豊玉毘売の憂い

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豊玉毘売の憂い

 伊邪那岐命(イザナギノミコト)伊邪那美命(イザナミノミコト)は天浮橋に立ち、下界に広がる混沌とした海に天沼矛(あめのぬぼこ)降ろし、掻き混ぜた。  引き上げた(ほこ)からしたたる潮で、最初の島を造った。  その島に降り立った伊邪那岐と伊邪那美は、次々と国を産んだ。  国を造った後は、次々と神を産んだ。  それぞれ、と呼ぶ。  造りたての不安定な国土を整えるべく、自然神を産んだ。  河口の神・風の神・木の神・山の神・野の神・・・・・・。    かくして、海神・綿津見神(ワタツミノカミ)は誕生した。  海を整え安定させるために、綿津見は神力を使って、別の姿を用意した。    海中では、行動が(すみ)やかであるよう、姿を変えたのだ。  ・・・・・・竜神。  綿津見神(ワタツミノカミ)は、竜の姿となり海原を見回った。  海底の綿津見宮(わたつみのみや)が、畏敬(いけい)を込めてと呼ばれる由縁(ゆえん)である。  これに習い、海つ神らも姿を使い分けた。  海つ神らの泳ぐ姿は、現代風に言えば、(くじら)やイルカだ。  下半身のみを尾びれに変えて泳ぐ女神は、人魚であろうか。  海底にあっても、綿津見宮(ワタツノミヤ)は地上の環境を保ち、維持された。  宮全体を、透明な(まく)(おお)って海水の侵入を防ぎ、地上と同じ空間を確保した。  伊邪那岐・伊邪那美から生まれし自然神、綿津見神のこだわりである。    使える従者や侍女に、海中で過ごす時間が確保されていたのは、海で産まれし者への配慮であった。  海つ神にとって泳ぐことは、(まぎ)れもなく生活の一部だ。  ちなみに、豊玉毘売(トヨタマビメ)に仕える侍女・カツ江の泳ぐ姿は、現代風に言えば、(かつお)だ。  豊玉毘売(トヨタマビメ)も泳ぐことが好きだった。  泳ぐ姿は、八尋(やひろ)大和鰐(おおわに)。  (ひろ)は長さの単位で、一尋は約1.5メートルと考えてよい。  現代風に言うならば、大きなサメである。  (はがね)色の大きな体を輝かせ、悠々と泳ぐ姿は、さながら海の麗人(れいじん)だ。  いかにも堂々として誇り高く、気品に満ちていた。  多くの海つ神の憧れであった。    天つ神・邇邇芸命(ニニギノミコト)の御子・山幸彦(ヤマサチヒコ)こと火遠理命(ホオリノミコト)は、綿津見宮を訪れた当初、しばしば回廊から天井を見上げたものだ。  頭上の膜を通して広がる海中が、珍しかったようだ。    当時、山幸彦の様子を微笑ましく思った豊玉毘売(トヨタマビメ)は、宮の(はず)れに案内したことがあった。  見上げずとも、膜越しに海中が見れる場所だ。 「おぉ、素晴らしい眺めだ。良い場所に連れ来てもらえた」  夢中になる山幸彦の隣で、豊玉も共に海中を眺めた。  豊玉が小さく手招きすると、離れて泳ぐ色とりどりの魚が集まってきた。  山幸彦は大いに喜び、「縞模様の柄が美しい」だの「赤も良いが、あの魚の青色はとても上品だ」と、はしゃいだ。  その折、一尋(ひとひろ)のサメが豊玉に気付き、挨拶に向かってきた。  (はがね)色の体で突進し、膜にぶつからぬよう、間際でくるりと向きを変えた。  その行動を何度か繰り返したは、喜びの表現だった。  豊玉はサメに微笑みかけた。  ところが、並んで見ていた山幸彦は驚いて、後ずさりした。 「なんと、無礼な・・・・・・。大きな図体(ずうたい)をしおって」と言った。  豊玉は二度瞬きをしてから、「大きな魚は、お嫌いですか」と問うた。  先ほどのサメは、豊玉の泳ぐ姿である八尋(やひろ)大和鰐(おおわに)に比べれば、随分と小ぶりだ。 「・・・・・・。嫌いとまでは言わぬが、色鮮(いろあざ)やかで、小さい魚は見るに美しいではないか。豊玉毘売もそう思わぬか?」  豊玉の仮の姿を知らぬ山幸彦に、悪気があろうはずもない。  だが、豊玉には答える言葉が見つからなかった。
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