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「あー、ようやく明日休みだー」
午前零時過ぎ、店の営業時間が終わり、キャストを含めたスタッフの全員が仕事を終える。休店日の前は日の出営業をしないので、普段はこの合間に仮眠に入るキャストも今日はこのまま上がるのだ。
「やっぱり休店日あるっていいよな」
一か月前に他店から引き抜かれたキャストが言う。店に休みはなく、キャストが交代で休む店が多い中、この店は月曜が休みだ。櫂が言うには、せっかく店に来て目当てのキャストが居ないのはつまらないだろう、ということらしい。キャストとして働く方も客との約束をしやすいし、なによりある程度のリズムがあると、体調の管理もしやすい。
「ルイト、お疲れ」
ロッカールームで着替えを始めていた累にそう声が掛かる。その声で誰だか分かった累は不機嫌に、お疲れ様です、と答えた。
元々気に入らなかった上に、あんなキスまでしてバカにされて、今は益々宙也が嫌いだった。
「ルイト、明日の休み予定ある?」
けれどそんな累の態度など気にも留めず、宙也が聞く。累は、はい、と頷いた。
「実家に戻ります」
二日ほど前、母から『累のカレーが食べたい』とメッセージが来ていた。母は時々、こんな少し子どもっぽいメッセージを送ってくる人なのだが、体が弱く、あまり外に出られないのもあって、父も自分たち兄弟も母には甘い。なので、こんなお願いも割とあっさり聞いてしまうのだ。
「実家? え、仕事辞めるの?」
宙也が驚いて言うので、違います、と慌てて宙也を振り返る。その顔は笑顔だった。言葉の続きを待っているようなその顔に、累は仕方なく事情を話した。
「……母が、オレが作ったカレー食べたいって言うので、作りに行くだけです」
「カレー! いいな、ルイトのカレー、俺も食べたい! ね、これからうちに来て作ってよ」
宙也の言葉に累が、は? と聞き返す。
「嫌です。どうしてヒロさんのとこで……」
「材料費は俺持つし! うちのキッチン使いやすいみたいだし、たくさん作ってそれをお母さんに持っていけばいいし」
材料費をもってくれるのは有難いし、宙也のマンションは明たちと同じだからキッチンが使いやすいのも知っている。確かに今作って明日持っていけば休みも有効に使えるだろう。
ちょっと心がぐらついて考え出した累に、宙也が微笑む。
「いや……でもやっぱり嫌です。ヒロさんの家に行く意味が分かんない」
累はそう言うと、宙也との会話を断ち切りたくてロッカールームを出た。宙也が諦めて帰るのを待ってから着替えて店を出ようと思い累はまだ明かりが点いているホールへと向かった。けれど話し声が聞こえ、累は足を止めた。
「つーかさ、さっきのヒロさんカッコよくなかった?」
「あー、シャンパン入れさせたヤツ? 女の心全把握って感じだよな」
その声は新人ホスト二人の声だった。掃除をしながらそんな会話をしているのだろう。まだ掃除終えてないのか、と思う反面、会話には少し興味もあって、累は近くの壁に背中を預けた。
「けど、その後のルイトさんの対応がさー、ムカつかね?」
自分の名前が出て、累は眉根を寄せた。何か悪い対応をしただろうか。あの後はキラトとシュンに指示を出しただけだし、マネージャーにもいい対応だった、と言われた。
「あー、オーナー気取りなとこ? うちの代表はヒロさんだし、采配はマネージャーの役目なのに、結構口出すよな。主任のくせに」
その言葉に累は不機嫌に表情を変えた。主任のくせにとは言うが、裏のスタッフを除けば、宙也に続いて二番目の役職だ。しかも累はそれを三年前に貰い、それから維持している。役職もない新人にそんなふうに言われる筋合いはない。
「その主任もさ、縁故じゃないかと思うんだよね。オーナーの弟だっていうし、役職くらいついてないと」
「確かに。あの人日の出滅多にしないし、客も金持ちいないし、それで二番目の売り上げとか絶対ないよな」
累はそれを聞いて我慢が出来なかった。自分に実力がないと言われるならまだいい。後輩にそう見られてしまうのは自分のせいだ。けれど、兄や客をバカにされるのは嫌だった。
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