その贄なり難し

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「俺の一族ではね、その生贄というのは名誉なことなんだよ。それで俺は子どもの頃に生贄に内定していてだな」 「断れないのか」 「無理だね。古い土地だから。やらなきゃ俺の家族に迷惑がかかる。それにしても大日寺ももうないのにどうするんだろうね。今は木下さんという若い人が奥宮の神主を務められていて本当に寺じゃないんだが」  御一新で世が明けてしばらく経つが、その文明の光はこの東京を明るく照らしはするものの、未だ光源から遠く離れた地では旧来通りの紙燭や行灯でなんとか闇を打ち払っている。  俺の故郷で同じことがあれば、おそらく断りきれないのだろうな。 「でもまあ、帰ってくるさ。なんていうか万一戻らなければ後味が悪いと思っただけだからな。挨拶もなしにいなくなるんじゃ友達がいもない」  友達か。  左文字は俺のことを友達だと思ってくれてるのだな。そう思うと、先ほどから感じる嫌な予感が余計に気にかかる。  もうこの左文字とは会えないのではないか、という予感が。俺のこういう嫌な予感は大抵当たる。さりとて俺は関わりたくもない。  生贄、因習、友達。  そんなこもごもが頭の中でせめぎ合う中、眼下に1人のいけすかない男を認めた。  文明開化の香り豊かなパリリと糊の効いた白シャツに上品な紺地の羽織袴。その涼やかなすまし顔にはなんの迷いもなさそうで、その軽やかな足取りとともにすらりと門の方に抜けていくところだ。  そもそもここでこいつと会うのは珍しい。なぜなら俺たちが本来通う理学部校舎は神田錦町(かんだにしきまち)にあり、この医学部のある本郷本富士町(ほんごうもとふじちょう)の新しい校舎には実験だとか特別な時にしか来ないのだ。  そうすると、やはりここで会うのは運命なのだろう。  ああ、畜生。ろくでもない予感を増しながら俺は呼びかける。 「おい、鷹一郎(おういちろう)!」  俺の声に振り向いたのは、今は滅びたはずの陰陽師なんていうヤクザな仕事をしている同期生だった。 
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