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 鳥さん、鳥さん、ごめんなさい。  鳥さん、鳥さん、ごめんなさい。  藤木美優は呪文のように繰り返す。額から玉の汗が流れてきて、目に沁みるけど、拭うことは許されない。なぜなら、彼女の両手は灼けた鉄板で塞がれていたから。  ずっしりと重い鉄板の上には、焼き上がった焼き鳥がびっしりと並んでいる。その数三〇本。鉄板は一枚だけでなく、全部で六枚、すなわち一八〇本の焼き鳥が順番待ちに並んでいる。彼女はそのうちの一枚を抱えていた。  ここは、スーパーの惣菜の厨房。  美優が対峙しているのは、魚介類やチキンを焼く調理器(コンベクションオーブン)だ。庫内の温度は二〇〇度、タイマーは五分に設定されている。業務用だからパワーも容量もハンパない。機械だから情け容赦なく焼き鳥を焼き、時間がくれば急かすようにブザーが鳴り響く。必然的に焼き手は煽られる。刷毛にタレをつけると、ネギマやレバー、カワ、正肉などにさくさく塗っていく。今日は朝からずっとこの作業を続けていた。焼き上がった焼き鳥を、アルバイトの子たちが、五本入り、十本入りとトレイに盛り付けていく。  今宵は花火大会である。花火が上がるまでかなり時間があるのだが、気の早い客たちが惣菜売場に殺到し、夏の夜の宴に備えていろんなものを買っていくのだ。オードブル、枝豆、焼きとうもろこし、焼きイカ、そして焼き鳥。とりわけ、焼き鳥の売れ行きは凄い。  先任係長の加瀬加奈子がガラガラ声を張り上げる。 「本日の焼き鳥、二千本です! 藤木美優さん、あんたサ、いつものノロノロペースでやってたら、間に合わないんだからね! しっかり気合いれてやってよ!」 「はあ・・・」 「声が小さいよ! イベントの時ぐらい、大きな声でないの?」  加瀬加奈子はパート従業員の筆頭である。年齢は七十に近いが、全身がエネルギーに満ちてる感じだ。惣菜で働き始めてから四十年の超ベテランである。先任係長とは彼女の正式な役職名ではなく、様々な経験を培ってきた畏怖を賞賛してつけられたニックネームのようなものだった。しかも、店長もチーフも、店の幹部は彼女に一目おいている。業務指示にしても、いちど加瀬加奈子にお伺いをたて、了承してもらうこともしばしばあるほど、彼女の存在は大きかったのである。 「藤木さーん、焼き鳥売れすぎて、売場かっらぽ! 大急ぎで焼いて!」  惣菜社員の副島(そえじま)が厨房に入って来た。顔じゅうに苛々が描いてある。 「あ、はい・・・」  美優は水分補給をしようとしてマイボトルに手を伸ばしかけたとたんだった。 「水なんか後にして、作業優先だよ、藤木さん!」叱咤したのは加瀬加奈子だった。「みんな忙しいんだから、それぐらいわかるでしょ!」  わかりません・・・  美優は出かかった言葉をぐっと飲み込んで、はいと小さく頷いた。  先任係長の加瀬さんを怒らせたら、あとで何を言われるか、分からない。  美優としてはそちらの方が怖かった。何しろ、上司を平気でやり込める実力パートなのだ。  とはいっても、二〇〇度の熱気を五分ごとに浴びているのだ。身体じゅうの水分が絞り出されて、喉がからからに渇いている。たったひと口でいいから、飲みたい・・・恨めしい気分で、美優はマイボトルから目を背けた。  美優は我慢して黙々と新しい焼き鳥を鉄板に並べ始めた。 (あーあ。やっぱし、あたしはこの仕事、向いてないのかなあ)  辛さと悲しさと悔しさがごちゃ混ぜになって、汗だか涙かわからない滴が頬を伝わっていった。    
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