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①モデル
――――五年前。
それはのち『春の悪夢』と言われるようになった。
「・・・・・・・・・・・・」
腕を組みながら校舎に寄り掛かる。その周りには倒れていたり、痛そうに呻いている男が十人以上いた。だが岩辺尚斗(いわべなおと)の瞳は少し離れたところにいる二人を真っ直ぐに見つめている。
「てんめぇっ!」
「無様に叫んでんじゃねぇよ、先輩」
赤いTシャツの上に開きっぱなしの学ラン。片方の左の耳朶にはその色の対とも言えるであろう青いピアスが輝いていた。
彼は口角をつり上げ、すでにフラフラの〝先輩〟の腹に思い切り膝を打ち込む。
「おらよっ!」
「うっ・・・・・・!」
先輩はその腹を押さえ、腰を丸くしながら後ずさった。砂がジャリと音を鳴らし、どちらの方が優勢であるかを教えてくれる。
瞬きもせず、無表情で尚斗は見つめていたが足元に落ちていたへこみがあるバッドを手に取る。そして視線はそのままに手にしたそれを放る。すると「がっ!」と声が響いた。
「手ぇ出すんじゃねぇよ。タイマンの邪魔するなんざ不良の風上にも置けねぇな」
けだるげな声にも関わらず、尚斗の周りの空気が一瞬にして冷える。そうだ、それでいい。
視線の先の勝負はもうすぐで終わりそうだった。
「んじゃ先輩、そろそろ終わらせようぜ?」
「っ、く、くそがぁぁぁぁぁ!」
がむしゃらに拳を向けてくるが、力も入っていないそんなもの無意味でしかない。その証拠に彼は距離を取るどころかむしろ近づきながら首を動かして避けた。
「ははっ! そしたらいただくぜ?」
細く輝く瞳は獰猛な獣のそれで、先輩とは桁違いの力で拳を握る。腰を屈め、懐に入ったと思えばそのまま先輩の顎を殴り上げた。
「――――っ」
悲鳴はない。もしかしたら歯が何本か逝ったかもしれないが、そこを心配してやる義理もない。だが倒れていた男共からは「番長!」という声があちらこちらから上がり、まるで蛙の合唱だ。
今の今までそれを指揮していた先輩もとい番長は背中を地面につけて意識を失っている。よくそんなんで頭なんかやっていたな、と尚斗は内心鼻で笑った。
「今日から俺がここのトップだ」
その合唱を黙らせるように赤くすり切れている拳を頭上へ上げ、振り返る――――今日からここの番長は佐賀原辰己(さがはらたつみ)だ。
「別に俺の下でへこへこする必要はねぇ。俺は俺で適当にすっから、お前らはお前らで勝手にしろ」
そう言った彼の瞳がようやくこちらを見る。そこには「それでいいな?」という確認の意が込められていて、「いいんじゃねぇの?」と尚斗は肩を揺らした。
「んじゃ、解散」
邪魔虫はいなくなれとばかりに手をヒラヒラさせると、合唱していた蛙が元番長を背負ってどこかへ消えていく。まだ伸びている奴が数人いたけれど、夕方にはきっと目が覚めるだろう。放っておいても問題はない。
尚斗が校舎の壁から背を上げる。そしてこちらに向かってくる辰己に拳を作った。それに倣うように辰己も拳を握る。二人の手は赤や紫で染まっているけれどそんなことどうでもいいとばかりにゴン! と拳同士を打ち付けた。
「「っしゃあ!」」
そこでようやく互いに唇をつり上げて笑う。周りから見れば先程の獣のような瞳が嘘だったかのような錯覚に陥るだろう。だがこの笑顔こそが年相応だ。
「思ったより簡単だったな」
「ナンバーワン不良校ってうたわれてんのもただの噂だったってもんよ」
合わせていた拳、尚斗の手が取られ辰己の方へと引かれる。一歩前に出れば肩に腕が乗って顔が近づいた。
「これで高校も安定ライフが送られそうってもんだ」
「なにが安定だよ、中学の時は暇だ暇だってうるさかったくせに」
「は! 違いねぇ!」
クツクツと笑う喉に、それに合せて揺れる茶髪。ハーフアップの髪は喧嘩をしていたことなんか知らないと言うように綺麗なままだ。
「そんときゃまたお前が相手してくれりゃいい」
「おい勘弁しろよ」
「いいじゃねぇか、なぁ?」
辰己は肩に乗せていた腕の先、その手で尚斗の耳朶に触れ、辰己とは逆の赤いピアスを確認するかのように指先で撫でた。
「俺の相手が出来ンのはナオ、お前だけだ」
「へーへー、そうやって機嫌取るのいい加減やめろよタツ」
その手を振りほどき、尚斗は砂が付いた学ランを払う。尚斗が来ているTシャツは青色で、こちらもピアスと対になっていた。「別に機嫌を取ってるわけじゃねぇよ。本当のことだ」
辰己も適当に学ランと赤色のTシャツを払い、そしてまた尚斗に腕を預けて二人で歩き出す。それに諦めるように溜息を吐き、だが仕方が無いと口角に弧を描いて同じように辰己の肩に腕をおいた。
「ま、たまになら相手してやるよ」
「はは! 言質は取ったかんな」
「たまにだからな」
「おう!」
まるで太陽みたいに笑う彼に、ほんと喧嘩好きなバカだと思いつつも尚斗もまんざらではない。喧嘩中とのギャップがすさまじいと思うけれど、中学生からの付き合いだ。驚く時期はとうに過ぎた。
「明日先生とか怒ったりすんのかな」
倒れていた彼らが視界に映らなくなり、少しだけ振り返って尚斗は口にした。
中学生の時は何度か担任の教師から説教を受けたり、反省文なんてものも書かせられた。だが言って聞くような子供ではないと悟った頃にはもう『怪我をさせたらダメ』と言うだけだった。まぁ、自分たちから手を出しているわけではなく、向こうから喧嘩をふっかけてくることを教師陣は理解しているからだろう。
それへの報復が問題なだけであって、だからこそ怪我をするほど相手にするなという意味である。
「別に何も言わねーんじゃね? ここ不良校だし」
都内から離れたここは忌み嫌われる高校で、それは辺鄙な地にあるだけではなく、なぜかしら不良が集まるからだ。
いつ頃からこんなことになっているのか二人は知らないが、別にそれを知りたいわけでもない。ただ面白そうという理由からここに二人で進学した。
「でも流石になんかあると思うけどな」
「そんときゃあ、そんときだろ。赤信号お前と渡れば怖くないってか?」
「あー、まー、そうだな」
尚斗は頷いて、近づいた校門を見る。流石は不良校。石で作られているであろうそれは色々な色でペイントされていた。だがその前には筆で書かれた立派なものが立てかけられている。
(いや、でも流石に不味かったんじゃねぇの?)
『入学式』と書かれているそれを見て、うーんと首を捻ったが、もうやってしまったものはやってしまったのだから仕方が無い。もし怒られるとしても辰己が一緒だし、もし退学になったところでその時も辰己と一緒だ。それならいいやと思っている自分に苦笑せざるを得ないが、実際にそれが本音なのだから構わない。
「あ、そういえばよナオ」
何かを思い出したように辰己がこちらの名前を呼ぶ。
「ん?」
入学式と書かれたそれから視線を辰己に戻せば、肩に置く腕とは反対の手を先程と同じように拳にして突き出す。
「高校でもよろしくな、相棒」
「こちらこそよろしく。番長」
返しながらこちらの拳をそれにぶつけた。
「おいお前が番長っつーのはやめろって中学から言ってんだろ」
「番長には変わりねぇんだからいいだろ」
「よくねーし」
面白くなさそうに唇を尖らせる辰己に尚斗は笑って「はいはい」と再度拳をぶつける。
「よろしく、タツ」
「おう!」
互いの肩に腕を預けるのは信頼の証。拳をぶつけるのは仲間の証。それから親友、唯一無二、その他諸々。
喧嘩好きな不良少年、尚斗と辰己がこの不良高校の頭を取りに行き、簡単にその座を奪ったのは――――
「楽しい高校生活を送ろうぜ! ナオ」
――――高校一年生になったばかりの入学式の日だった。
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