①モデル

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「永原さん」 「よっ、お疲れ尚斗」  軽く手を上げたのはマネージャーの永原公寛(ながはらきみひろ)だ。  眼鏡をしていて長身な彼は、尚斗と辰己が着ているスーツに似たものを着ている。別にジーンズにTシャツでも構わないのだが、これがいわゆる彼の中の戦闘服らしい。しかしネクタイは緩めているのだから、優等生とも名乗れない。 「辰己もお疲れさん」 「ちーっす」  軽く手を上げた辰己はモニターを覗くこともしておらず、もうさっさと帰ろうぜと言わんばかりに欠伸をしていた。 「需要があるってどういうことですか永原さん」  だが気になるものは気になる。  尚斗がそう質問すれば、永原となぜか杉本が視線を合わせ、うんうんと頷いた。 「そりゃまー、我々のお姫様の秘密だな」 「そうだな。お姫様の花園はお姫様しか入れねぇっつーこった」  二人が頷き合う姿に、「えぇー・・・・・・」と尚斗が引いていると、肩に慣れ親しんだ重みが乗った。 「俺らには分からねぇってことなんだよ」 「タツは気にならねぇのかよ?」 「ならねぇなあ?」  いつものように肩を組み、辰己は笑う。 「確かにどんな風にすれば読者が喜ぶのかとか、流行とかも知っておくべきだろうよ。でもそれを杉本さんと永原さんが勝手に分かってやってくれてんだ。なら何の問題がある?」 「・・・・・・撮影がもっとスムーズに進む、とか?」 「はー、相変わらず変なところで律儀というか、真面目だねぇナオ君は」  辰己は溜息をつき、そのまま尚斗を引きずるようにして歩き出す。転びそうになるがもうそれは長年の付き合いからか、己の足がきちんと体重を乗せ、防いでくれる。 「永原さん、いつもの駐車場?」 「おー。このあと姫蕗(めぶき)社長んとこ行くから、ちゃっちゃと着替えてくれや」 「へーい」 「ちょ、おい、タツ!」  もう片方の手をひらひらさせて歩く辰己に尚斗は吠えるも、彼は「ンな気にすることねーから」と笑う。 「なんかあれば周りが教えてくれる。今までだってそうだろ?」 「でも自分で質をあげることだって大切だろ」 「そのお前が上げたい質っつーのが、そのお姫様の考えとは真逆になるってこと」 「・・・・・・どういうことだ?」 「ははっ、お前は知らなくていいってことだよ」  小さく笑う彼に、尚斗はムッと唇を尖らせた。いつだって辰己の方が知識も力も優位になっているのが解せない。 「あ、そういえば」 「ん?」  突然なにか思い出したような辰己を見れば、じーっと彼の瞳がこちらを見つめていた。 「え、なんだよ」 「あのさぁお前」  そう言いながら着いた控え室のドアノブを捻る。  ガチャリと開いた先には白い壁と鏡。そしてテーブルに二つのイス。見慣れた光景へ一歩踏み入れ、パタンと辰己がドアを閉めた。 「さっき、なんでピアスを見せたんだ?」 「は? どういうこと?」 「だぁから、そのピアスだよ」  組んでいた肩を外し、ドアの前で立つ尚斗に辰己は立ち憚るようになる。そして伸ばした手の先は、赤いピアスに触れた。  突然のそれにビクッと震えれば「なぁ」と、少し掠れたような声で再度問われる。 「どうしてお前はこの赤いピアスを杉本さんに見せた?」 「え、それは、その、えーっと・・・・・・」  どことなく真剣な彼に、尚斗は視線を泳がせる。しかしまるで逃がさないとばかりにピアスに触れ続ける辰己に、尚斗は素直に言葉にした。 「ば、薔薇と同じ色だったから」 「・・・・・・は?」 「いやだから、薔薇と同じ色じゃねぇか」  ポカンと固まった辰己に、尚斗は「だってそうだろ?」と辰己が触れるピアスに、今度は自身の手で触れた。 「これ、赤じゃん。薔薇も赤じゃん」 「俺の青いピアスも見せつけただろ?」 「それはお前が俺のピアスを見せてるんだから、お前のピアスだって見せた方がお互い平等だろ?」 「・・・・・・おい、ロマンチックはどこ行ったよ」 「え、いやぁ、それはまぁ」  テへっと笑ってから言う。 「適当っつーか、その場で出ただけ」 「・・・・・・・・・・・・」  辰己の目の色がスンと静かになる。何度も見ているそれだが、その表情の時の彼が何を考えているのか未だに分からない。だが絶対に喜んだり機嫌がいいわけではない。  尚斗は笑顔を作ったまま固まっていれば、「はあああ」と大きな溜息と共に肩に彼の額が置かれた。 「そうだよな、そうだよな? 気付いてたらそんなことてめぇはしねぇよな? あーもう五年以上経つんだぞ?」 「えーっと、もしもーし、タツさーん?」 「誰がどう考えても分かるだろーによ、この天然喧嘩バカは・・・・・・」 「ちょと待て、最後のそれはてめぇのことだろ」  何を言っているか分からなくとも、最後は自分への悪口だということは分かった尚斗は辰己の背中を軽く叩く。だがそれにも彼は溜息をついて、「それがいいところでもあるんだけどよ」と呟いてからやっと顔を上げた。 「さっさと着替えて姫蕗さんのところ行くぞ」 「おいピアスの件は?」 「てめぇで考えて、てめぇで気付いてくれや」  そのまま離れていく辰己に、尚斗はまた唇を尖らせる。 (ピアスつけようぜって言ったのはてめぇだろ)  中学校の卒業式の日に、突然ピアッサーと色違いのピアスを持って来たのは辰己だ。そして互いに片方だけ穴を開けて、それをつけた。それの一体なにに気付というのか。 (まぁ、普通俺が青で、こいつが赤だよな)  もう着替え始めている辰己を見ながら耳にある赤いピアスに触れる。それはもう世間からも二人を表わすシンボルのようになっており、このスーツをデザインした会社からのオファーで、ピアスの撮影もすでに終えている。  その時にも確かこういうやり取りをした気がしたが、その時もなあなあに終わった筈だ。 (考えても仕方ねーか)  時折、先程と同じように辰己が何を考えているのか分からなくなる。だがそれはそれで構わない。相手の全てを知る方が難しいだろう。 「ナオ、お前もさっさと着替えろや」 「へーいへい」  辰己に促され、尚斗はネクタイを緩める。すると「おら」と奥にあったハンガーを投げて渡された。それに短く礼を返しつつ尚斗は首を傾げる。 「つか、なんで姫蕗社長のところ行くんだ? なんかあったか?」 「まーた仕事の話だろ、どうせ」  面倒くせぇと溜息をつく辰己に苦笑した。 「スカウトされた頃は、こんなにコキ使われるとは思わなかったな、俺」 「そりゃ俺もだわ」  今度は二人一緒に溜息をつき、だがその手を止めることは許されない。  自分たちをこの世界に連れてきてくれた、否、引っ張り込んだ張本人――――城本姫蕗(しろもとめぶき)が呼んでいると言うのだから。 「ちゃっちゃと終わらせて帰ろうぜ」  辰己の言葉に頷き、黒いスーツの下の白いワイシャツのボタンを取っていく。するとふと、横の鏡に映る自分が視界に映った。  メイクをした顔に、セットされた髪の毛。すでに三年もこの世界にいるというのに、まだ鏡に映る男が自分だなんて信じられない。 (どーしてこうなったの未だに分かんねー)  喧嘩しか脳のないガキであった自分たちがまさか、モデルになるなんて。 「おいナオ、さっさと車に行かねぇと永原さんに殺されっぞ」 「おー、着替える着替える」  決して脅しなだけの台詞ではないそれに、尚斗は鏡から視線を逸らして本気で着替えモードに入った。  控え室に貼られた紙。 ――――B&B/Boys ――――辰己様・尚斗様  それは入学式と書かれていたものよりぺらぺら薄いくせに、この業界では価値のあるものだった。
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