その贄なり難し

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 生贄と聞いて一瞬ギョッとはしたが、生贄と言っても穏当なものだ。  末代上人が富士山頂に建てた旧大日寺(だいにちじ)に夜半に入って禊を行い、翌未明に火口に降りる。旧というのは少し前の神仏分離によって大日寺はたったの50円で富士山本宮浅間神社に売却され、現在はその奥の宮となっているからだ。  この生贄の儀式は古いらしい。末代上人の生きていた平安時代の火口にはもうもうと蒸気を吹き上げる火口湖があったということだから、まさにそこに飛び込むのは生贄の意味合いであったのだろう。けれども今は火口といっても岩が転がる荒地にすぎない。  だから命の危険はなく、夜が明けて朝日を浴びたたら下山するらしい。 「一応夏に一旦休学してさ。何もなければすぐに戻ってくる予定なんだ」 「今の話に帰ってこれない要素はなさそうだが」 「生贄になった人間は結構な割合で記憶が混濁してるらしくてね」 「記憶が? それは高山病とかそういうやつじゃないのか?」 「高山病? 今更だ。俺らは小さい頃から何度も山頂まで登ってるからな」  小さい頃から登っているなら高山病とは考え難いか。  俺も東北の山近くの出だ。富士の山には未だ登ったことはないが、それでも俺の地元にも比肩するような険しい高山はある。自らの経験を考えると、慣れているなら登っただけで調子を崩すとは思われない。 「それでだな、記憶が無くなれば流石にここの講義についていけない。ドイツ語を忘れたら致命的」 「まあなぁ」  講師の多くは外国人で、確かに語学を忘れれば復学は不可能だろう。けれども語学とか、そんな基礎的なところを忘れるものなのかね。
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