Episode4 酔芙蓉の吐息

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 三連休の旅行から1週間が過ぎたとある平日。在籍する美容専門学校の中庭のベンチで携帯電話を睨みつけていた莉子は、溜息の後に天を仰いだ。 「また祈られた……」 「〈お祈りメール〉来ちゃった?」  隣に座る知咲が項垂(うなだ)れる莉子の肩をポンポンと優しく叩く。  昼休みをめいめい過ごす学生達の中には、教室で履歴書の記入をする者、中庭の片隅で希望先の企業に面接の伺いを立てる電話をかけている者、内定を貰って気楽に過ごす者など、この時期は天国と地獄を味わう学生で溢れている。  莉子は地獄側に属す学生だった。携帯の受信メール覧にはこれまでに送られてきた不採用通知メール、通称〈お祈りメール〉が山積み。  いい加減メールの削除作業をしないといけないと思いつつ、お祈りメールの数の多さに心が折れそうで気が進まない。 「祈るなら内定って言う供え物のひとつもくれよ」 「まぁまぁ、莉子さま。秋の味覚、おいものロールケーキでございますよ。おひとつどうぞ」  知咲が差し出したコンビニスイーツのミニロールケーキをありがたく頂戴した。ロールケーキを咀嚼しながら莉子は憤慨する。 (経験者のみって……じゃあ新人はどうやって経験を積めばいいのよっ!)  ネイルコースに在籍する莉子の希望はネイルサロンへの就職だ。しかし地方の、県庁所在地でもない中規模都市では美容院ほどはネイルサロンの数は多くない。  大手のネイルサロンも個人経営のネイルサロンも、結果は見事に不採用だった。  採用条件は経験者のみで今年度の新人採用なし、採用枠が埋まってしまって電話連絡の時点で断られた店、面接まで受けたが不採用通知が届いた店……。  ここまで就活が上手くいかないと、だんだん自分がこの世界に必要ない人間に思えてくる。お前なんかいらないと、世界から拒絶されている気分だった。 「っていうか、〈ますますのご活躍をお祈りいたします〉って絶対に活躍を祈ってないでしょコレ!」 「向こうもテンプレの文章そのまま送ってるだけだろうしねぇ。ネイルが無理ならエステに鞍替えしちゃえば? エステ業界なら未経験採用枠は沢山あるよ。何せ、店に勤務させてからエステ資格取らせてるサロンがあるくらいだもん」  採用条件に検定資格の一定基準があるネイル業界とは違い、エステ業界は資格がない未経験者でも歓迎される。エステサロンに勤務させながらエステティシャン資格を取得させればいいからだ。 「私らが居残り追試してまで、死にものぐるいでエステ資格取ったのに、資格のないド素人がサロンでエステティシャンですって顔して働いているんだよ。現実ミターって感じ」 「エステはねぇ……。さすがに新人1日目からお客さんを相手にはしないだろうけど、接客してくれた人が資格持ってるか持ってないかって、お客側がわからないところがグレーゾーンだよね」  エステコース在籍の知咲の愚痴はわからなくもない。  美容専門学校生が高い学費を払ってエステティシャンとなる教育を受ける間に、まったくの素人がエステサロンに勤務して賃金を貰いながら資格を取得する。  要するに勉強してから就職するか、就職してから勉強するかの違いなのだが、莉子や知咲を始めとする美容専門学校生からすれば割りに合わない現実であった。  美容系資格のうち、国家資格となるのは美容師と理容師の資格のみ。美容専門学校で取得可能なネイリストとエステティシャンの資格は民間資格であり、採用条件が甘い店なら資格がなくとも勤務できる場合がある。  ちなみにメイクアップアーティストとなって他人の顔に化粧を施すには、美容師免許が必要だ。美容師課程コースを通っていない莉子はメイクアップアーティストにはなれない。 「ネイル以外の職種への方向転換は考えてはいるんだよ。今のマンションの家賃、学校卒業までは親が支払ってくれるけど、卒業すれば自分で払わないといけないじゃない。バイトの給料だけだと家賃や生活のお金まで稼ぐのはちょっと厳しい」 「独り暮らしもフリーターの収入だけでやっていけるほど甘くはないだろうねぇ」 「そうそう。だから地元で正社員の就職先がないなら一旦は親元に帰って来なさいって言われてるんだ」  莉子は表情を曇らせた。仕事の都合で莉子を残して隣接県に移り住んだ母親と義父から下された就活のタイムリミットは来年の2月。  2月までに地元か、ここから通勤可能エリアで正社員の内定を貰えなかった場合は専門学校卒業後に現在住んでいる単身者用マンションを引き払って実家に戻り、あちらの県で就職活動をすること。 「でも地元を離れるのは嫌なんだよねぇ。お母さん達が今住んでる所ってここよりも田舎だし……美容業界の就職先なんかないんじゃないかなぁ」  学生ではなくなっても、単身者用マンションの家賃をそのまま支払い続けてくれるほど、母と義父は莉子に甘くない。  奨学金を抱えた身でのフリーター、ましてや独り暮らしをさせるわけにはいかないと考える母と義父は、充分に莉子の将来を案じてくれているのだ。  とりあえず家賃の心配をしなくてもいい実家で、ゆっくり就職先を考えてみるのもいいだろうと言うのが親の考えなのだが、親がいる街がここよりも田舎となれば美容系の就職先には不安しかない。
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