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痛い思いをして、体中の水分を絞り出されて、ようやく一息つけたのは午後二時過ぎだった。
手のひらは爛れて真っ赤に腫れあがっていた。ヒリヒリと痛む。
水道水で冷やしていると、なんでこんな目に遭わなければならないのか、分からなくなった。
生活のためだ。アパート代、スマホ代、食費etc. 自分に言い聞かせる。火傷をしたのは自分の不注意のせいなのだ。ミトンが破れていたのなら、それを上司にもっと早く報告すべきだった。私を守るためのミトンなのに、人から見ればただのミトン。
美優は焼き鳥を落としてしまった理由を、加瀬さんと副島さんに話したのだが、あっけなく一蹴されてしまった。
「どうしてミトンのせいにするの? 意味不明なんだけど。あんたが怪我をしてもね、お客さんには関係ないのよ、お客さんは、焼き鳥が欲しくて店に来るんだからね」
加瀬加奈子は苛立たしそうに言う。
社員の副島も辛辣に同調した。
「三〇本のチャンスロスをどうしてくれるんですか。せっかくの出来たてを台無しにして、ったくもう。ミトンが破れそうなら、早めに言ってもらわないと、困りますよ。こっちだって、毎日毎日、ミトンの状態をチェックしてるわけじゃないから。コンベクションオーブン担当の、あなたの怠慢でしょ」
「はい、すいません」
自己嫌悪に陥るほどの性格の弱さ。泣きたいけど泣けない。ただ、ひたすら謝る。周囲のパートたちが小馬鹿にしたように自分を眺めているのがわかる。
辛くても、この仕事を辞めるわけにはいかない・・・ここを辞めたら、次がないことを知っているから・・・私の性格では、転職活動はもう無理だから。
美優はじっと手を見た。
熱を帯び、じんじんする。
「藤木さん、あんたそれじゃ、午後の仕事できないね! 帰っていいよ」
いつの間にか、隣りの化粧台スペースに加瀬加奈子がいて、美優の手のひらを覗きこんでいた。「生産性も落ちるし、血のついた商品なんか出すわけにはいかないでしょ。チーフに言って、早退させてもらいなよ」
加瀬さんの申し出はありがたいとは思ったが、美優の口から出た言葉は、
「大丈夫です。軍手を二枚重ねてやってみます」
「じゃあ、さっさとやってください」
「あの、お昼食べてからでいいですか。すぐ戻ってきますから」
「あんた、まだ休憩とってないの? ホントに仕事が遅いねえ。早く行って来なよ」
「はい」
美優は急いで社員食堂へ向かった。
☆ ☆ ☆ ☆
束の間の昼食だった。
ピロロロン
冷やしキツネうどんをすすっていると、ポシェットのスマホが震動した。
高校時代のクラスメートからのラインだった。由紀と瑠理香だ。
――月見橋で六時に待ってるよ~――
――夜の花火、楽しみだねえ。あとで、焼き鳥買いにいくからね――
ともだちの笑顔が浮かんで、救われた気がした。ちょっぴりだけ頬が緩んだ。 よし、頑張るか。
返信した。 ――りょうかいで~す――
軽い足取りで厨房に戻ると、社員の副島がコンベクションオーブンの前で焼き鳥を仕込んでいる最中だった。
「あ、藤木さん。あなた、今日は上がってください。加瀬さんから聞いたのだけど、そんな手じゃ無理ですから。帰っていいですよ。役に立たないねえ」
「あの、やりますけど」
「あのねえ、負傷者に仕事させると、パワハラになっちゃうでしょ」
有無を言わせないキツイ口調だった。
「申し訳ありません。では、お先に失礼します・・・」
美優は頭を下げた。
お疲れ様でした。とか、火傷お大事にとか。声をかけてくれる者は誰もいなかった。美優はうなだれ、がっくりと肩を落として厨房を後にした。
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