その贄なり難し

1/3
20人が本棚に入れています
本棚に追加
/70ページ

その贄なり難し

山菱(やまびし)、俺大学を辞めるんだよ、多分」 「やめる? 多分?」  午後の講義が終わり、荷物を片付けていると、秋月(あきづき)左文字(さもんじ)が俺を眺めおろしていた。  こいつは俺と同じ工学科の学生で、それなりに親しかったと思う。そのやたらと背が高くがっしりした体格は、体ではなく頭を鍛えている者が多いここでは結構浮いていた。それで貧乏学生を地で行くような、同じように少々浮いている俺とはなんだかんだ一緒に行動することも多かった。はぐれもの仲間というやつだ。  この東京大学は3年前(明治10年)、お上によって建てられたばかりの官立大学だ。けれども様々な事情で中退する者はそれなりに多い。だから辞めると聞いて、そうか寂しくなるなと思い、よくよくその顔を見上げると、左文字は額に皺を寄せて悩ましげに微笑んでいた。 「本意じゃないのかい?」 「まあ本意と言えば本意だし、決まってたことではあったんだけど」 「煮えきらねぇな」 「まぁ、そうだね。ここに来るまではなんの疑問も持っちゃいなかったんだけどさ。どうもな。俺は富士に飛び込むことになってるんだよ」 「はぁ?」 「とは言っても今の火口は石が転がってるだけみたいなんだけどね」 「話がさっぱり見えねぇ」 「とりあえず富士山にでも登るかい?」  この東京大学で富士山といえば 御住居表御門(赤門)のすぐ脇にある富士権現跡地だ。敷地になっている旧加賀藩邸跡地が国に接収されて校舎が建つよりずっと以前に既に駒込に移築されていて、高さ8メートルほどの小高い丘だけが残っている。  思い起こせばこのわずかな丘は左文字の気に入りで、よくその頂上の大木に背を持たせかけて下々を眺めおろしていた。 「ここの斜面の土には富士の溶岩が撒かれているそうなんだよね」 「そういえばお前は駿府の出か」 「まあな。今は静岡県と名を変えているが」 「その、富士に飛び込むってのはわからねえが、家に戻るのか」 「それもわからない」 「本当にぱっとしねぇな」  左文字の語る話はどこかで聞いたような、どこにでもある民話のような、そのような不確かな話に聞こえた。けれどもそれは他人事ではなく、この左文字に降りかかるものなのだ。  概要はこうである。  左文字の実家は富士の裾野にある村山(富士宮市内)だそうで、その一族は平安時代の僧末代上人(まつだいしょうにん)の末だそうだ。上人が村山浅間(せんげん)神社内に構えた(やしろ)と共に、村山(登山道)を守ってきたらしい。  それで左文字の一族は村山でもさらに外れにある一族なのだそうだが、この一族だけに伝わる奇習がある。33年に一度、若者を生贄に捧げるというものだ。
/70ページ

最初のコメントを投稿しよう!