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累がそれに頷く。
「ごめん、次の席に行かなきゃ。またね」
「うん、ありがと、ルイト」
彼女に手を振ってから、ボーイと共にホールを歩く。
「新規のお客様です。ただ、ちょっと変わってて……ルイトさんじゃなきゃ要らないって、他のキャスト付けさせてくれないんです」
「まあ、たまに居るよな……了解」
小さくそんな会話をしてから席にたどり着いた累は笑顔で、初めまして、と片膝を床に付いた。
「ルイトです。指名ありがとう」
名刺を差し出すと、そこにいた女性客はにっこりと微笑んで名刺を受け取った。
「座って、ルイト。私のことはチカって呼んで」
「チカちゃん、でいい?」
累が聞くとチカが頷く。それから、ルイトは何飲んでるの? と聞いた。飲み放題で入る客の席では、飲み物を持って歩くのがこの店のルールだ。飲み放題なのだから、飲まれないほど店の利益が上がる。だからキャストはずっと同じグラスを持って歩いている。飲ませて貰えるのはフリーの客に当たった時だけだ。毎晩潰れるまで飲むことを覚悟していた累にとって、この環境は肩透かしだったが、とてもありがたい。
「オレはいつものお気に入り。チカちゃんは……ジンジャーエール?」
「うん。お酒は苦手なの。ホントは、男の人も苦手」
そう言われ、累は首を傾げた。ホストクラブは自分好みの男と酒を楽しむ場所だ。どっちも苦手な人は来ることもない。
「じゃあ、今日はどうして?」
「ルイトに会いたかったから」
「オレに? それは嬉しいけど……表の看板でも見た?」
店の前にはトップ三人の写真が飾られている。もちろんその中に累の写真もあった。けれどチカはそれには首を振った。
「この近くのファミレス……ルイト、よく同伴で使ってるでしょ? 私のバイト先」
「……ああ、そうなんだ。だからヒロじゃないんだね」
大抵初めての人は指名なしで入るか、ナンバーワンを指名してくる。累が初めから指名されるのは珍しいのだ。
「私、ヒロは嫌い。あんな、女なら誰でもいいみたいなの、苦手」
ホストクラブに来る客の中でもそういう人がいないわけではない。私だけを見て、という客にはそれらしく演じるのが自分たちキャストの役割だ。
「そっか、オレは今、チカちゃんだけのものだよ」
累が言うと、チカはにっこりと微笑んで、知ってる、と口を開いた。
「ルイトはずっと私だけのものだよ」
そう言ってチカが累の腕に両腕を絡める。累はそんなチカに、そうだな、と微笑んだ。
「……やっぱり、そうだ……」
「ん? 何か言った?」
「ううん。ね、ルイト、今度の金曜日同伴してくれない?」
「金曜?」
聞き返しながら、累は近くにいたボーイに視線を送る。こちらに近づいてきた彼に金曜の予定を確認する。マネージャーと繋がっている無線のイヤホンに手を当て頷いてから、累に視線を向ける。その視線に累が頷いた。
「大丈夫みたい。いいよ。チカちゃんのバイト先じゃない方がいい?」
「ううん、あそこでいい。嬉しいな」
「オレも外でチカちゃんに会えるの嬉しいよ」
初めて来た日にいきなり同伴の約束をするなんて、あまりないことだが、断る理由もなくて、累はそう答える。すると、そこに強い視線を感じて、累は顔を上げた。遠くの席にいる宙也と目が合う。最近は店でもよく宙也と目が合う。そんなに自分の営業が気になるのだろうか。確かに徐々に宙也と累の成績の差は小さくなっているが、こんなに牽制するほどのものではないだろう。宙也が焦りを感じているのならそれはそれで少し嬉しいが、そういうものでもない気がした。
宙也と視線を合わせたままで居ると、ルイトさん、と呼ばれ累は視線を移した。
「お帰りのお客様がおりますので」
「うん、行く。チカちゃん、ちょっと席外すね。誰か呼ぶ?」
ルイトは立ち上がりチカを見る。こちらを見上げたチカは首を振った。
「一人でいい。その代わり、早く戻ってきて」
チカの言葉に、じゃあ少し待ってて、と累が席を離れる。ボーイから客の上着を受け取り、後を付いていくと、そのテーブルには宙也が付いていた。さっきまで別のテーブルで自分の客の相手をしていたはずだ。ボーイも驚いているので、この状況は宙也の独断なのかもしれない。
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