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導入として、宝くじを例に挙げたい。
私はこの年になって初めて、宝くじを購入するという行為がいかに愚かなことか、理解できた気がした。もちろんこれは、働くことの尊さや一攫千金の虚しさ、あるいは当選確率の天文学的低さを主旨とした話ではない。
私たちはかつて、一億円の夢を見るために、たった三百円すらも支払う必要はなかった。
かつて。
それは少年の頃である。
実現する可能性のあることしか夢見られないとしたら、これほど悲しいことはない。
実現するための努力をただの一度だってしていないくせに、私たちは平然と夢を見ていた。空を翔びまわり、あるいは過去や未来へと自由に行き来する。本当は、それで良かったはずだ。それなのに。
これからする話は、私が小学六年生の頃の体験である。
元日のことだ。
私は友人二人と、学校の屋上で、初日の出を見た。
私の小学校は屋上にプールが設えられており、夏季にはしょっちゅう出入りする場所である。屋上につながる外階段が中庭にあって、その扉は施錠こそされていたものの、上から簡単に乗り越えられることを私たちは知っていた。得意になって階段を駆け上がり、屋上に出ると、それからプールサイドを走り抜け、塀にへばり付いて空を見た。
屋上から見る私たちの町は、まだ静かな眠りの中にいた。
空も最初は深く黒ずんだ青色をしていたが、彼方から薄ぼんやりとした光が溢れ出たかと思うと、やがて優しい藤色を纏った。住宅やビルなどが建ち並び、地平線は「線」を形成するどころではなかったけれど、多分これが本当の町の形なのだろう。
数十分ほどの時間、私たちは口も聞かず、東雲の空を見つめていた。耳の奥がきいんと鳴るような静けさだ。
冬の空気は澄んでいて、小さな氷の粒がそこら中に散りばめられている。ジャンパーを着込み、マフラーまで巻いていても、露出した肌にはその氷の粒がちりちりと痛くて、それが何とも心地良かった。
小学校生活はあと三ヶ月だ。みんなそれを分かっていて、だけど、口にすることはなかった。
ある作家は、人は誰だって子どもの頃はその背に翼を持っていて、自由に空を飛べたはずだという仮想世界を描いた。
いつしかその力がなくなって、子どもたちは一人ずつ飛べなくなっていく。思春期か、反抗期か、あるいは特別なきっかけもないままに、かつて空を飛べたことすら忘れる。
私も、同じだ。
今、振り返って思う。
あのとき私は人生で最初の階段を上ろうとして、だけどその実、初めて見る優しい空の輝きに、立ちすくんでいた。仲間たちもそこにいたのに、彼らもきっと同じだった。
友よ。我々が最後に空を飛んだのは、一体いつのことだっただろうか。
昔から、常々思っていた。
私や当時の同級生たちは、曾孫川という川沿いの町で育ったのだが、川のある町で育つことと、そうでない町で育つことは、全く異なる意味を持つのではないか、と。
私たちの住むところは本当に小さな田舎町だったし、都内を縫って流れるような下町情緒もなければ、何某かの水系に連なるような有名な大河というわけでもない。つまり、ただの川だ。それでも、その環境は特別だったように思う。
ある作家は、川の流れを人の成長に例えた。上流は清らかな水で、川幅は狭く急流になる。下流に向かっていくといつしか水は濁り、広くゆったりと流れる。
曾孫川も、そんな川だった。
大人になることはおそらく、聖俗を併せ持ち、清濁を併せ飲むようなある種の諦念を、憚ることなく(あるいは少し憚りながら)、胸のうちに蓄えることではないだろうか。
私の友人も、そうだった。
あの日ともに空を見た友人の森岡とは、よく下校をともにした仲だ。
曾孫川沿いの川べりを、二人並んで歩く。その日の花冷えの桜模様は、私たちの心をどことなく締めつけた。
「卒業したら、バラバラだな」
彼は言った。
私は進学校に行くことを早々に決め、その準備も始めていた。森岡の家は商売をやっていたために、私立受験は論外であったようだ。だが、彼がいうバラバラという言葉には、別の意味があった。
「親が離婚協議中なんだとさ」
「何だよ、それ」
「最初から、俺は母親と一緒に暮らすことが決まっているらしく、そうなると学区も変わるわけだ」
初耳だった。
学区が変われば、私のような受験組とだけではない、他の連中とも異なる中学へ進むことになる。
「サッカーは?」
「どうだろうな、続けられるかどうか」
映画やドラマで定番の境遇だと思った。しかし私には親の離婚というものが息子にとってどの程度のインパクトなのか想像もできなかったし、結局のところ、それは他人事だったのである。
唯一、森岡がサッカーを続けたがっていたことだけは、よく知っていた。
「もったいねえな」
そんな言葉が突いて出た。
だが不思議と森岡は微笑んでいて、「面倒だから早く終わってほしい」と答えた。
「腹、立たないのかよ」
私は少し苛立って聞いた。
「別に。俺にとっては、風景みたいなもんだからな」
森岡が何を指して風景と呼んだのか、それは分からない。だがこのときの彼の物憂げな表情を、私は今でも覚えている。
私は、彼こそを「川」のようだと思った。そして自身の心のうちに、もどかしさや寂しさに混じって、密やかな憧憬を認めた。
やがて、森岡は彼自身が言ったとおりの進路を辿った。いや、学区どころではない。名も知らぬ遠い場所へ行ってしまった。
今、私は、彼と連絡を取る手段を何ひとつ持ち合わせていない。こちらから積極的に探すことも、していない。
さて、「群像」という言葉を知ったのも、この頃だったと思う。
ただ多くの人がいるという、その事実を指し示した言葉だ。多くの人がいるのに、そこには完全なる善人も完全なる悪人も存在せず、全く同じ人間も二人といない。
世界、そのものだ。
物語の世界で、群像劇という手法が愛される理由も、まさにそこにあるのであろう。例えば第一話で主人公であった青年の密かに慕う大学の先輩が、第五話の主人公である中年の男の、元恋人に付きまとうストーカーの隣人として現れたりする。
誰もが主人公であり、誰もが別の誰かの物語の端役でもある。そんな示唆が、歪な感動を生むことがあるのだ。
それは元旦にあの屋上で見た、デコボコの地平線に似ていた。
あの屋上で、もう一人の友人である塩野は、町の一端を指差して言った。
「あそこが俺んちだ。ここからでも見えるんだな」
塩野は少し険しい顔をした。
「あの交差点も、ここから見たらほとんどウチの目の前じゃねえか」
彼の言葉には、熱がこもっていた。
その理由を、私も、森岡も、知っていた。彼の幼い弟が、自宅から百メートルに満たない距離の交差点で、車に轢かれて死んだのだ。三年前のことである。
交差点は住宅地の中で、信号も無かった。
運転していたのは同じ町内に住んでいた会社員で、我々と同じ小学校に通う女子生徒の父親でもあった。
「あんな狭い道を、居眠りしながらぶっ飛ばして行きやがった。絶対許さねえ、弟は道を渡る前に、ちゃんと立ち止まって確認してたのによ」
当時、私たちは塩野から何度もその言葉を聴いた。慰めの言葉は何も浮かばなかったが、気持ちは皆同じだった。
その女子生徒は学校へ来なくなり、やがて一家は他県へと引っ越して行った。
父親は業務上過失致死罪に問われたが、後から聞いた話では、父親の勤め先であった食品会社の幹部らも、過労運転容認として労基法と道交法違反で実刑判決を受けたという。
「何日も寝てなかったらしい。あのオヤジも被害者だったなんて言うバカもいるよ。ふざけんなって。じゃあ弟はどうなる」
涙を浮かべた塩野の悔しそうな顔が、私の脳裏に焼きついている。
私たちは知っていた。その女子生徒は一年上級の美しい少女で、塩野がずっと恋焦がれていた相手だった。
皮肉という言葉では、片付けられない。
塩野の胸中は、私たちの想像を絶する。
憎むべき相手を憎みきれなくなったとき、愛すべき相手を愛しきれなくなったとき、心はどうなってしまうのだろう。
あの女子生徒は、その父親は、これからどんな道を辿るのだろう。
塩野はもう、事故のことを口にすることはなかった。彼も森岡と同じく、公立の中学へ進学することが決まっていた。
私は孤独な気持ちで、彼の見つめる先を追った。
町は相変わらずの静けさだ。
静けさの中で、幾千もの物語が交錯し続けている。
森岡や塩野と比べて、私には少し特異なところがあった。
多くの人間が、過去は過去と割り切って生きようとし、そしてある程度はその試みに、成功しているように見える。しかし私はというと、過去にこだわってばかりいた。
良き記憶は望郷の心を生み、いつだって自身を過去に立ち帰らせる。胸を締め付けるような喪失感が、時を経るごとに肥大化した。
それだけではない。
他方では、罪と、傷と、恥と。
忌まわしき記憶は後悔や罪悪感を生み、やり直せたらと何度も思わせる。結局のところ全ての感情は、まるで一義的に自らを過去に向かわせるようだった。
記憶とは、一体何か。
当時の私が愛したもの。友人や家族のことばかりではない。単なる町の風景も、祖父に連れられ遊びに行った駅前の子ども科学技術館も、最盛期のジャッキーチェンの映画も。
謝りたい相手も。殴りたい相手も。
行き場を失った言葉も、心も。
古ぼけていく。
今が「あの頃」になっていく。
全てが、見る間に過去になるのだ。
自分だけが特別にセンシティブとも思えない。多くの人間が乗り越えているのだから、きっと何か秘策があるのだと思っていた。おそらくそれは、おまじないのようなものだろう。だが今この歳になっても、私にはそれが分からないでいる。
まるで、失うために得るようだ。
残酷なほど、ただそれは増えていった。
悲しいくせに、何故か愛していた。
一秒先の未来は、二秒後には一秒前の過去に変わる。私が未来を愛する理由があるとすれば、未来は過去を作り出す材料になるという、ただその一点だったように思う。
三人で見た初日の出の朝は、すでに過去のことになった。あれから、妙に乾ききった時間が、私の横を過ぎ去ってしまった。
森岡も、塩野も、もう私のそばにはいない。
私は一人だ。
目を閉じてみた。
これより未来に、希望はあるか。いや、そうではない。私は最初から、そんなことは気にもしていなかった。
闇でよい。上等である。
思い出せるのは、例えば大好きだった絵本の、大好きな一ページだ。大切なメッセージをそこに見出したわけではない。私はそこに、夢を見たのだ。飽きることなく何度でもそのページを開いたし、その度にドキドキと胸が高鳴った。
絵本が寓話である必要などない。
一億円の夢を見るのに、たった三百円すらも支払う必要はない。
私の夢は、確かにそこにあった。
いつでも。
そうして、年をとって変わってしまった自分を、正面から迎え入れなければならない時が来たことも、また事実だろう。
宿命なのだ。
この四月で、私の人生は大きく変わった。誰かにとってはただの「進学」でしかないだろうが、私には違った。
もう、子どもではない。
胸をえぐるような深い寂しさとともに、今この時をもって、私の心の碑とすべくここに銘じる。
それでも、私の生は過去とともにある、と。
『中学生になって』 一年三組 吉田のぼる
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