Episode4 酔芙蓉の吐息

3/8
前へ
/56ページ
次へ
 コスモスの花言葉は色によって様々だ。その可憐な花の名を聞いて誰もが真っ先に思い浮かべるピンク色のコスモスの花言葉は「乙女の純潔」。  乙女という年齢設定がどの辺りを示すかは個人の価値観によるだろう。  白色は「優美」「純潔」……またしても純潔ときた。コスモスは処女が好きらしい。まるで一角獣だ。  赤のコスモスの花言葉は「乙女の愛情」、だから乙女とは何歳を指すのか、莉子は苦笑せずにはいられなかった。  黄色は「自然美」と「幼い恋心」らしいが、実は黄色のコスモスは品種改良で生まれた色だ。  人工的に作られたわりには与えられた花言葉が自然美だなんて、花言葉を考えた人間の意図がわからない。  もうひとつの「幼い恋心」については、恋をするにはまだ精神が幼かったのか、恋にも熟していない淡い想いを意味するのか、解釈が難しい。  花弁を茶色く染めるチョコレートコスモスの花言葉は「恋の思い出」と「移り変わらぬ気持ち」だった。この花言葉は乙女を連呼するコスモスの花言葉で唯一の大人向けに思う。 (恋の思い出と移り変わらぬ気持ち……か。この花言葉が一番大人の恋を連想させるよね)  夏の空気と秋の空気が混ざる晴天の下、莉子の目の前には「乙女の純潔」と「乙女の愛情」の色を宿したコスモスが風に揺れていた。  9月の三連休の中日、見頃にはまだ早いがフラワーパーク内には至るところにコスモスの花園が造られている。  三連休初日の昨日は純の勤務終わりに駅の改札前で待ち合わせた。名古屋駅まで電車で向かって夜は名古屋のシティホテルに一泊。  ホテルの部屋の窓からは綺麗な都会の夜景を堪能できて、この一夜だけでも莉子は大満足だった。  今日の移動には電車とレンタカーを使い、昼前には旅行の目玉であるフラワーパークに到着できた。  手持ち無沙汰にベンチの周りをふらふらと歩き回っていた彼女は、「莉子」と名を呼ばれて振り向いた。ソフトクリームを両手に持った純がこちらに近付いてくる。 「はい、莉子の分」 「ありがとうっ。すっごい、綺麗なピンク色!」  純の片手から莉子の片手に移ったソフトクリームは薄紅色をしたバラのソフトクリーム。ローズウォーターとバラの花びらで作られたフラワーパークの名物スイーツだ。  莉子の赤い舌先が冷たいソフトクリームの表面を撫でた。 「うん、薔薇(バラ)の味!」 「ははっ。そのままの感想だな」 「私に食レポは期待しないでくださーい。純さんのは何味?」 「ロイヤルミルクティーって書いてあった。食べる?」  まだ純が口をつける前に、莉子は純のソフトクリームを口に含んだ。もぐもぐと味を楽しんだ彼女は笑顔で告げる。 「うん、ロイヤルなミルクティー!」 「だから感想そのままだなぁ」 「純さんにもバラのソフトクリームあげるね」  ふたりは笑い合って互いのソフトクリームを少しずつ分けながら、園内を彩る秋の花々を鑑賞する。 「コスモスって莉子に似てるよね」 「え?」 「コスモスは嵐に強いんだ。たおやかで儚そうに見えて、芯は強い。楽しい時間に嫌なことを思い出させて悪いけど、あの荒木さんにキツイ態度を取られても、莉子って平然としてるよね。初めて出会った日から、メンタルが強い子だなと思ったんだ」  繋いだ手から伝わる熱がほのかに強まった。両側をコキアに挟まれた通路を歩くふたりは、中央に女神像がそびえる噴水の前で立ち止まる。 「私、全然メンタル強くないのに……。だけどそんな風に言ってもらえると、なんだか恥ずかしいし照れる」 「莉子、顔が赤いよ」 「純さんもほっぺがちょっと赤い。照れちゃって可愛い!」 「こらこら、オジサンをからかうなよ。……あの花は何だろう? ふわっとしたピンク色の花」  不意に純が莉子の後ろを指さした。噴水の庭園を囲むようにふわふわとした桃色の花を咲かせた樹木が植わっている。  莉子達の地元では見かけない花だ。莉子も純も初めて目にする。  莉子は初対面の謎の花に近付いた。木の高さは莉子の身長よりも少し高いが、ちょうど目線と同じ位置に沢山の花が咲いていた。  側のボードに書かれた説明文を彼女は純にも聞こえるように朗読する。 「名前は酔芙蓉(スイフヨウ)、別名は木芙蓉(モクフヨウ)芙蓉(フヨウ)の仲間で、原産国は中国、台湾。〈花弁は朝は純白、気温が高くなると花弁は徐々にピンク色に変化して夕方から夜には紅色に変わります。同じ花が時間帯によって白、ピンク、赤と移り変わる様子がお酒に酔った姿に似ていることから酔芙蓉と名付けられました〉だって」  花弁が赤く染まるのは花に含まれるアントシアニンの成分が原因でもあると最後の一文に綴られていた。 「気温が25度以上にならないと花弁は赤くならないとも書いてあるよ。お酒飲むと身体が火照っちゃうし、お花も酔っ払っちゃうんだね」 「夜には赤くなるならさっきの莉子みたいに真っ赤な花になるのかな」 「もう! 純さんが恥ずかしいこと言うからでしょぉ?」  咲き乱れる桃色の酔芙蓉の影に隠れて、笑顔の恋人達は誰にも見られないようにひっそり唇を重ねる。  ボードの説明文には酔芙蓉の花言葉も添えられていた。酔芙蓉の花言葉は芙蓉と同じく「しとやかな恋人」。  他にもいくつか芙蓉と酔芙蓉は同じ花言葉を持っている。  けれど酔芙蓉には芙蓉にはない独自の花言葉がひとつある。おそらくフラワーパークの管理者も、ここを訪れる夫婦や恋人達に配慮して説明文にこの花言葉の記載を避けたのだろう。  酔芙蓉だけの花言葉は「心変わり」。  花の色が白からピンクに変化していく姿に由来する。紫陽花の花言葉である「移り気」と似たようなものだ。  莉子も純も心の底から互いを愛しく想っていた。明日も明後日も、この恋を続けられると信じて疑わなかった。  ねぇ、だから、心変わりをしたのは一体どちらだったのかな?
/56ページ

最初のコメントを投稿しよう!

377人が本棚に入れています
本棚に追加