女亭主

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女亭主

 祭りまでの間、近くに宿をとる必要がある、という男をムロカは家に招かなかった。 「なにかこう、むにゃむにゃって呪文唱えたりお香炊いたりしておしまいじゃないの?」  村の入り口、つまりは村のはずれもはずれにある例の蕎麦屋にとんぼ返りする格好で、男を伴い歩いている。ひと目につくといけないからと木々の並ぶ間を歩いているが、もちろん生首は荷袋の中だ。 「そう簡単じゃあないと言ってる。夢寐を……夢の中に入るのは、だいぶ精気を使うからな」  男が奥歯にもののはさまったような言い方をするので、さてはインチキだろうかという思いで肩越しに振り返る。町の連中の話でも、毎度必ず願いが叶うというものではなかったということだ。 「あらっ、追い出されたってのにまた来たのかい」  蕎麦屋の女亭主はムロカの顔を見るなり素っ頓狂な声をあげた。 「うちの班頭から聞いたよ。村からは追放扱いだっていうじゃないか。それでも祭りが終わるまでは、うろうろしてても放っといてやれとさ。さすがにジウをあんなことにしたんだから、今頃気がとがめてきたのかい?」  それからひょいと背後に立つ男へむかって、 「いらっしゃいませ~! お一人様? お食事かい、お泊りかい?」  ひらひらと二階を指し示すのは、そこが宿泊用になっているということだ。 「相部屋じゃあないほうがいいな」  言いながら、ムロカをよそに女亭主と金額の交渉を始める。追放扱いというのを弁解したいムロカは、いくらか気分を害してその横に突っ立っていた。 「……もしかして、ムロカのお連れさんなのかい?」  横で立ちん坊しているムロカに気づいて、女亭主がようやく顔を向ける。 「それなら……うちは商売だからいいけど、だったらあんたンちに泊めてやったっていいんじゃないの。せっかく祭りが終わるまでは放っといてくれるんだし」 「追放ってのはやめてくれよ。祭りが終わったら、みんな涙を流して僕を迎え入れる予定なんだから」 「そんな予定なんて知らないよ。まあ、それじゃあ……そお」  女亭主は半笑いの、妙な表情を浮かべてムロカを見やる。 「予定じゃない、事実だよ。姉さんはちゃんと五体満足で帰ってくるんだ。そのとき家に、何処の者とも知れない男がいたんじゃあ体裁が悪いだろう?」 「体裁って……もてなし方が分からないってだけじゃないのかねえ。ジウが、家事を仕込みたいのにあんた逃げちまうって、よくこぼしてたよ」 「――この、肉蕎麦を特盛で。それから、部屋はもうすぐに入れるかな?」  男はムロカと女亭主のやりとりにはまったく関心なさそうに、店の中の品書き札を指さした。もしできるなら部屋で食べたいと言う。 「ええ、それは構いませんけど……お泊りの分もあわせて、先にいただけませんかね」  男はくるりとムロカに向き直る。 「君のお姉さんの願い事のためなんで」 「俺が払うのっ? 金なんてないよ!」  頓狂な声をあげるムロカに、すかさず女亭主が、昨日は家の全財産を持ち出していただろうと指摘する。渋々財布を取り出しかけたムロカだが、 「いや、そうだ、実はあのあと滝の上から落ちて、そこらにぶちまけてしまったからあまり残ってないんだよ。袂に入れておいたせいで……ああ、僕としたことが、しくじったなあ」  いかにも悔しそうに首を振ってみせるムロカを、女亭主は小突く真似をして顔をしかめた。 「何言ってんだよ、だからあたしが、そんなことのないようにって巾着袋をあげて、中に入れてやったじゃないか」 「違うっ、あれは僕が母様の形見にもらったやつだ!」  癇癪をおこした子どものようなムロカに、女亭主は大仰なため息をついた。自分より上背のある頭を、童子にするようにポンポンと叩く。 「あんたは本当に……ちっとも変わってないねえ……ジウも苦労しただろうね……最後はまあ、最悪でも川の神様が娶ってくださると思えばね……」  何故か目を潤ませている女亭主を、イヤそうな顔をしながら邪険に振り払うこともできずムロカは立っている。  見ていた男はどう思ったものか、 「じゃ、立て替えておくってことで」  と卓子の上へ粒銀を置いた。 「あらやだ! お大臣様だねえ!」  女亭主が目の色を変える。ムロカはしかめつらのまま、オリザ酒はちゃんと渡したのに、と呟いた。 「ええ、ええ、それじゃあどうぞこちらへ、お足元、お気をつけて!」  二階は、本来は雑魚寝の寝宿であったらしい。大部屋が二間あるのをひとつ貸し切って、さらに衝立を借り、男は隅に陣取る。今日ほかに宿客が来なければ、もうひとつの大部屋がムロカの貸し切り状態になる。そちらの代金も、男が支払った銀で賄っていた。  ムロカが腰を落ち着けたほうの室にやってきて、男は荷袋にいれたままの生首を大事に抱えて座った。  とりあえず食事の心配はしないで済むと落ち着きかけていたムロカは、遠慮なくやって来た男を目の端で見る。 (やっぱり、話が違う、と抗議したもんかな……)  元々、姉が願いをかけるはずだった願いの実は、いま本来の姿になり、男がそれを所持しているのは理解した。そこに主従関係があるのか、生首に戻ったことで願いを叶える力は強くなっているのか、それとも変わらないのか、まったく説明を受けていない。  強くなっていて、確実に叶うというなら、別料金を請求されるのも分からないではない。が、そうでないなら、祠の近くで買ったオリザ酒はこの男に取り上げられたのだ。それで支払いは済んでいるではないか。なにが、立て替えておこう、だ。 「ここのひとたちは、あれを川の神と呼んでいるんだな」  男が世間話でもするように軽く言う。荷袋からは耳障りな声がした。  ――……チャンチャラおかしい。たかだか……のくせに、神か。 「わあ、おまえホント俗な言葉使い覚えたね」  どこか楽しそうに男は荷袋のふくらみを撫でる。話しかけられたはずなのに、蚊帳の外におかれたようで、ますますムロカは面白くない。  男はそんなムロカの様子に頓着するでもなく、窓辺に肘をついて外を眺めた。こちらの窓は、滝の方に面している。  改めて見ると、男は最初から気付いていたよりもずっと、大変な偉丈夫だ。不釣り合いなほど子どもっぽい笑顔をもっているから、顔だけ見ていると体躯を忘れる。  ムロカは密かに、白痴ではないかと疑った。そういう子供が生まれると、神の使いと見なされる村落は珍しくない。異形を親しく扱っているのも、それで説明がつく。  話す口調に知性を感じないということもないが、ムロカには意味の分からない言葉を端々に使うあたり、こけおどしに違いない。  「俺が話すから、精気は温存しておけ」  と言ったのは、やはり荷袋を撫でながらだったが、座りなおした男はムロカへ顔を向けた。 「――生贄については、この村のひとたちがいうところの川の神から聞いてる。上流の村が流してよこすが、問題がある、とな」  まるで直接聞いてきたような言い草だが、そんな子供騙しを、と口には出せない。なぜかゾクリと腕の毛が逆立った。窓外から、湿った重い空気が流れ込んでくる。 「やめてくれよ……いや、僕はここの村の連中とは違う、川の神だなんて、そんな古臭いものが本当にいるわけないだろう? そりゃあ、神のような存在がいるかもしれないとは僕も思う。あの神竜族がそうだ。だけど、生贄をほしがる神なんてそんな古臭い……非現実的だ……」  男は窓枠に頬杖をついていたが、きょろりと目だけ動かした。頬にあてていた手をずらし、口元を隠す。ムロカの思慮深さに驚いているのかもしれない。 「……まあ、そのへんはどうでもいい。ジウの会いたがっているハヤは、遠くにいるのか?」 「ああ、それなら……」  姉は聞かせまいとしたようだが、広くもない四阿での内緒話は無理なものだった。姉はまだ、祭りのあとの儀式で生贄として川に流され、そのまま帰ってこないつもりでいるらしい。  夢でもハヤに会わせて願いを叶えれば、生きて帰る気力も湧いてくるかと考えたが、あの様子では、むしろ満足してそのまま流されていってしまうのではないか。  それは困る。村の連中が悔い改めてムロカの前にひれ伏して褒め称える未来がだいなしだ。 「ハヤなら……呼んでくるのが難しいほど遠くにいるわけじゃない。夢で会うなんてまだるっこしいことをしなくても、本人を連れてくると僕は言ったんだ。それなのに姉さんは、なぜだかハヤには知られたくないっておかしなことを言って……」  今となっては、それもそのはずだ、と理解できなくもない。贄籠に三日三晩閉じ込められて清めの水を浴びるということは、不浄のものを体内から垂れ流し洗い流すという意味があったのだ。あんな姿は見せたくないだろう。  思い出して、軽くオエッとえずいたとき、覗き込むような男の目に気付いた。何を考えているか見通すような、見返せば、実際以上に大きく感じ、こちらを飲みこもうとするような目だ。  居心地悪く身じろぎして、さっきまで男がしていたように窓の外へ顔を向けた。滝の音が聞こえる。  湿度の高い風はどこかへ吹き過ぎ、甘辛く煮た肉と葱の匂いがした。蕎麦ができたのだろう。  程なくして二杯の肉蕎麦が運ばれてきた。男は借りた自分の室には戻らず、二人は向かい合ったまま、無言で平らげた。 「疲れているから、僕は寝るよ。なにしろ夜通し走ってへとへとなんだ」  食べ終えてからムロカは、冷えたのを一杯飲みたいのをこらえて宣言した。男は微笑んだだけで、からになった二人分の器を手に室を出ていく。  薄い布団に寝転がり、耳をそばだて、急な階段を降りていく足音を聞いた。  旅支度は、まだ解いていなかった。    「あらいやだ、声をかけてくれたらあたしがやりましたのに」  男が階段を降り切らないうちに、女亭主が前掛けで手を拭きながら慌てて寄ってくる。愛想良く笑いながら角盆を受け取り、女亭主はちらと荷袋に目をやった。 「貴重品用の金庫、ありますよ?」  使用料はこれくらい、と指を立てて突き出す。ろくに見もせず男は首を振った。 「同じ重さの黄金よりも……てやつだから、俺が持ってたほうが安心なんでね」  男の体躯を上から下まで眺め回してから、それはそうでしょうけどねえ、と 女亭主は肩をすくめる。 「ところで、あの……ムロカとは、いったいどういったお知り合い?」 「――滝のところで偶然会っただけですよ。修行中の身とはいえ僧侶ということで、生贄になるお姉さんのために祈祷を頼まれたんです」  あらかじめ決めておいた嘘をつるつる述べたが、女亭主は苦笑いで手をひらつかせた。 「ご冗談を。そんなわけないでしょう。あの子ったら生贄なんて古臭い儀式はやめるべきだって騒いで、噂じゃ長老衆の……いえね、とにかく生贄なんて迷信だから、姉を生贄にされたって屁でもないとかいって。みんな扱いに弱っちゃって、祭りが終わったら村を出ていけってことに決まってんですよ」  それが今更祈祷なんて頼むはずないない、とまた手を振る。しかしすぐに笑いを引っ込めて思案顔を見せた。 「……そうねえ、じゃあ、親しい仲でもないってんなら忠告しときますけどね。貴重なものをお持ちのようだし。ええ――あの子はちょっとそのう、思い込みが激しくてね。こうと思い込むと、見えるものが見えないっていうのか……自分のものでもないのに自分のものだと――盗もうとかそんなんじゃなしに、本当に自分のものだと信じて疑わない、とこう、そういう癖があるんですよ」  先に生贄と決まったハヤもね、と呟いてから、あら、と盆を傍の卓子に置き頬に手をあてた。 「そういや、お客さんを二階にご案内したあとね、ハヤが嫁いだ先はどこかなんて聞いてきたんですよ。言わないほうが良かったかしらねえ……よその男と番った女なんてとかぶつくさ言うから、てっきりもう執着してないものと思って……」  ムロカの姿が見えるわけでもないが、階上を気遣わしげに伺う。一緒に同じ方を振り返りながら、懐手をして男は答えた。 「まあ――どうにかなるんじゃないかな」  女亭主は知らないが、先刻、生贄となる予定のジウにも呟いた言葉である。  なにがどうにかなるのか深くは尋ねず、気休めを言ってくれたのだろうと男へ軽く首を傾け、女亭主は盆を持って奥へ下がった。
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