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落ち着き先は、高千穂と決まっていた。
高天原の天岩屋や周辺と、よく似た場所があったからだ。
猿田彦命は、「良い地でございます」と言い、雲で視界が悪い道のりを迷うことなく先導した。
猿田彦の隣には、天宇受売命が並び歩いた。念のための用心であろう。
(服従を誓った後の猿田彦は、多少和らいだ表情になってはいるが、やはり恐ろしい顔をしている。並び歩く天宇受売が、あまりに気の毒)
邇邇芸命は心の中で舌打ちし、二人をチラチラと盗み見ていた。
猿田彦が恐ろしい顔を振り向かせた。
邇邇芸命は、ギョっとして立ち止まった。
「高千穂の峰でござる」
雲間を縫って高千穂の峰に降り立つと、視界が開けた。
爽やかな風が、邇邇芸命の頬を撫でる。
下方に広がる木々の先には、海原が望めた。水面は陽の光を反射して煌めいていた。海原の向こうには、韓の国がぼんやりと見えた。
「素晴らしい地だ。海から朝日が差し込むであろうし、波間に沈む夕日もさぞ美しかろう」
邇邇芸命は、この地を大いに気に入った。
高天原から命を受けた地上の国つ神らの手によって、邇邇芸命らの暮らす神殿はすでに用意されていた。
高千穂宮と呼ばれる神殿は、何本もの太くて長い柱が地の底から天に向かって使われた高層の宮であった。
国を譲った後の大国主命が住まう、出雲の造りに似ているらしい。
猿田彦も当然のように、高千穂宮まで同行した。
邇邇芸命にとっては、猿田彦の異様な容貌が耐え難かった。
高天原神殿で、審美眼を磨きながら育った。何事にも美しさを求める性分なのだ。
邪視を受けたことも、猿田彦を好きになれぬ要因となっていた。
だが、それを口にするほど愚かではなかった。
邇邇芸命の小さな我慢に気付いたのは、天宇受売だった。
「若、猿田彦を故郷の伊勢に帰しましょうか?」
邇邇芸命がほっとしたように頷くと、天宇受売は足早に去った。
しばらくすると、思金神が天宇受売を伴って、邇邇芸命の元に現れた。
思金に反対されるのだろうと、邇邇芸命は身構えた。
しかし思金が口にしたのは、意外なことだった。
「猿田彦は天宇受売をたいそう気に入った様子。伊勢に連れて帰りたいと申しております。二人で伊勢に向かわせて、折を見て天宇受売が高千穂へ戻る。この件、お許しいただけますか」
邇邇芸命は天宇受売に気の毒なことをさせてしまうと、躊躇した。
「天宇受売は、恐ろしくないか? 耐え難くないか?」
天宇受売は吹き出しそうな顔をして「恐ろしくはありませぬし、耐え難くもありませぬ」と言い、早口で付け加えた。
「どうやら、ワタクシは猿田彦に邪視されたやもしれませぬ。それも恋の呪い」
思金は舌打ちをすると、「くだらぬことを若に言うな」と天宇受売を叱った。
(どういうことなのだ。よもや、この美しい天宇受売が鼻長男を憎からず思っているというのか?)
高天原神殿を出てから、驚くことが多すぎる。
「天宇受売は猿田彦を、無事に伊勢まで送り届けよ」
邇邇芸命は、天宇受売命に命じた。
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