⑥認めるしかない

1/3
37人が本棚に入れています
本棚に追加
/24ページ

⑥認めるしかない

「へー。可愛いデザインだな」  皿を洗い終わった辰己は、次のCMで使われるハンドクリームを手に取り言った。 「一旦香り男子はこれで最後なんだろ?」  前と同じように渡された袋から取り出し、テーブルの上に並べた尚斗がそう聞けば、「らしいな」と辰己は頷いた。 「でも第二弾とかありそうだよな」 「確かになー」  二人で頷く。  今もどちらが勝っているか、姫蕗から伝えられることはない。ただCMも含め大好評だということだけ。だがそれが聞けるだけで十分だ。別に相手よりも売れたいという考えはなく、ただどちらも売れてくれればいい。喧嘩は両成敗だが、こういう勝負を辰己とはしたくないからだ。 「んで? これのイメージは恋人、だっけか」  辰己の言葉にヒュッと息を吸い、固まる。 (なんてベストタイミングなんだ)  どうにか心の中で笑顔を作るが、本心はふざけんなこの野郎である。 「たしかー、そうだった気がするーなー」  わざとらしいにも程がある言い方に憐れみの目を向けた辰己には、一発後頭部にチョップを食らわせた。 ――――辰己と仲直り? をし、ついでに永原に説教をくらった日。車でマンションまで送ってもらっている間に永原からこれを渡されたのだ。 『あれ、姫蕗社長からの説明は?』 『今日は娘さんとディナーだとよ』 『あー。月一のやつな』  キキー! とブレーキ音が響くと同時に身体が揺れるも、倒れぬよう体重を傾けながら会話を続ける。 『姫蕗社長ってほんと娘さんのこと大好きですよね』 『まぁ母子家庭だしなー』  永原がキャンディーを口の中で転がす。きっとカラカラと音がしているだろうが、永原の運転のせいでそれは全く聞けずにいる。 『ま、これで三つ目だし、お前らも慣れたろ』  彼はそう言い、簡単に会社側からの要望を簡単に並べていった。  今回の撮影はハンドクリーム。イメージは恋人。そこに色っぽさが欲しいらしい。  撮影もCMも前は一人ずつだったが、今回は二人で一緒に撮影予定だ。  んで、香り男子は一旦終了となる。 『今回色気が欲しいっつーのは、シャンプーの時の尚斗が好評だったから、だそうだぜ?』 『へー』  答えたのは辰己だ。尚斗は聞こえなかったふりをして外を眺めた。 『とにかく、そんな感じだ。質問がある人は挙手』  その言葉に間が開くことなく、永原が『よし』と頷く。 『いねぇな』 『質問させる気ねぇだろ』  呆れて辰己は言うが、別にこちらからの質問はない。彼の言う通り香り男子はこれで三回目だ。あとは現場でのやり取り次第だ。 『んじゃ、宜しく頼むぜ』 (よろしく頼むぜじゃねぇんだよ)  永原に相談したこともあり、辰己に告白されたことを知っている筈だ。それなのに恋人というイメージでの撮影なんて、一体どういう気持ちでそれを自分たちに伝えたのだろう。  いや、別に何も気にしないで言ったに違いない。それどころかそんなこともすでに忘れている可能性も。とにかく彼は稼げるなら何でもいいのだ。 「あんまシャンプーの時の匂いと変わんねーな」  辰己は自分が担当するハンドクリームの蓋を開け、鼻を近づける。  チューブ型のそれは、レースのイラストに、薔薇が中央に大きく咲いていた。黒と赤で彩られるそれはゴシック系とも言えるだろう。 「そっちは?」 「こっちもあんま変わらない気がする」  すでに蓋を開けていた尚斗はそう返し、なんとなく手のひらにそれを出してみた。  どこかプルンとした感触に「おお」と声を上げてしまう。尚斗が知っているハンドクリームはこんなにみずみずしくなかった気がする。 「もしかしたら匂いというより、こう・・・・・・浸透っつーか、塗り心地がいいのかもしんねぇな」 「ふーん」  どうでもよさそうな返事を聞きつつ、手のひらの上にもう片方の手のひらを置いて、伸ばしてみる。すると今まで感じたことの無い感触に、また尚斗は声を上げた。 「なんかふわふわしてるっ! なのになんつうか、すぐに浸透して、でも手の周りもコーティングするようにふわふわしてる!」 「ふわふわばっかだぞ」  食レポならぬハンドクリームレポに笑う辰己。それに尚斗はムッとし、「お前もやってみろよ」と言うが、彼は首を横に振った。 「匂いのするハンドクリーム、俺好きじゃねぇし」  辰己は料理をするため、ハンドクリームも持っている。荒れないように欠かさず付けているそれは無臭のもので、ただただ手をガードするものとして使われているのだ。 「料理してっときはそれがいいかもだけど、別に今は匂いがしたっていいじゃねぇか」 「使ってみないと撮影のとき、困るかもしれねぇだろ?」と続ければ、ブスッとひねくれた顔へと変化する。それは分かっているけれど嫌なものは嫌だと駄々をこねる子供と一緒だ。  仕方ねぇなと尚斗は今使ったハンドクリームを持ち、立ち上がる。そしてソファに座っている辰己の横に座って手を取った。 「おら、塗ってやるよ」 「あ? ちょ、ナオ、おい」  どこか焦ったような声は無視し、先程よりも量を多く手のひらに出す。そしてまた手のひらで伸ばして、その手で辰己の手を包んだ。  食器を洗ったせいか、若干冷たい彼の手を温めるかのようにさすり、それと同時にハンドクリームを馴染ませる。 「ほら、ふわふわだろ? なのに浸透するだろ?」 「分かった、分かったから、もう離せ」  手を引き抜こうと力が入るが、そこは逃がさないとばかりに両手で押さえる。ぬめった手で滑るが、なんとか手の中に留まらせることに成功すれば、そのままマッサージをするように親指で辰己の手のひらを押した。  ふわりと優しい匂いがし、尚斗はより気分が良くなる。 「気持ち良くねぇ?」  ぬるぬるするそれらを利用し、指先も掴んでギュッギュッとマッサージをする。実際にやったことはないため、見よう見まねである。 「いや、そういうんじゃなくて」 「良い匂いだし、なんかハンドクリームが溶けてタツと手が一つになった感覚ある」  温まった辰己の手とマッサージをする自分の手。同じ体温で混ざり合うそれは、まるで二人の境目が無くなって、ハンドクリームのように溶けてしまったようだ。 「温かくて気持ちいいな」  呟くように言えば、「あーもー、勘弁してくれ」ともう片方の空いている手で彼は自身の顔を覆った。 「もういい。分かったから手を離せ」 「なんだよ。気持ち良くねぇの?」 「気持ちいいから困ってんだろ」  辰己の言葉に尚斗は「あ?」と眉を寄せる。 「なんで?」 「てめぇなぁ・・・・・・」  大きな溜息をついて彼はマッサージを受けていた手を動かし、尚斗の手を握る。そして先程までやっていたそれを真似るように動かした。  温かくて気持ちがいい。マッサージする側も気持ちよかったのだから、マッサージされるともっと気持ちがいい。  ほう、と溜息をつけば、そっと顔が近づいてくる。 ――――あ、キスされる。  そう思ったけれど、それを拒否する気持ちはない。  手が気持ちいいからなんて。言い訳に使えるのだろうか。  近づく彼の顔を拒絶するどころか、瞼を閉じて受け入れようとした瞬間。 「だーっ!!」 「んむっ!」  突然口元に手が置かれた。  息苦しくはなかったが、一体どうしたのかと口元にある手に触れれば、そちらに気を取られた尚斗のもう片方の手から彼の手が逃げていく。 「お前、マジいい加減にしろよ」  尚斗から手を奪還した辰己は、そっと押さえていた手をゆっくり退かした。 「こっちが必死に我慢してるってこと、お前は知ってんだろ」 「は?」  どういうことかと首を傾げれば、舌打ちをして辰己は明後日の方向へと向いてしまう。  必死に我慢している? それは一体なにを・・・・・・と考えたところでハッとする。 「あ、俺に触らないっていうあれ?」 「・・・・・・・・・・・・」  特に考えずに口にしたが、ほんのり耳が赤くなっている辰己を見れば、自身が恥ずかしいことを言ったと理解する。  邪な気持ちを抱いてマッサージをしたわけではない。だが二人で交わるような行為だと気付かされれば自分は何てことを! と恥ずかしくなる。 「わ、悪い。なんつーか、あの」 「別に、お前はそういう意識なくやったんだろ」 「まぁそうだけど」  辰己の言葉に頷けば、また彼は溜息をついた。 「分かってる。てめぇがそういう目で俺を見てないってことくらい」 「・・・・・・・・・・・・」  言い訳とか、取り繕う必要はない。実際そうなのだから。だが今の言葉は尚斗を苛立たせた。 「確かに見てねぇよ。でもそんな言い方ねぇだろ」 「へぇ? じゃあ何て言えばいいんだよ。期待なんかしてねぇって言わせたいのか?」 「そうじゃねぇだろ!」 「じゃあどういうことだよ。お前はどうして欲しいんだ、あ?」 「ただ、俺は・・・・・・」  ハンドクリームの使い心地を知って欲しかった。マッサージをしたのは何となくで、そしたらなんだか気持ち良かった。 (このまま全部言ったところで、もう近づくなと言われそうだな)  触れるのを我慢している。それは恥ずかしいから待ってと言った自分に応えるためだ。それなのに自分からそれを壊すだなんて、そりゃ辰己は怒るだろう。  だが自分がどうしたいのか、未だに答えが出ていない、否、答えを見つけたくない。 「悪かった」  一言そう呟けば、辰己はゆっくりと溜息に似た深呼吸をし、ガシガシとこちらの頭を撫でてきた。 「ちゃんと待つから」 「あぁ」  犬を撫でるようながさつさが、今は丁度いい。  彼に向ける想いが彼と同じものになるのかは分からないのに、待つと言ってくれている。 (甘えてるよなぁ)  短気で我儘で喧嘩好き。そんな彼が待つだなんて地球がひっくり返るくらいすごいことだと思う。それに応えられない自分に腹が立つけれど、そう簡単に心を変えるなんて出来ない。  大切な相棒で親友の彼だからこそ。  グッと唇を噛み締めれば、テーブルに置きっぱなしにしてある辰己のスマホが鳴った。  互いに顔を上げて画面を見れば、永原の文字がある。今日は仕事も休みだというのに、一体どうしたのだろう。  クエスチョンマークを二人で浮かべ、なんだろう? と目で会話をする。そして辰己は「なんだよヤンキー」と出た。  また何か怒る声が聞こえたが、すぐにそれは無くなった。比較的短い怒りにどうしたのかと思えば、だんだん辰己の顔が渋くなっていく。 「それ、普通俺らがその香りに合わせるもんだろ」  辰己は低く唸るように言う。 「俺らに合わせるとか、もうちょっとマシな言い訳なかったのかよ」  喉の奥で彼は笑った。 「まぁいいぜ。行ってやるよ。またこういうことになる前に潰しとく方がいいだろ」  それから何度か相づちを打ち、そしてスマホを切る。そしてこちらが聞く前に、辰己が口を開いた。 「なんかハンドクリームの匂いを変えたいらしいぜ」 「へー」 「理由としては、俺たちに合わせた香りにしたいとか」 「は?」  彼の言葉にパチパチと瞬きをする。そしてそこで先程の辰己の言葉を思い出した。 「確かに俺らが普通それに合わせるもんだな」 「だろ? でも企画部の方が一度でいいから来て欲しいっつーわけだ」 「俺らを見て匂いを決めるため?」 「ま、建前はそうなるな」  うんうんと頷く辰己に、尚斗は逆にうーんと唸り、「これって」と彼を見た。 「厄介案件?」 「そういうこと」  辰己は頷き、そしてどこか愉快そうな顔をする。厄介案件ならば面倒くさいとかぬかすのに、今回に限っては違うようだ。嫌な予感しかしない。 「ほどほどに、な」 「りょーかい」  一応頷いた彼は高校初日に番長を乗っ取ると言った時と同じ顔をしていて、尚斗は企画部に向かって先に拝んでおいた。
/24ページ

最初のコメントを投稿しよう!