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(かーらーの、これってどういうことだろうな?)
それから五年の歳月が過ぎ、今も辰己と仲が切れることなく繋がったまま。という言葉は二人にとって少し軽い。現在は二人で一緒の仕事に就いているのだ。
「あー、もうちょっとこっちに視線向けて。そうそう。あ、それすごくいい。その薔薇、好きに食べちゃって」
(薔薇を好きに食うってどういうことだよ)
視線の先で行われているのは雑誌の撮影だ。真っ赤な薔薇に囲まれ、少しだけ乱れた黒いスーツ姿で辰己がカメラの前に立っている。
緩んだネクタイをより緩くしようとするようにそれに指を引っ掛け、そしてもう片方の手で花びらを散らしながら薔薇に噛みついている。
鋭い目つきはあの頃から変わらず、ただその先にカメラがいるようになった。
「そろそろ尚斗さん準備始めまーす」
「あ、はーい」
違うスタッフから声を掛けられ、組んでいた腕を解く。尚斗の服装も辰己と同じ色のスーツだが少しだけデザインが違い、こちらの方がフォーマルな感じだ。
しっかり締めたネクタイに、染めたことのない髪の毛はワックスで緩く毛先を跳ねかせ、前髪は横に分けている。その見た目は辰己のカジュアルと同じようだが、そのデザインの違うスーツがフォーマルさを引き出していた。
カメラ付近まで行けば、スタッフが髪型や化粧を直す。一人での撮影は辰己よりも先に行ったため、彼のピンの撮影が終わるのを待っていたのだ。
控え室で待っていても構わないのだが、必ず互いの撮影を見ることになっている。というのも、まだ撮影に慣れていない頃はまるで怯えるウサギのようにずっと一緒にいたため、それが当たり前になったのだ。
(まぁ、俺も辰己の撮影見たいし、逆に俺が撮ってる時は辰己がいた方が気が楽だし)
三年も経つのに一人での撮影が不安だなんてガキみたいだと思うけれど、三年も常に一緒にいたのだ。今更変えることなんて出来るわけがないとも思う。
「はーい、そしたら尚斗さん入ってくださいー」
「了解でーす」
固まった身体をほぐすように伸びをしながら辰己の元へ。その間にスタッフは床に散らばった薔薇を少しだけ減らし、代わりに先程尚斗が撮影で使っていた羽を散らしていく。
「おら、これ」
その羽を一枚拾い、辰己は尚斗に渡した。
「あんがと。あのさ、さっきマジで薔薇食ってたの?」
「んなわけあるか」
羽を受け取りながら聞けば、真顔で辰己は否定する。しかし別にそこまで興味がなかった尚斗は薔薇を拾いながら返した。
「でも噛んでなかったか?」
「唇で挟んだだけだっつーの」
「へー」
適当に返事をしながら「はい」と辰己には薔薇を渡す。それはスタッフが新しくしたものらしく、まだ綺麗な花の形を保っていた。
それを彼が受け取れば「んじゃ、撮影続けまーす」とカメラマンから声が掛かる。
「いつも通り自然体でお願いします-」
「はーい」
「あいよ」
尚斗と辰己はそう返事し、互いに相手を見た。
フォーマルな自分とカジュアルな辰己。羽と薔薇が混じり合う床は美しく、しかしその存在は相反するようなものだ。
「どうする?」
「今度はお前が薔薇食ってみれば?」
辰己はこちらから受け取った薔薇をまるで食べさせるように口元まで持ってくる。
「マジかよ」
それに尚斗は笑い、「じゃあ」とこちらは羽を彼の口元へ。
「タツは羽な」
「え、俺の方めちゃくちゃ難易度高くね?」
「お前なら出来ると信じてる」
小さく笑って近づけたそれで唇をくすぐると、辰己は「てめぇ」と瞳で唸った。
茶髪をいつもよりも丁寧にハーフアップさせ、カジュアルなスーツ姿の彼を引き立てるのに羽では役不足だ。しかしそれは一人で撮る時のこと。
「んじゃ、これは?」
唇をくすぐっていた羽を今度は彼の首、動脈に当てた。
「っ」
その柔らかいその感触がくすぐったかったのだろう。少しだけ表情を歪めた辰己に尚斗は「いーじゃん」と笑う。
「羽に命を左右されるってどんな気分?」
「そらー最悪だ」
彼はそう言葉を返しながらも、「じゃあ今度はてめぇだ」と口元に持っていた薔薇をその手でぐしゃりと潰し、命を握られているとは思えない――まぁ実際握ってはいないのだけれど――挑発的な笑みを見せてそれを尚斗の頭上に持ち上げた。
「薔薇に溺れるってどんな気分だ?」
――――バシュッ!
フラッシュがたかれる。きっとそれを確認するモニターには、まるで羽をナイフのように辰己の首に当てている尚斗と、薔薇でこちらを溺れさせようとばかりに頭の上に花びらを散らす辰己が映っているのだろう。
その表情は学生の頃、他の連中ではなく暇つぶしに二人で拳を交えていた時のものと同じに違いない。
カメラの音はまるで時計の針の音のように慣れ、耳には響かずに消える。撮影していることを全く気にしないで二人は会話を続けた。
「薔薇に溺れるとか、結構ロマンチックじゃね?」
「じゃあご希望通り溺れさせてやるよ」
「おあっ!」
突然辰己が尚斗の足を払い、バランスを崩す。だがその腰を辰己がしっかり掴んだため、そのまま転ぶことはなくゆっくりとしゃがんだ辰己の膝に乗せられた。
「おい、びっくりしただろうが」
背後にいる彼へ顔を向ければ辰己は床にある薔薇を片手で掴み、そしてハラハラと尚斗の上に降らせる。伸ばした状態の脚にもそれを散らした。
「どうだ? ロマンチックか?」
「・・・・・・えー、んー、そうだなぁ」
尚斗はわざと考え込み、そして悪戯に笑って「こうしたらロマンチックじゃね?」とこちらの腰を掴んでいた手を取る。そしてそのまま赤いピアスが輝く右耳に導いた。
すると一瞬辰己は驚いたような顔をしたが、すぐにいつもの表情に戻り、指が意思を持って動いた。
尚斗の耳を隠している髪の毛を退かし、赤いピアスを露わにさせる。そしてまるでカメラに見せつけるように耳朶を親指と人差し指で挟んだ。
「ほら、これでど?」
「へぇ? どーこがロマンチックなんだか」
すでに数回たかれたフラッシュがまた輝く。
「じゃあこうは?」
尚斗は手していた羽で、こちらとは逆の耳についている辰己の青いピアスをくすぐった。
互いに相手のピアスをカメラマンに見せつけるようなそれが、これでもかと引き延ばされてビルの看板になるなんて、この時の二人は知りようもない。
「おいお前、調子にのんなっつーのっ!」
「ちょ、おいっ、それはズルいって、あはははは!」
耳朶から辰己の手が離れたかと思えば、床の薔薇と羽を鷲づかみ、そして尚斗の顔に振りかける。だがそれだけではなく、尚斗の弱点である脇腹をくすぐった。
薔薇と羽まみれになりながら転がる尚斗に、スタジオが和むかのような空気に代わる。すでにこういうやり取りもテンプレート化しており、むしろそれを待っていましたとばかりに再びフラッシュの嵐だ。
「ひーっ! ちょ、っ、あははっ、いいか、げんに、しろっ! この!」
「っとあぶね! そうはさせねぇってぇの!」
どうにか腕を伸ばして辰己の弱点である首を狙うが避けられる。するとくすぐる手がいっそう激しくなり、流石に白旗を揚げたくなる。しかしなんのこれしき! とその避けられた手をクルリと回して、うなじの辺りを掴んで引き寄せた。
「おわぁ!」
彼も声を上げて崩れ落ち、だが尚斗を下敷きにしないよう手で自身の身体を支える。その反射があるからこそ喧嘩も強いのだろうが、それが尚斗は気に食わない。
「なにすんだバカ」
「お前も薔薇と羽に溺れちまえば良かったのによ」
二人の体勢はまるでベッドの上で行う秘め事のようなもので、またシャッター音が響き渡る。
「ざっけんな。これ以上・・・・・・溺れさせてどうすんだよ」
「これ以上?」
「ンでもねーよ」
口角を引きつらせながら起き上がる辰己に、「待てって」とネクタイを引っ張った。そのタイミングで尚斗も上半身を起こし、必然的に顔が近づいた。
「っ、おいナオ!」
「ねーねー杉本さーん、これも撮っておいてくださーい」
そう言いながらカメラマンの方へ視線を向ける。ネクタイを掴んだままのそれはまるで飼い主とペットのようなそれだ。
カメラマンは「サービスいいねぇ!」なんてどこぞのエロおやじのような言葉を吐いて笑い、きっちりとフラッシュをたいた。
「てめぇ・・・・・・俺をペットにするたぁいい度胸じゃねぇか、あぁ?」
すると辰己は額に怒りのマークを浮かばせながら同じように尚斗のネクタイを引っ張る。
「ぐえ」
彼とは違い、こちらは緩くせずきっちりと締まっているため少しでも引かれれば首元が苦しくなるというのに、遠慮なぞ微塵も感じさせない力だ。
「ははっ、いい気味だぜ」
「この野郎・・・・・・」
ネクタイを違いに掴んで引っ張り合いながら怒りマークを浮かべる二人はガチの喧嘩一秒前である。しかし周囲は素晴らしいと言わんばかりの視線を向け、カメラマンにいたっては「それそれ! 流石は喧嘩男子って言われてるBoysだよねぇ!」と喜びの連射だ。
「表出ろやナオ」
「いいぜタツ。その喧嘩買ってやんよ」
額がぶつかり合いそうなほど睨み合いをしていると、パンパン! と手を叩く音が響く。それはカメラマンからのいつもの合図で、撮影終了の知らせだ。
「あ?」
「ん?」
三年間、その音はちゃんと聞けと社長直々に指導されている為、この音が秒針のように右から左へ流れることはない。
「尚斗さん、辰己さん、撮影お疲れ様でしたー」
「いい写真撮れたぞー!」と頷くカメラマンに、「お疲れ様です」と手を叩く他のスタッフ。周囲を見て、二人は「あー、撮影ね」と、喧嘩体勢をやめた。
「お疲れ、ナオ」
先に辰己が立ち上がり、尚斗に手を伸ばす。
「ん。お疲れタツ」
その手を素直に掴んで立ち上がった。先程の一触即発の状態はもうどこにもない。
スーツは薔薇と羽だらけで、格好良いを通り超して滑稽だ。「すんげーなこれ」と二人で笑いながら互いに相手のそれらを払い落とす。
「サンキュ」
「こちらこそ」
元の黒いスーツに戻れば、二人は頭を下げながらカメラの横にあるモニターへ移動する。すでにそこで写真の確認をしていたカメラマン、杉本に「どうですか?」と尚斗が声を掛けた。
「良い写真あります?」
「あったりまえっしょ。いつもの最高な自然体、頂戴しましたよ」
「うーん。毎回それが不思議なんですよ、俺」
杉本の返しに尚斗が苦笑する。
「ピンで撮る時とか、ちゃんとっつー言い方はおかしいかもですけど、二人でそれなりに撮る時は分かるですよ。でも後半のこれ、確か特装版の限定についてくるやつでしたよね?」
「うんうん」
「こんな俺らの素? つーか、んー、まさに自然体でしかないんですけど、それでいいんですか?」
モニターには二人でネクタイを掴み合い、今にも噛みつかんとする姿がある。
自分たちが学生の頃、喧嘩していた時の自分たちの姿なんて見たことはないけれど、これはきっとそれらがちょっと老けたようなものだろう。そんなもので一体誰が喜ぶのか未だに理解できない。
うーんと頬を人差し指で掻いていれば、「需要があんだよ」と、背後から声が聞こえた。
「永原さん」
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