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 八月六日。  真夏の出校日、俺達は防災の話を聞いていた。 「…というわけで、災害時にはラジオが役立つというのは、皆も動画サイト等で見て知っていると思う。だけどその知識は、その道具を正しく使えなければ意味がない。」  夏休みの合間にある出校日ほど憂鬱なものはない。長い昼寝の途中に現実に叩き起こされるようなものだ。 「知識を持つことは素晴らしいことだけど、それをいつでも使える状態にしておくことが、本当に大切なことなんだ。」  窓際の前から四番目の席で猛暑に晒されながら、俺は時計と目を合わせていた。  左腕だけ日焼けしそう。 「例えば例に上げたラジオというものも、いざ災害の時になってからパソコンで使い方を調べようとしたって駄目だ。そのパソコンやスマホが使えない時に、ラジオを役立てようってんだから。  日頃、乾電池のストックは何処に置いていて、何本必要なのか。いざ電源を入れて、チャンネルは何処に合わせれば音が聴けるのか、ラジオの番組表だって、その時にネットで調べられるわけじゃない。  ネットが使えるなら、ラジオは必要ないからな。」  先生の長い話を聞きながら寝落ちそうになっていると、斜め後ろから消しゴムが飛んで来る。  この方向は、真夏だ。  肩越しに振り替えっても、いつも通り彼と視線は合わない。斜め後ろの席に座る彼の視線は、真っ直ぐ教壇に向いている。  短く刈り上げた黒髪に、鋭い瞳を縁取る眼鏡。スクエアタイプ。  相変わらず何を考えているのか、わからない奴だ。  真夏入道。  入道と書いてそのまま読む。珍しい名前だ。  真夏は三年前の秋に、この町にやって来た。災害を経験し、親と家を失って、親戚に引き取られこの学校へと転入して来た。  心の傷なのか人柄なのか、あまり人に寄り付かない上に愛想も無い。読書好き、という一応の趣味を持っているようだが、どうも表紙を見る限りオカルトに傾倒しているような…。 「悪かったよ。」  学校の帰り道、真夏と並んで住宅街を歩く。 「確かに災害を経験した人間の横で、防災の話を聴きながら寝るのは不謹慎だと思う。」 「そうだな。」  という冷めた返答。冷製パスタのような人。  黄色や紫、水色といったカラフルなパステルカラーのランドセル達が、俺達の横をすり抜けて行く。  太陽が暑い。蝉がうるさい。キャーとかワーとか、遠くから色々な声が聴こえてくる。雑音が心地いい。  水中にいるような、視界の低い、青い世界だ。 「今時はなんでも、使う前にネットで調べろって教わっているからな。使用法の動画を見る以外に、ラジオの周波数なんてどうやって調べるんだろう。」  そもそも、ラジオの仕組み自体よく知らない。なんならスマホの仕組みもネットの仕組みも知らない。  音声入力で『ラジオつけて』と機械に話しかければ済むことじゃないか。 「音が出るまでカチカチやってれば?」  と、これまた温もりの無い言葉が返ってくる。 「そういうお前は使えるのか。ラジオなんか持ってないんだろ?」 「ラジオというか、古いCDプレイヤーにラジオの機能が一緒にくっついていたと思う。」  やがて巨大なサボテンが植えられている一軒家の前を通り過ぎる。このあたりは空き家が多い。  錆びた外階段のある何かの工場跡や、鉄柵の向こうに半壊した家屋が見える場所もある。敷地を囲うようにドングリの木が鬱蒼として、中の様子を窺い知ることは出来ない。 「へぇ。見てみたい。それ今日持って来いよ。」  こうした空き家の周囲は、異様に静かで、建物自体が死んでしまっているかのようだ。使われていないポストが、長く外界との繋がりが絶たれていることを物語っている。 「今から?」 「面白そうだろ? ラジオってどんな風に聴けるのか、見てみたい。」  俺のこの提案に、真夏はコックリ頷いた。 「わかった。」  彼は居候という身分で窮屈な思いでもしているのか、毎日のようにウチへ遊びに来ている。  心労の多い小学生だ。大人がそれを強要しなくても、態度や視線で空気を察して自ら塞ぎ込む子供は少なくない。 「すぐ行く。」  そう言った彼と、一度その場で別れた。  ★★★  家に着いて、ランドセルをリビングのソファに放り投げる。コップ一杯の麦茶を飲み干している間に、彼はやって来た。  汗だくでやって来る。走らなくていいのに。彼の生態は謎が多い。  己に何かを課しているタイプか。  で、その彼が小脇に抱えて持って来たのは、不時着した小型円盤のようなものだった。 「近未来的だね。」  という当たり障り無い感想を言っておく。  電池も握りしめている様子から、充電式ではないようだ。  庭で洗濯物を干している母親に、 「母さん、真夏が来てるからねー。部屋行くから。」  と断っておく。  背中にランドセル、右脇に宇宙円盤の真夏の左手に、コップ一杯の麦茶を持たせる。二階にある自室へ上がった。  窓際のベッドに俺で、部屋の中央にあるローテーブルにコップとラジオを置いた真夏だ。  まずはエアコンのスイッチを入れる。 「そのラジオは災害を逃れたのか。」  と尋ねてみると、 「こっちに来てから買ってもらった。中古品だが。音楽は心を豊かにするそうだ。」  と返ってきた。  親戚の方は真夏の精神状態をそれなりに気に懸けてくれているようだ。  真夏はありのままではダメなのか。傷ついていてもいいから、自然でいてくれ。 「ラジオつけてみてよ。」  エアコンがガーガー言いはじめて、冷たい風が頭を撫でる。 「自分で出来ないと意味がないんじゃないのか。」  などと言いつつ真夏は電源を入れてくれる。CDプレイヤーと合体していると言っていた通り、上蓋を開くとカフェミュージックがセットされている。  横にある小さなボタンを二回押すと、今度はザーザーとノイズ音。 「あとは周波数の番号を合わせれば、ラジオが流れる。」 「ふむふむ。やって。」  令和の小学生にラジオの周波数を知っている奴はいない。  ベッドを降り、テーブルの傍らに膝をついた俺に、真夏の微笑。 「自分でやって。」  笑う時は笑うんだけどな。 「それじゃあ、一つずつ試していくか。」  チャンネルを変えるボタンは、押すとかなり大きな音でカチカチいう。このCDプレーヤー、旧型にも程がある。 「421…、422…、423…、」  カチカチカチ。真夏が言っていた、音が出るまでカチカチやっていろと言ったのは、言葉通りの意味だったようだ。  真夏はいつだって、正しい事しか言わない。 「456…、457…、458…、」  しかも、一度のカチリで数字を一つしか動かせないので、途方もない作業だ。ダイヤルないのか。  真夏はしばらくランドセルから出した夏休みの宿題をやっていたようだが、やがて暇になったのか口を出して来た。 「483は?」  語呂合わせだろう。俺の名前だ。  カチカチやって、だいぶ時間をかけて四百八十番台へ。  ノイズは相変わらずノイズのままだ。嫌われてるのかね。 「ダメでした。」 「時間が悪いな。じゃあ、528は。」  今度は俺の誕生日だ。笑ってしまう。  それで言われるままにカチカチやって、古い機械は不便だなぁとか、電気がない生活は不便だなぁとか、ボンヤリ考えていると…。 『八月七日、午後のニュースをお伝えします。』  ようやくハッキリと聴こえる女性の声が飛び込んできた。
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