願いの実

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願いの実

 ムロカが、誤解をといて解放されたときにはもう夜だった。  願いの実を盗んだ盗賊の一味と疑われ、騒ぎが大きくなったせいか、町に泊まっていこうにもどこでも断られ、仕方なしに村へと帰る。腹を満たす食事処まではムロカを追い払わなかったのが救いだった。  それでも、願いの実の台座であった盃を盗もうとした男だと、遠巻きにささやかれたが。  盃は、最後には野次馬のひとりが笑い出して、 「バカバカしい、盃なんてくれてやれよ。ここにおさめるとき間に合わせで、近所の荒物屋でホコリ被ってたやつを引っ張り出した安物だって、この辺の連中は覚えてるぜ」  と言うので、持っていく気をなくした。  おかげで盗賊団の仲間という疑いが晴れたが、盃を持ち出そうとした理由は詰問されて、仕方なく、村での祭りで生贄になる姉のためということを話した。  村の、時代錯誤な生贄などという話をするのはひどく恥ずかしかったが、どうやらハヤが本当に願いの実を頼りにして訪れていたのが分かった。  聞いていた見物人の中から、いかにも噂好きそうな女が顔を突っ込んできたのだ。 「それはあんた、前にここへ来た娘さんかい? 鳶色の髪の。生贄に決まったんだとか言って。やたら威勢良くオリザ酒ぶっかけてたよ。願いを叶えなきゃ承知しないとかなんとかってさあ」  容姿や振る舞いを聞くと、ハヤに違いない。その娘はとうに生贄ではなくなって、自分の姉が代わりになったのだと言うと、わあっと喝采が起きた。  側にいた警官が、ぽかんとするムロカの肩をなれなれしく叩いて苦笑いを見せた。 「悪いなあ、あの願いの実は結構気まぐれで。酒をかけたときに光ると願いは叶うとかいうけど、それもあんまり確かじゃなくってさあ」  そんなこんなのうち、身元だけは書類に残して、なんとなくうやむやに解放されたムロカだが、神職姿の中年男が最後に囁いたのだ。 「あんた、願いを叶えてほしいんなら、あんたも盗賊の連中を探しておくれよ」  衣装ばかりはキラキラしく立派だが、ずいぶんと俗な口ぶりで、 「町のやつらはああして騒ぐばかりだし、青制服も頼りにならないし。取り返してくれたら、あんたの姉さんとやらに一日貸してやったっていい」  礼金はないのか聞いたムロカだが、自分は雇われだから決定権がどうのとモゴモゴ言われ、金銭の約束はしてくれなかった。  仕方なく、祠からはやや離れた食事処で、最近できた名物という揚げ豆腐に葱と生姜をたっぷりかけたもの、それに甘辛く焼いた肉で飯を済ませて帰路についたのだ。酒は、熱いのをもう一本と言いかけたところで、往路に転がり落ちたことを思い出してやめた。帰りの食糧には、団子状に丸めた飯に味噌を塗って炙ったものを買った。  滝壺のところまで黙々と歩きどおして、そこから迂回路へと曲がる。  せせらぎの音と滝の音が遠ざかり、水の匂いより夏草の匂いが濃くなったあたりで、ムロカは足を止め、腰を伸ばし、腿を叩いたり脛をさすったりした。  夜はすっかり更けている。いくら足が速いのが自慢といっても休まずにはいられないから、手頃な木の根方で腰を落ち着けるつもりだった。  姉の願いを伝えてくることはかなわなかったが、どのみち叶ったり叶わなかったりということだ。願いの実が盗まれたという噂が村まで届く頃には、祭りは終わって、姉も生贄から解放されているだろうから、万事うまく事は済んだと報告しておけば姉も満足だろう。どうせ軽い思い付きで頼んだことに違いないのだ。  ふと、ムロカは不安げにあたりを見回した。  月明りで地面に白く転がるものは、ナツツバキの花だろう。ほっそりした木の影の向こうに、五本の指を広げる形に枝を伸ばした背の高い木は、サルスベリかもしれない。  まだ父親が生きていて、家族で遠出をしたとき、母親が教えてくれた。それとも姉だったろうか。父親が死んでから、姉にはずいぶんつらくあたられた記憶しかないが、草木や野の花に詳しくて、あれこれ指さして名前を言う姿を覚えている。本当に、役に立たないことばかり知っていて、ムロカの身の回りの世話など言い逃ればかりでろくにやろうとしない、それどころかムロカに押し付けようとする姉だった。  そんな姉でも、願いをかなえるために散々な目にあいながら町まで走った自分は、もっと感謝されてしかるべきだ。願いの実に注ぐためのオリザ酒は、せっかく町まで来たのだからと二本買い求め、袂に入れてある。確かに町まで行ったという証拠にするつもりだったが、一本はここで飲んでしまっても構わないのではないか。  と、袂を探って竹筒を取り出したところで、ムロカは何故自分が、なんとなしに足を止めたのか、その原因にようやく気が付いた。  月明りに草木が影を落とす中、落花が道しるべのように白く光を浴びている。  その先にやはり淡く輝く花をつけた木の下、うずくまる姿があった。  町の連中の話では、体格の良い男が川沿いに上流へ向かって急いでいる姿を見た者があり、それが盗賊やもしれぬと川沿いは虱潰しに探したのだそうだ。  ということは、川沿いは安全だからと、滝壺まではずっと川に沿って歩いてきた。  今は、川から離れて迂回する道へと踏み込んでいる。  サルスベリの根方には、その、話に聞いたのと同じかどうかはともかく、確かに暗がりでも分かるほど体格の良い男が座していた。なにかに顔をうずめ、微動だにしないのは眠っているかと見える。  ムロカは総毛立つ思いで目を凝らした。  それは、面妖な光景だった。  男がしっかり抱えているのは、見間違えでなければ、その下にあるべきはずの体のない、生首に見える。男の膝で体を横たえていると見るには、首の角度がありえない。  ムロカは手探りで竹筒の栓を抜き、ぐびぐびと喉に流しこんだ。そうする間も視線を動かせない。  夜目にも眩い、黒髪の生えた生首だ。ムロカの立っているところからは横顔がのぞくばかりだが、その皮膚が内側から淡く輝いている。しかも蛍のようにかすかに明滅しているのが、息遣いのようで恐ろしいのに艶めかしい。  ムロカはしばし口を開けて見入った。 (願いの実は……) (光ると願いはかなうって……) (一房の黒髪が生えた面妖な石だと……) (黒髪の……)  吸い寄せられるようにそろそろと近づくと、やはり男の抱えたものは、黒髪を流した願いの実だ……ひとの生首のように見えないでもないが、生首が光るはずがない、髪はひと房どころではなく、当たり前のひとのように豊かに生え伸びているが、やはり盗賊団に盗まれたという願いの実に違いない……。  ムロカは覚えず生唾を飲んだ。  夏草が丈高く茂る中、足音を忍ばせるのは難しい。しかし生首の目は閉じていて……いいや、生首などではなく願いの実だ……抱えている男は眠っている。  滝の音、川のせせらぎはまだここまで聞こえた。それが気配を薄めてくれるものと信じて、一歩、二歩と近づく。  怪しいことに、黒髪は生き物のようにうねり、ふるえ、時折けいれんでもするように、跳ねて寝ている男の着物の裾を叩いている。ひとびとに祀られる、神通力を持った妖か、あるいは神族の器に違いない。町で祠に祀られるだけのことはあったのだ。  浅く荒くなる呼吸を飲み込み飲み込みしながら、ムロカはさらに近づき、姿勢を低く、手を伸ばして、うごめく黒髪をとらえた。  はずだった。 「熱つつつっ!」  氷を掴んだような感覚の混乱のあと、燃えるような痛みで悲鳴をあげ、尻もちをつく。咄嗟に、まだ遠く離れてはいなかった川へと走った。  その襟首を後ろから捕まれ、首が締まる。  きりきりと耳障りな、聞き取りにくい声が「川へは行かせるな」と言ったようだった。 「おまえ、声が出るようになったか?」  僕はなにも、と言おうとしたムロカだが、喉が締め付けられて声が出ない。耳障りな音がまた響く。つかんだ襟首をそのままに引きずられ、不気味なことに、背後の男はくふっと笑った。 「そうか、中断したくないくらい良かったか」  なにか鞭打つ音と、痛い痛いと痛くもなさそうに男が言う。  ずしりと押さえつけられ、土と夏草が鼻から入りそうだ。つい先刻にも同じように押し潰されたが、体の数箇所を押さえられているだけの今の方が、まるで身動きが取れない。  息をつこうと首を捻ってもがいた。しかし上を向いて盗賊の顔を見てしまったら、こちらの顔を見られてしまったら――命が危ない。  おそらく盗賊団の一人だ。願いの実を、無防備にさらして寝ていると見せかけて、追っ手を罠にはめたのだ。  そうとなれば――ムロカは腹を決めた。  自分はただの通りすがりで、こんなところで寝ている旅人が不用心だから声をかけようとしただけなのだ。そうなのだ。  事実、そうであるとしか思えなくなった。  口に入った泥混じりの草を吐き出して、そう弁明しようとしたとき。 「酒の匂いじゃないか」  着物の袖が引っ張られ、袂を探られた。場違いな、桃のような果実の良い香りが漂う。 「オリザ酒だな。一本は栓がぬけて、中身がもれてしまってる――もったいない。それに、ああ、手のひらがひどい火傷だ」  されるがままになっていると、長老衆でも聞いたことのない嗄れ声が何かを命じた。抑揚からそれらしく聞こえるだけで、はっきりとは何を言っているのか分からないが、男には聞き取れるらしい。 「そんなこともできるのか? まあ、焼いたのはおまえなんだし――タダで治してやれば? ……いや、それとは話が別で……だからほら……また、つまり、最初から……頼むよ、殺生なこと言うなあ……」  湿った地面に押さえつけられたままのムロカは、男のおしゃべりを聞くうちいくらか落ち着いてきた。と同時に、ムラムラと腹が立ってくる。  盗賊相手にやりあうほど愚かではないが、この状況は、何らかの交渉を持ちかけるために声をあげても良いはずだ。  しかし、 「おまえ、願いの実に願掛けにきた奴か?」  投げつけかけた文句は、先をこされて喉の奥でつまった。ちゃぽちゃぽと水音がして、オリザ酒の水筒を頭上で振っているらしい。 「竹筒に子供だましの呪い文が刻んであるな……へえ、祠の隣で売っていたのか……これを使うと願いが叶う確率があがるとかなんとか……?」  しん、と周囲が静まり返った。男が口をつぐんだだけのことだったが、こちらからは表情の見えない不気味さと、圧倒的な体格差による本能的な恐怖が、ムロカに叫ばせた。 「誰にも言いません! あなたがたがここにいたこと、町の人には言いません! 僕はただ、村に帰る途中なんです! 明日にも生贄になる姉のもとへ急いで帰らないといけないんです!」 「とって食う訳でもなし、そんな怖がらなくても……俺のせいか? そりゃあ良いところで邪魔されたのは業腹だけど」  男の不服そうな呟きのあと、ぐいと引き起こされた。体が回転し、男と向き合う格好になる。  ――……生贄といったな。  胸ぐらを掴んだまま顔を覗き込んでいる男の顔は、月明かりを背にして暗く、一層大柄に見える。詰問口調は、しかし男とは別の、かろうじて聞き取れる、先程の嗄れ声だ。  ――……話せ。詳しく。  目を凝らせば、男の首には黒髪が絡みついている。その先に、よせばいいのに視線を移した。  そこには目にした男も女もこの世の生を絶望させるような、凄艶な美貌の生首がぶら下がり、ムロカを睨みつけているのだった。  
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