0人が本棚に入れています
本棚に追加
夜の七時を過ぎた頃、どうやら母と父と弟が一緒に帰ってきたらしい。珍しいなと思っていると、
「リビングに来れそう?」
と母に呼ばれた。まだ熱っぽかったが、動けなくはなかったのでリビングへ向かった。みんなの深刻そうな顔を見て、弟がこの前の件で学校に呼び出されて、停学か何かになったのだろうと思った。
母は私を見て
「体調大丈夫?楽な体勢でいいから聞いてね」と言った。話の察しはなんとなくついていたが、母があまりにも真剣な表情だったので私も真面目に聞くことにした。
「あのね、とても言いにくい事なんだけど、」
そんな言い方をされたらさすがに緊張する。私は気づくと手を握りしめていた。
「あなたはね、もうすぐ、死んじゃうの」
母は泣きながらそう言った。
予想だにしない母の発言に私は一瞬思考が停止した。死ぬ?私が?こんなに元気なのだ。
そんなはずはない。
「それってどういうこと?」
私は、自分を落ち着かせたかったからか、必死に笑顔を作っていた。
「半年くらい前に、健康診断受けただろ?その結果が、これなんだ……」
父は私に所々くしゃくしゃになっていた健康診断の紙を渡した。
今から三年前。謎の死を遂げる人が急増した。様々な研究者が調べると、それはとある病によるものだとわかった。この病気はある日突然深刻になり、そこから一週間で命が終わってしまう難病で、別名一週間病と呼ばれていた。前兆もあるにはあるが、軽い症状がほとんどで、一週間前になるまで気づかない人も多いという。そして何より、この病気は早期発見は可能でも具体的な治療法がまだ存在していなかった。そのため、健康診断の項目にこの病気の検査が義務付けられるようになったものの、本人への報告は義務付けられていなかった。もしこの病気が判明した場合は、家族など親しい人に連絡が行き、彼らに判断を任せると政府は決定したのだ。だから、多くの人が自分は病気だと知るのは余命の一週間前だった。
私はその難病にかかっていたのだ。
この病気はいわば不治の病。
私にはもう未来がないことを一瞬にして悟った。
私はまだその症状に気づいていなかったが、学校で倒れた私は熱中症とは考えられない症状だったため、救急車で運ばれていたらしい。そして、家族がこの病気の事を話し、「この事は私たち家族から話したい」という母達の意思のもと、私は学校という日常の中に戻されていたのだ。
でも、私はこの事実を聞いても、涙さえ出なかった。私には別れたくない友人や恋人もいない。夢だって持ってない。ただ、弟のあの日の悲しい表情の意味と、急に態度が変わった理由がわかったような気がした。
最初のコメントを投稿しよう!