海幸彦は難色を示した。
何度目かの交渉の際に、たまたま姿を見せた母神・木花之佐久夜毘売が「揉め事ですか」と声を掛けるや、海幸彦は渋々ながらも、釣り具を山幸彦に差し出し、山幸彦からは弓と槍を受け取った。
山幸彦は糸を垂れども、魚は一向に釣れず仕舞いだった。
(釣りは向かぬようだ)と諦めた時に、真綿に包まれた赤珊瑚の釣り針に気付いた。
物は試しと、赤珊瑚の釣り針を装着した糸を垂れた。
程なく、大きな魚が食い付いた。
慌てて、勢いよく釣り竿を持ち上げたが誤りだったか、糸が切れた。
釣り針の紛失を知った海幸彦は烈火のごとく怒り、山幸彦を罵った。
山幸彦は、個々の天つ神に与えられる十拳剣を潰し、鋼の全てを釣り針に作り替えて、海幸彦に差し出し、詫びた。
海幸彦は「赤珊瑚細工の釣り針を返せ」の一点張りで、代わりの針に見向きもせぬ。
山幸彦は一気に話すと、深いため息とともに言った。
「ワレは途方に暮れながら、連日探しておる次第です」
木花之佐久夜毘売の面立ちに似た御子の、悲し気な表情に、いたたまれなくなった塩椎は、袂を探った。
「気を落とされますな。力になれますぞ」
「誠でございますか」と、すがる様に顔を上げた山幸彦を見て、新たな考えが頭をよぎった。
探り当てて握った赤珊瑚細工の釣り針を、山幸彦に見せることなく袂に戻した。
(このまま、山幸彦を綿津見宮へ送ればよい)
すぐさま、塩椎は借り住まいから、竹で編んだ小舟を運び出した。
「海に漕ぎ出せば、この舟は御子を必ずや綿津見宮へ導く。そこで海神・綿津見神に相談なされよ。力になってくれましょうぞ」
八方塞がりだった山幸彦は、藁にも縋る思いだったのだろう。戸惑いながらも、塩椎の案を受け入れた。
「ここに座るだけでよろしいか」
「その通りでございます。ささ、日の暮れぬうちにお急ぎなされ」
考え直す猶予を与えず、塩椎は山幸彦が乗った小舟を、波間に押し出した。
小舟に揺られながら、不安そうに振り返った山幸彦に、塩椎は笑顔で手を振った。
「大舟に乗ったつもりで、おられよ!」
次第に小さくなる山幸彦の姿に、塩椎は「肩の荷が下りた」と笑みを浮かべた。
(小舟に大舟。さても、面白き例えであるまいか)
時折思い出し笑いをしながら、世話になった仮の住まいを、塩椎は片付けた。
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