やればできる子

1/1
前へ
/20ページ
次へ

やればできる子

 ジウは贄籠の内側から枠にもたれて、立ったままうとうとしているようだった。  籠は細く、女がひとり、中で身動きすることはできるが、横たわるのはもちろん、座ることもできない。  樋を伝い落ちる清めの水が、斜めに立っている腰のあたりを濡らしていた。足元の地面は贄籠の輪より少し大きく溝が掘られて、滴り落ちる水が玉砂利を汚す前に四阿の外へ流れるように道をつけてある。  ムロカが近づいて見ると、まだ一晩過ごしただけだというのに、目の下にくまが濃い。憔悴している様子に叱責したいのを堪え、籠をゆすって起こす。そのとき、においに気づいてムロカは後ずさった。 「姉さん、願いの実を持って……ええと、祠の僧侶の方を連れてきたよ」  実際に祠にいたのは僧侶ではなく神職の者だったが。男の着物が、ムロカは知らなかったが「旅をするには便利だから」と修行僧のものだというのは男から聞いた。僧侶で通したほうが疑われにくいだろうという提案だ。  ジウがぼんやりと顔を上げ、後ずさって離れたところに立つムロカと、着物の裾の刺繍が見えるほど近くに寄った男を見る。  元から寝起きの良いジウは、訝しがるのと怒るのを同時にやってのけた。 「どういうこと? あたしは願いの実に願掛けを頼んだのよ。僧侶様を連れてこられたって、肝心の実が……!」 「ええ、どうも」  ムロカのかわりに籠の傍へと進み出た男が、僧侶という設定のわりには軽い挨拶をした。生贄になろうとしている若い女へ向けるには、かなり場違いな、人好きのする笑顔だ。  目をぱちくりさせたジウだが、己の状態に気付いて身をよじる。 「なんてこと! 僧侶様にこんなところを……!」  まとった着物のほか覆うものはなにもないのに、ジウはどうにか体を覆い隠せないものかと裾を掻き合わせたり、清めの水がもっと大量に流れてこないものかと恨めし気に見上げたりした。 「そのまま、どうか気楽に。僧侶様なんてものは、むしろこういうところに立ち会うものだから」  男はやはり、本当に僧侶なのか怪しい軽さで言い放って、気にしないようにと手をふる。 「いずれここへも噂が届くだろうけど、願いの実が盗賊団に盗まれるという事件があったんだ……です。それを、この……ええ、」  ここに至るまで名前を聞いていなかったことに思い当たったらしい。指先で頬をかきながらムロカを振り返る。 「彼が、盗賊団を捕まえてくれたので、その礼として、願掛けの出前に馳せ参じたというわけです」  胡散臭い言い回しに、常のジウなら警戒心を強めただろう。しかし弱っているところへ、それは存外するりと入った。 「ムロカ……弟が? まあ、本当に?」 「そうだよ姉さん」  離れたままで、ムロカは胸を張る。 「兵役でも僕はちょっとしたもんだったって話しただろ? 見せたかったなあ。盗賊団は少なく見積っても十人はいた。僕は願いの実を持って逃げようとする盗賊団の頭領を追いかけ、邪魔しようとする子分のやつらをちぎっては投げ、ちぎっては投げ……」 「ええ、遠くまで投げすぎて、盗賊団のほうは逃げられたんですがね。願いの実は取り戻してくれたんです」  男は途中で遮った。  ムロカが身振り手振りをまじえ語っている間、なにやらきつく口元を引き締め頬の内側を噛んでいる様子だったのには、ジウは気づかなかった。  男はムロカとはまた違う愛嬌のある笑顔で、胸の前に抱えた荷袋のふくらみを指し示す。ジウはそこから豊かな黒髪がこぼれ落ちているのを見た。  願いの実は、黒髪の生えた不思議な石という噂だ。無論、ニセ僧侶でカツラを抱えているだけということもあり得る。しかしジウは、流れる清流のように輝く髪に、疑うことを忘れて見入った。 「本体は、とても神聖なものなので、直接見せることはできません。どうかこのままで」 「ええ、それはもう……ああ……なんて綺麗な髪……」  口ではそうつぶやくが、視線は迷うように揺れる。深く息を吸うと、籠の網目をつかんで顔を押し当て、あふれるようにジウは話し出した。 「母が、死んだ母が言ってたんです。ムロカはやればできる子って。私、いつも言い返してました。やればできる子は、やらないからできない子だ。だってムロカは何にもしない……でも、母様が、父様が死んでから、頼りにできるのは男の子のムロカだけなんだからって、大切な子なんだから、父様が死んだ家庭の苦労なんて味わわせちゃいけないって……もう、ひどく甘やかして……ムロカはまるで、父様が死んだことに気がついていないかのように育ちました……私、本当は、それがどうしても許せなくって……でも、でも――」  ジウはムロカのほうへ顔を向けた。清めの水か涙か分からないもので、頬がしとどに濡れている。 「そう、ムロカ、あんた、やっとできる子になったのね……誰に言われなくても、自分から、盗賊団を捕まえようって決めて、しかもやってのけたのね」  男は横を向き、唇をすぼめて天を仰いだ。ムロカは自分の胸を叩いて得意げに頷いている。 「それじゃあ、願掛けのほうを――」  目元を袖でぬぐいながらジウもしきりに頷いて、感に堪えないという様子だ。 「ええ、そうだったわね。ああ、でも、オリザ酒がないわ。ムロカ、あんた……」 「それはもう、いただいてます」  ひらりと手を振り、流れ落ちている黒髪をすくいあげた。籠の隙間から手を出させ、その手に黒髪を取らせようとするとき、男は少し、惜しそうに手を引きかけた。 「……願いを」 「――あたしの願いは……ハヤに、幼馴染の、大切なハヤに、最後に、もう一度会いたいの。夢の中でね」  冷たい黒髪を押し戴きながらつぶやいたジウは、最後に、夢の中、というところは声を低めた。  男がちらりと目を上げ、もの問いたげに首を傾ける。ジウは気づいて、不似合いな、歯をむき怒っているとも笑っているともつかない表情を作り男に向けた。その唇を動かさないままひそひそと言う。 「あの子に、ムロカに聞かれるとうるさいから……生贄になっても、この籠の穴から、あそこから逃げ出せる、死にはしないとかいってね」  目を動かして、贄籠の上を示す。漁具をヒトの大きさに作った籠だ。上の穴というのは、入った魚が逃げられないように返しが作られている。その先端は鋭くはないが、内側に曲げるために薄く加工されていた。時間をかければ出られないこともないかもしれないが、体中、肉をそがれえぐられるのは間違いないだろう。 「穴が開いてるんだから、入れたんだから出られるって言って聞かないから。あれを見ても、返しが何なのか言って聞かせても、まるで理解できないどころか、こちらが理解できない物知らずだって、憐れむような顔をするのよ。最後だとか言ったらまた面倒な……待って、いまの、この話、ムロカに聞かせないでなんていうのが願い事になったりしないでしょうね?」  男はひゅっと眉を上げて大きく微笑んだ。 「そんな、唱えたらたちまち叶うようなものじゃない」  安堵の吐息をついてジウは続ける。 「あたしの願いは……ハヤに会いたいけど、ハヤに、あたしが生贄になったことは知られたくないの。元々はハヤが生贄だったのよ。だけど、ムロカが長老衆に睨まれるようなことをして。生贄の儀式をやめるようにって大演説。みんなの仕事の邪魔ばかりして。長老衆は、ムロカの主張どおり、今回限りで終わりにするから、かわりに最後の生贄はムロカの家族から出せって。あたししかいないのに。ムロカは承諾したの。ここで禊を受けるために家から連れ出された夜、ムロカは寝てた。昔から寝汚い子でね。起きないのよ。この籠を組んだ男衆に気の毒がられたわ。姉を差し出せといえば諦めると思ったのに、大喜びで承諾したもんだから、長老衆も引っ込みがつかなくなったんだろうって。村の発展のためとか言ってるけど、恥さらしよ……ああ、いやだいやだ、こんなこと。とにかく、願い事よね」  生贄のおしゃべりを黙って聞いていた男は、相変わらず微笑んだまま言った。 「生贄から逃れたいとか、助かりたいとか願っても構わないのに」 「そんなこと。願いがかなったとして、こういうことにはしっぺ返しがあるって昔話じゃよくいうでしょう。それでハヤがまた生贄になったりしたら、あたしは、あたしが生贄になればよかったと思うだろうし、助かったとしても、ハヤはもう……嫁いでしまった。だから、夢でいいの」  男はジウのいう「しっぺ返し」を特に否定もせずにうなずいた。 「じゃあ、そのハヤというヒトの姿かたちを思い浮かべて……」  自然とジウは目を閉じて、両の手で髪をはさみ、拝み手になる。 「川の神の祭りは明日の夜よ……ゆうべはこの水に打たれてほとんど眠れなかったから――心配だわ。もし今夜も眠れなかったら、夢を見られない? それでも明日の祭りまでの間に、少しでも眠れたら……大丈夫かしら? こうして願っても、あたしが眠れないと、夢でハヤに会えないなんてことはない?」 「そこは、どうにかなるんじゃないかな」  準備もあるので、今日の夜にもう、ということは請け負いかねると男は言った。  はなはだ頼りない言葉とはちぐはぐな、ひとの心をなごませる笑顔を最後に男は出ていき、ムロカもなにかか口ごもりながらその後を追った。  残されたジウは、贄籠の中でどうにかとれる楽な姿勢を探し、ため息をついて目を閉じた。
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加