この道なんて消えればいいのに。

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上空からは強烈な日差しが降り注ぎ、アスファルトからは熱気が漂っていた。葛西誠二は炎天下の中をかれこれ二十分以上も歩いており、額には大粒の汗が噴き出していた。目的地の交差点は、バス停から遠く、サウナのごとく灼熱の中を歩かなければならなかった。 葛西はあるWEB雑誌の記者として働いており、ある怪談話について取材することになった。その怪談の舞台となるのは須賀原橋という交差点で、十一もの道路が交わっている変わった交差点なのだ。怪談話というのは、夜になると道路が一つ消えるというものだ。 葛西自身はオカルトなどを全く信じていなかった。そのため、取材と言いつつも、写真をいくつか撮って、近所の人に話を聞いて終わろうと思っていた。噂は夜なのに、こうやって昼間に来ているのもそういうわけだ。ただ、こんな暑さであれば、ちゃんと夜に来ればよかったと後悔した。 噂の交差点にたどり着いた。聞いていた通り、たくさんの道路が交わっていたが、十一もあるかどうかは判別つかなかった。ただ、いくつも道路が交わって、複雑なのは間違いない。 葛西は何枚か写真を撮った後、ぶらっと交差点を一回りする。これだけ道路が交わっていると、一周するだけで横断歩道を何回も渡らないといけない。このあたりに住んでいる人は不便だろうなと考えてしまう。 その時、道路の端に、一人のおばあさんがいることに気づいた。腰は深く折れ曲がっている。顔には多くのしわが刻まれ、目は開いているのか開いていないのか分からない。その手には、花が握られていた。あるところでピタリと立ち止まり、道路の端に置いている花瓶に、持っていた花をさす。そして、両手を合わせ、何かぶつぶつと言っている。 葛西はその様子をじっと見ていた。もしかして、この交差点で事故があったのだろうか。そりゃあ、これだけ道路が交わっていれば、交通事故も起きるだろう。葛西はおばあさんのことが気になり、ゆっくりと近づいていく。 「おばあさん、少しお話よろしいですか」 そう声をかけるが、おばあさんは全く動かず、何も言葉を返してこない。 「どなたかここで亡くなったんですか」 もう一度、声をかけたが、反応はなかった。耳が遠いのか、無視しているのか分からない。どちらにせよ、会話はできなさそうだ。葛西はおばあさんから離れようとした時、ボソリと呟くような声が聞こえた。 「……だよ」 「はい?」 「亡くなったのは、私の姉だ」 「お姉さん、ですか」 おばあさんは小さくうなずく。 「姉は、ここで自ら命を絶ったんだ」 自ら命を絶った。それは思いもしない言葉だった。 「ここは何十年も前には、川があったんだ。その川に身を投げて、命を落としたんだ」 「そうですか」 葛西はそう答えてから、交差点を見渡す。どこにも川があった形跡はない。暗渠となったということだろうか。そう言えば、この交差点の名前は須賀原橋だ。この名前もその川にかかった橋から取った名称なのかもしれない。 「お姉さまは、どうして自ら命を絶ったんでしょうか」 突っ込んだ内容にも思えたが、気になった質問をそのまま口にした。 「姉には、心を寄せる人がいたんですよ」 おばあさんが、こちらを見る。 「その人は、遠い地の名主でね。都へ行く際は、この街道を通っていたんだ。その時は必ず、姉が働く茶屋に寄ってくれて、姉と話をしていた。姉にとってはその時間が嬉しくてたまらなかった。その分、別れるのは辛かった。名主さんを見送るたびに、この道なんてなくなれば良いのに。そう言っていたんだ」 葛西はその話にドキリとする。一つ道がなくなるという怪談話と、つながる。 「姉はある日、名主さんに告白をしたんだ。しかし、あっさりと断られた。身分が、あまりにも違ったんだ。そして、名主さんは、いつもの街道を通って、家に帰っていったんだ。姉はその夜、川から身を投げたんだ」 深刻に話すおばあさんに、葛西は何も言えなかった。 「姉のことを、そっとしておいてもらえませんか」 「えっ」 「姉のことを調べているんでしょ。どうかそっとしておいてほしいんです」 おばあさんは、じっとこちらを見ていた。自分が記者であることは、言っていない。しかし、何か感じ取ったのかもしれない。 葛西はどうしようかと考える。このネタは、取り上げれば話題になるだろう。うちの会社としては願ってもいないチャンスだ。けれども、これは、世には出してはいけない話のように思えた。葛西自身は霊などは全く信じない。ただ、このおばあさんとお姉さんのことは、踏み入れてはいけない領域のように感じた。 「分かりました。そうします。これ以上は調べないようにします」 「ありがとうございます」 おばあさんは小さく頭を下げて、この場を去っていった。 しばらく葛西は動けずにいた。先ほどのおばあさんの話を思い返す。ずっと昔に、ある男に想いを抱いていた女性、恋に破れ、自ら命を落とした。そして、何十年たった今も、未練があり、この場に居続けているのだろうか。考えても分からないことだが、考えずにはいられなかった。 その時、スマートホンが振動していることに気づいた。画面を見ると、編集長からだった。 「どうだ。取材の方は。何か良い情報はあったか」 電話に出ると、編集長の野太い声が聞こえた。 「ああ、そうですね」 そう答えながら、おばあさんの言葉が頭をよぎる。姉のことをそっとしてほしい。 「実はですね、あの噂はガセみたいなんですよ。地元の人が流した嘘八百みたいです。聞き取りしてて分かりました」 沈黙が続いた後、「そうか」と少し落ち込んだような声が聞こえた。 「じゃあほどほどにして帰ってこい」 「はい。分かりました」 通話が切れて、スマホを鞄にしまう。空を見上げると、変わらず強烈な日差しだった。思わず目を細めてしまう。 葛西はグッと背伸びをしてから、バス停への道を進み出す。蒸し暑い風に乗って、どこかから女性の笑い声が聞こえたような気がした。
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