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物語の跡地
古式ゆかしき朱塗りの立派な門を抜け、本郷通りを南に進み、ゆるやかに東に下ると神田明神につきあたる。その境内をさらに奥に進めば鷹一郎いきつけの茶屋が現れる。その暖簾をヒョイとくぐるのに俺はそろそろ慣れてきたが、左文字は俺の袖を引っ張った。
「おい、ここ、茶屋だろ?」
「奥を借りれるから大丈夫だ」
俺も大人の男が茶屋だなどと、と最初は少々戸惑ったものだがいずれは慣れるものである。
案の定、ここの奥の茶室は喧騒を離れ、さよさよと涼し気な葉擦れの音が心地よい。春を過ぎてそろそろ夏に近づこうという頃合いだ。
しばらく待つと熱いほうじ茶と水無月が運ばれてくる。氷に見立てた三角の白のういろうの上に小豆餡が乗っていて、それなりに食いでがある。目玉につられて腹がくぅと鳴った。
「哲佐君は相変わらず品がないですねぇ」
「うるせぇ。腹が減ってるもんは仕方ねぇだろ」
「それよりそちらの、秋月さん、でしたか。末代上人のご縁の方とはお近づきになれて幸いです」
「はぁ。ご存知なのですか?」
「ええ、勿論。私は神主などもやっておりますので」
「はぁ」
いつもはすましている分、にこにこと語る鷹一郎というのはそれなりに珍しい。
その末代上人という人物によほど興味があるのだろう。だがこいつの興味というのは知的好奇心というよりは即物的な物欲でなりたっているものだから、きっとその末代上人の関連で欲しいものでもあるのだろう。
「その末代上人ってなぁどんな奴なんだ」
「おや、哲佐君はご存知ない? 末代上人は富士信仰の始まりですよ」
「富士信仰?」
「ええ。霊峰富士は昔から修験者が修行を行う場として有名です。末代上人は富士で修行をされた方です」
「修行ねぇ」
「富士のお山の山頂は現し世ではないのです。本地垂迹というのはご存知ですか?」
「知らん」
本地垂迹というのは神仏習合の賜で、神道における八百萬の神々は様々な仏が化身としてこの日の本に現れた姿、つまり権現であると考えるものだ。
富士権現とも呼ばれる浅間神社は富士山を御神体として祀っている。そして末代上人は富士を大日如来の顕現した姿と考え、その頂上に大日寺を建立した。つまり富士の頂きは仏であり 神そのものなのだ。
「よくご存知ですね」
「ええ。ですから秋月さんが捧げられる対象は霊験あらたかな神仏そのものなのです」
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