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 あたしの家は打ち上げ会場からそう遠くない山沿いの坂の上に建っている。  ふだんは自転車で上るのが少し億劫になる不便な立地だけど、見晴らしだけは抜群にいい。  高いビルも明るい繫華街もないから、花火大会の夜は縁側がなかなかの臨場感で夜空の芸術を楽しめる特別な鑑賞席になる。  恋人とまったりしながら花火鑑賞も悪くないのだろうが、今のところ候補がいない。  あたしはソースの匂いに鼻をひくつかせながら、家路を急いだ。  我ながら色気はない。    眩しいほど明るいコンビニの角を曲がると、人通りはぐっと少なくなる。  駅から会場までを最短で結ぶ通りから外れるからだ。  あたしはそれでも幾組かの家族連れや浮かれたカップルとすれ違いながら、まとわりつく8月の夜の熱い空気をかき混ぜて家路を急いだ。  早く帰ってやらないと、雷と打ち上げ花火が大嫌いなジャックが怖がってまた長椅子の下へもぐろうと畳を掻きむしってダメにしてしまう。  ジャックが長椅子の下にもぐれたのは、もう10年以上も前のことで、体重が25キロもある今ではせいぜい鼻先しか突っ込めないというのに。  あたしは近道をするつもりで、坂の上り口にある自治会館の古い門扉を押し開けた。  学童保育所も兼ねたここの敷地はだだっ広く、前庭を横切ればかなりのショートカットになる。  無人の建屋を横目に、雑草がまばらに生えたグランドを駆け抜けようとしたとき、ヒバの植栽沿いに並んだ遊具の一つに白い人影が座っているのに気が付いた。  8月中旬という時期が時期だけに、ついに幽霊を目撃してしまったかと、一瞬後頭部がゾワついたが、落ち着いてよく見てみると、それは白地の浴衣をきた高校生くらいの女の子だった。  ブランコに腰掛け、アゴが胸にくっつきそうなほどうなだれて、じっと下駄のつま先を見つめているその姿は、これから花火大会を楽しもうという若い女の子のイメージとはかけ離れて見えた。  あたしは溶け始めたかき氷のカップに目をやりつつ、素通りすることはできなくて、脅かさないように足音を忍ばせてそっとブランコの方へと近づいて行った。 「あの、どうかしたの? こんな所に一人でいると危ないし、もうすぐ打ち上げ始まるよ?」    女の子はゆっくりと顔を上げた。  勝気そうな大きな眼と華奢な首が印象的な可愛らしい女の子だった。 「あ、すみません、勝手に入って」  女の子はあたしのことを、自治会館の管理人かなにかだと思ったらしく、慌ててブランコから立ち上がった。 「違うの、あたしはただ近道してる通りすがりの者なんだけど。一人でいるから気になっちゃって……お友達とはぐれちゃったの?」  見たところ、周囲に連れのいる気配はない。  女の子はあたしが持っているかき氷のカップとたこ焼きの舟を見て、ようやく少し肩の力を抜いた。 「いえ、はぐれたんじゃなくて……捲いてきたんです」 「捲いて……? ケンカでもしたの?」  女の子は力なく首を振った。  うつむくと大きな瞳から涙がこぼれ落ちそうだった。  その時、背後でドーンと音がした。  思わず見上げた空に鮮やかな光が花を描く。  夜空に刻まれる極彩色の線画は、とどめておきたいと願う間もなく残響をとどろかせながら漆黒へと消え去ってゆく。 「綺麗ねぇ」  大玉が続けざまに打ちあがり、会場からの歓声が風に乗ってここまで届いた。  振り返ると女の子もじっと空を見上げている。  きゅっと唇を噛みしめたその横顔が寂しそうで辛そうで、あたしは聞かずにはいられなかった。 「捲いたのって彼氏? お友達?」 「どちらでもないんです。私が無理やり呼び出して私が勝手に拗らせて……置いてきちゃった」 「??」  難解な彼女の言葉にあたしは首を傾げた。
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