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嘆く莉子の隣で知咲はあることを思い出した。
「そういえば、松川七菜は東京のサロンだっけ。東京の大手ネイルサロン内定! って玄関の掲示板に貼り出しまでされて、凄い特別扱いだよね」
「七菜ちゃんはまぁね、特別扱いも納得だよ。あの子の技術は実際凄いもん。東京のネイルサロンに内定貰った話聞いても、私とは次元が違いすぎるから嫉妬も湧かない」
莉子と同じネイルコース在籍の松川七菜は校内開催のネイルアートコンテストで優勝している。ネイルコースの教師も太鼓判を押す、我が校期待の星だ。
ちなみに同じネイルアートコンテストで莉子の成績は参加人数54人中の21位だった。下位でも上位でもない中途半端な位置である。
ネイルコースの秀才である七菜とは友人と呼べるほど親しくはないが、隣の席になれば話はするしネイルに関して莉子がわからないことは親切に教えてくれる。
普通に良い同級生だった。
「東京は行けなくても名古屋や大阪に出る選択肢もあるんじゃない? 都会ならネイルサロンの数だけは多いよ」
「それはそうなんだけどね……」
「莉子が地元離れたくないのって、本屋の彼氏が理由でしょ」
「……うん。だって私が地元出ちゃうと遠恋になるじゃない。遠距離で続けられるか自信ない」
名古屋や大阪なら莉子を雇ってくれるネイルサロンは確かにあるかもしれない。けれど通勤となると地元に住みながらでは難しい。
莉子が名古屋や大阪に引っ越せば、地元書店の正社員である純とは遠距離恋愛となる。
「いっそのこと結婚してもらえば?」
「……はぁっ!? ちょっと知咲、いきなり何言い出すの!」
「だって竹倉さんの年齢考えたら結婚の話が出てもおかしくないよ。結婚して竹倉さんにしばらく養ってもらえば莉子は地元出なくてもいいじゃん。それで通勤可能なエリアまで範囲広げて就活すれば?」
「それはあまりにも他力本願だよ……。でも結婚かぁ。全然そんな話はないけど、純さんの年齢考えるとそうだよね。結婚……」
まだ付き合って3ヶ月未満、学生で年齢もハタチの莉子相手に結婚話が出ないのは当然だとしても、純は莉子との未来をどう考えているのだろう。
(そもそも純さんて、これまで結婚を考えた元カノはいたのかなぁ。前に元カノの話を聞いてもビミョーにはぐらかされちゃったんだよね)
昔の恋人の話を聞いても互いに不快になるだけだからと、最初に尋ねた8月の末以降は純の過去の女のことは考えないようにしていた。
彼も36歳になる大人だ。莉子が知る限りは婚姻歴はなさそうだが、結婚を考えた相手がひとりくらいは、いたかもしれない。
(もしもバツイチで子持ちでした……と暴露されたらどうしよう。でもでも、都合があえば日曜日は絶対デートしてくれるし、家にいても見られちゃ困る物を隠し持ってる風でもないし……。バツイチ子持ちだと隠してたってさぁ、ねぇ? 色々とバレてくるものだと思うんだよ)
誰に問いかけるでもなく自問自答した彼女は不採用通知で埋まる携帯電話をバッグの底に放って、昼食のサンドイッチにかぶりついた。
*
暦が10月を迎えた最初の日曜日、莉子は純の自宅で過ごしていた。15時のおやつにホットケーキを作っていた彼女は、純に名を呼ばれて振り返る。
「携帯鳴ってるよ」
彼がキッチンまで持ってきてくれた携帯電話を一瞥した莉子は眉をひそめた。着信画面には伯母の二文字が載っている。
「……伯母さん?」
「電話だろ? 席外そうか?」
「ううん、大丈夫」
東京に住む伯母は母親の姉だ。伯母には幼い頃から可愛がってもらっている。
席を外さなくてもいいと言ったが、純は煙草を片手にベランダに出てしまった。彼の気遣いに感謝して、莉子は鳴り止まない携帯電話の通話に応答した。
{莉子ちゃぁーん! 久しぶりぃ}
相変わらずハイテンションな伯母の声に莉子は電話越しに苦笑いを返す。どちらかと言えば莉子の母はおとなしい性格で、姉である伯母は型破りで破天荒だと親戚の中では有名だった。
ただ性格は真逆でも姉妹仲は良いらしい。元の性格が引っ込み思案な自分と社交的な弟みたいだなと、莉子は密かに思っている。
{お母さんに聞いたよ。ネイルサロンの就活、苦労してるんだってね}
「うん……。経験者優遇がほとんどで、面接もさせてもらえないままお祈りメールだけがくるの。どこの店も新人はいらないみたい」
{不景気でどこの業界も今は人を育てる余裕がないのよ。美容業界は特に景気が良くて初めて成立する業界だからねぇ。景気が悪いと皆、生きていくだけで精一杯になるでしょう? 衣食住のうちの、〈着飾ること〉に関してはお金がないと優先されないの}
実業家の夫を持つ伯母は、東京で美容関連会社を経営している。自身がオーナーを務めるエステサロンの他、最近は産後ダイエット専門のジムの運営もしているとか。
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