夢寐

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夢寐

 闇かと目を転じればほの白く明るい。  明るさに瞬きすればたちまち暗さが混ざり込む。暗がりとまばゆい明るさとが、漂う霧のように同時にその場を満たしていた。  天も地もなくはるか遠くまで広がっている。かと思うと、ひどく狭い箱の中へ閉じ込められているようでもあった。  男の夢の中は暖かく曖昧で、雲のように漂いながら、待っている。  やがて夢が体温を上げた。  男が訪れを待ち焦がれていたに違いない美姫は――しかし、一糸まとわぬ姿のために、女でないこと明々白々、ただ性別など超越してひたすらに白く美しい姿を現す。  細い裸身はしなやかな筋肉をまとい、流れる黒髪を一振りした。  夢の主を探すのか、花のかんばせのなか閉じていた目がきろりと開く。そこはふたつの暗く深い湖だ。白いところがまったくない。  湖面の藍色に満ちた眼窩は、過ぎた美貌のために受けた呪いの一刷毛、そうでなければこの世ならざる美しさの、最後の仕上げでもあるようだ。  その双眸が、己の仕事の出来栄えを確かめるようにちらと自身の体を見下ろし――股間の一物に気付いた。  途端、夢が振動する。  ――……夢寐に誘うときは! 雌体でと! あれほど言ったのに!  容貌を裏切らない美しい声が、あたりを轟かす音量で怒鳴り散らす。火を噴く勢い――どころか実際チロチロと炎を吐いていた。 「だから俺は、男の体のおまえしか見たことがないと言ったのに……」  悪びれる様子もない声音で応じたのは、この夢の主だ。男も生まれたままの、何も身につけていない姿で中空に浮かびあぐらをかいている。  怒られて不服そうに頬をふくらませて見せるが、訪れが嬉しくてたまらないのは隠せず、黙ってさえいれば精悍な顔がだらしなく笑み崩れる。  ――……ほーう……だからといって、女を抱いたことがないとは言うまい。 「そういうことではないって……惚れたおまえは男の体をしていたんだから、夢の中だろうと、抱けるというなら当然こうなるに決まってるということでだな……」  ――……黙れ。雄体は精がもれるから効率的ではないと言ったはずだ。 「ああ……おまえのその声も久しぶりに聞く。本当に俺の夢の中なんだな? 絹の褥でも望めば出てくるか?」  ――……夢寐の(おとな)いは精気を使うから無駄にするなとあれほど……。 「んー……出ないかあ。訓練すればできるものかな?」  ――……訓練させるほど何度もできることではない。 「うん、まあ贅沢はよそう」  ふわふわ漂いながら噛みあわない会話をかわす。白い肌が、怒りのためにほんのり血色が増している。男はそれへ手を伸ばし、ぺたりと触れて、感極まった吐息をこぼす。 「おまえにちゃんとさわれる。すごいなあ、触れている……ちゃんと感じるぞ」  ――……夢だ、おまえの妄想だ。全部。  剝き出した歯は、獰猛な牙の形だ。 「外側は、俺の記憶の姿形でも、」  あぐらをほどいて腰を抱き寄せる。ぴったりと下肢を合わせてから、後ろにまわした手指で形の良い双丘を割った。 「このなかは、おまえなんだろう? これから、精を注ぐんだから……そうでなければ、精気を消費するからと渋っていたのに、俺の夢寐に入り込む意味がない」  ――…………。  あたりを満たす光も闇も、男の感情に呼応するらしい。桃色の靄が漂いはじめ、褥のように二人のからだをおおっていく。  何も答えたくなさそうに引き結んだ口元を、男は先刻しわくちゃの実にしたやり方で、ほぐすように舐めていく。下の方では指先が、硬く引き締まった尻肉の奥を責めていた。 「俺は……多分、はしゃぎすぎているな? 許せ……おまえの体を全部取り戻すまでは、叶わないと思っていたんだ。これがはしゃがずにいられるか」  ――……おまえはただの食餌だ。  あたりが明滅して、少し薄墨を溶かした色合いが混ざった。  ――……ひとより精が濃いから都合が良いだけで、おまえでなくとも、ほかの……。 「俺にしておけ」  執拗な口づけの隙間をついては、異形の美貌が炎の舌をひらめかせ毒づく。ひとなら排泄孔にあたるところをくじられても眉ひとつ動かさなかったものが、不意になさけなく歪んだ。  幸福そうに肌を撫でさすり味わっていた男が、目を覗き込んでいた。 「俺にしておけ」  繰り返す不遜な言葉と裏腹に、置き去りにされた子供のような、受け入れられる容量を超えた痛みで辺りの空気が冷えていく。 「この世の王になるよりも、俺はおまえがいい……わかるだろう、……わかるはずだ、シ――」  熱情とは違う素早さで、白い顔が男の唇をふさいだ。色も薄い唇が男の唇をすっかり覆ったままで、声は鋭くあたりに響く。  ――……()の、名を、呼ぶな。 「ん……」  ――……おまえの、ものには、ならない。吾の名を呼ぶな。 「……」  男の、湿った目が閉じると、水滴が玉になって中空を漂った。長く伸びた黒髪にまとわりついて、夜露のようにきらめく。  口をつぐんて、男は愛撫をはじめた。うなじを、肩をくすぐり、鎖骨を噛んで、胸の粒を弄り出したところで耐えかねたように、パッと顔を上げる。 「本当にこれ全部、俺の妄想か? 竜族は卵生だから、これは存在しないと俺は本で読んだぞ」  無口とは真逆の性質らしい。白い体が小さくのけぞって睨みつける。  ――……つねるな、痛い! 「ええっ、ずっと無反応だから、なにも感じないんだとばかり……」  ――……感じないと思うなら、何故さっさと挿れない! 「そりゃあ、もったいな……つまり俺がそうしたいからで……またいつこんなことをしてくれるか知れないし……そうだ、それに俺が昂ったときのほうが、吐き出す精も濃いって言ってただろ? まあそれもこれも、俺が味わいたいからだけどな」  いたずらがバレた悪童のように言葉を重ねながら、指先はうごめくのを決してやめない。黒髪が、豪奢な鳥の羽のように広がった。  ――……吾を餌のように言うな! 「さっきは俺を餌と言ったくせに」  不服そうに尖らせた唇で、つねったばかりの粒をはさむ。唇を噛み、はじめて切なそうに首をふるのを見て、 「ずっと感じないふりをしてたのか? それとも俺がヘタか? もしかして痛いほうが好きか?」  質問攻めにしながら下へ手を伸ばし、ヒトの男なら急所である場所をやんわりさすった。細い脚が闇雲に宙を蹴って、官能を追いやろうとする。  ――……もうやめろ! 精が漏れる! だから雄体は非効率だと言ったのに! 「漏らせばいいだろう。漏らしたぶんも、いくらでも注ぐから」  腰を擦り合わせてゆすると、透けるほど白い頬に赤みがさした。  ますます嬉しそうに男が腰を突き上げたとき、ドンッ、と世界が揺れた。  木の根方でうずくまり眠っていた男は、なにかが駆け去っていく音を聞きながら目を開く。  抱えられていた生首は、男に蹴躓いたのが何者なのか、その力で見えていたかもしれない。しかし、脱兎のごとく逃げていく音の方へと向ける男の顔が、別人のように凶暴なのを目にすると、なにか思いなおしたように瞼をおろした。唇がわずかに開いて、耳障りな音がもれる。 「え?」  途端、男の表情から荒んだ気色がするすると抜けた。 「本当に? いいのか? ――続きからじゃなく、最初からだぞ?」  応えがあったのかなかったのか、男はたちまち先ほどと同じ姿勢で首を抱き、眠りの底へと深く潜っていく。  
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