②香り男子

1/4
前へ
/24ページ
次へ

②香り男子

「やーっと来たか、ガキんちょ二名」  地下にある駐車場に停められた黒い車の前に、永原は棒のついたキャンディーを咥えながら待っていた。  普通そこは煙草だろうという光景だが、それを突っ込んだが最後。どうなるかは学習済みである。禁煙している相手はキレやすい。きっと永原の短気も交ざっているのだろうけれど。 「姫蕗社長がお呼びだっつってんだろ。さっさと行くぞ」  顎で早く乗れと促され、尚斗と辰己は「へーい」と気が抜けた返事をしながら後部座席に乗り込んだ。  ワゴン車ではないが、それなりの値段がするため中は広い。二人は急いでシートベルトを締める。車の中で自分たちを守ってくれるただ一つのアイテム、それがシートベルトだ。 「んじゃ、行くとしますか」  運転席に乗った永原は眼鏡を押し上げるとエンジン音を響かせ、思い切り足を踏み込ませる。グンと引っ張られる見えない力に二人は窓の上にある持ち手を掴んで耐えるのは毎度のことだが、相変わらずのそれに二人は視線を合わせて溜息をついた。 「おいこのクソヤンキー」 「だーれがヤンキーだ、ちびっ子辰太郎さんよ」 「いや辰太郎の方が誰だよ」  はぁと息を吐く辰己だが、突然のカーブに「うおっと」と身体がよろけ、窓に寄り掛かる状態になった。 「だー! 相変わらず運転下手くそだなおい!」 「うっせぇ辰太郎! 死にたくなきゃ黙ってそこに座ってろ!」  カランと永原の口の中にいるキャンディーが音を立てる。その棒もまるで車に煽られるかのように左右忙しなく動いていた。 (この人も三年経っても変わらねぇなー)  尚斗は「大丈夫か、タツ」と声を掛け、無事――かどうかはさておき――を確認してから、「永原さん」と声を掛ける。 「なんだ尚太郎」 「って、俺も太郎なんかい・・・・・・」  不自然なほどに自然に呼ばれた名前を突っ込みつつ、尚斗は聞いた。 「姫蕗社長からの呼び出しって、一体なんの用ですか?」 「あー、まぁ新しい仕事だ」  キキー! と急ブレーキが踏まれたかと思えば、また突然力強く発車する。身体が揺られながらもいつものことだと尚斗は続けた。 「新しい仕事って? 別の雑誌とか、それとも他のところと契約するとかですか?」 「まぁそれは姫蕗社長からの説明があるからよ、あの人から直接聞いとけ」 「・・・・・・はーい」  仕事が入るのは別段不思議なことではない。モデルを始めてからこの三年間、どことも契約出来ずに困ったことなんてありがたいことに無かったからだ。だが。 (なーんか嫌な予感すんだよなぁ)  尚斗は窓の外を見ながら長く息を吐く。  高層ビルの光と人、人、人。そして今にもぶつかりそうな車と、こちらの車を避けた車。クラクションで怒りを表わす車が目に映る。自分がモデルとして着飾った姿よりも慣れた景色だ。  まさかこんな都会で暮らすようになるなんて昔の自分は思ってもみなかった。 「なぁヤンキー」 「なんだ辰太郎」 「その新しい仕事の内容、知ってんだろ?」  揺れている車体でバランスが取れるようになったのだろう。辰己は座席に深く座りながら足を組んでいる。  その姿は今や世間に騒がれるモデル、B&Bに所属するBoysのひとり、『辰己』だが、中学生の頃からの付き合いである尚斗にしてみれば、老けたなお前も、というのが素直な感想だ。 (黙ってりゃイケメンではあるのにな)  きっと喧嘩三昧の日々を知らなければ、もっと煌びやかに見えただろう。 「あ? 俺が知ってたらどうした」  バックミラー越しに辰己を見る永原。眼鏡の向こうにある瞳がまるで威嚇するかのように細くなる。しかしそんな彼に怯えるような男ではない。  辰己は「はっ」と短く笑いながら言った。 「なんかの撮影後に仕事の説明が入るのは別段不思議なことじゃねぇ。だがそういう時は大抵永原さんが簡単に説明して、んじゃ後日に姫蕗さんのところで話ましょって感じで終わるだろ」 「あー、確かに」  彼の言葉に尚斗が頷くと、「おいそこは気付いとけよ」と呆れられる。 「でも今回は姫蕗さんから聞けっつーことは、だ。仕事の話であることは確かだろうが、さぞや大変なもの、もしくは俺たちが断る可能性があるってことじゃねぇの?」  こちらを見つめるバックミラーに映る永原の瞳を、どこか愉しげとも捉えられる瞳で返す辰己。きっと見る人が見れば挑戦的なものに見えるだろう。  永原は大きく溜息をついて、「辰太郎・・・・・・」と、どうやら気に入ったらしいあだ名で言った。 「お前、案外いい顔してんのになー。その中の脳みそと釣り合いが取れてないのが勿体ねぇ」  カランとキャンディーが笑う。 「まっ、お前の言う通り、姫蕗社長が何の話を持ちかけるか俺は知っている。その仕事を受けた場合のスケジュール管理も完璧だ。だがなおい」  青信号からの黄色信号。急ブレーキで止まった赤信号の光が、後部座席に顔を向けた永原の背景を赤く染めた。 「そういう時は勝算がある時に言うもんだ。何も出来ない車の中、しかもこの密室で、相手を問い詰めたとしても形勢逆転は狙えねぇ。今まで素手で喧嘩ばっかしてたからそんなミスをすんだよ、クソガキが」 「・・・・・・・・・・・・」 「せめてシートベルトを解いて、いつでも車のドアを開けてやんよくらいの姿見せてからそういう話をしろ。いいな」  赤色から青色へ変化した光に、永原は前を向き直してまたアクセルを思い切り踏んだ。  また飛んでいきそうな身体を必死に押さえながら尚斗は思う。 ――――これ、単なるモデルの仕事について話してたんじゃねぇの?  まるでヤクザの兄貴とその弟分を見ているかのようなそれに、もうどんな仕事でも気にしねぇと溜息をつく。それに辰己が気付いて視線を向けるも、付き合ってやるのもバカバカしい。  尚斗はこちらを見る辰己を無視し、仮眠も取れない車の中でしばらく目を閉じて現実から逃げ出した。 ~ * ~  ポーンと八階のパネルが光り、到着を知らせる。  開くのボタンを押す永原に小さく「ども」と頭を下げて、辰己と並んで柔らかい絨毯敷きの廊下を歩いて行く。 (エスカレーターとか控え室のドアを開けといてくれるとこだけはマネージャーっぽいよな)  先のやり取りを思い出せば呆れた溜息しか出ない為、尚斗は軽く頭を振って追い出した。  向かうのは自分たちが所属するB&Bの事務所、一番奥の部屋だ。いつもの定位置できっと姫蕗は待っているだろう。  なにげに視線を自分の腕にある時計へ向け、すでに二十二時を過ぎていることを確認する。こんな夜に話すということは辰己が言っていたように、自分たちにとってあまり良い話ではなさそうだ。  きっと彼もこちらが感じていた嫌な予感というものを何となく感じていたに違いない。尚斗は内心溜息をついた。 ――――コンコン。  行き着いた奥のドア。その前で足を止めれば、永原が長い足で一歩前へ出る。そして曇りガラスで見えないドアをノックし、向こう側にいる人物へ声を掛けた。 「姫蕗社長、失礼します」  ガチャリと音を立てながら開いたドアに、辰己から部屋へと入っていく。 「お疲れ様でーす」 「お疲れ様です、姫蕗社長」  それに続いて尚斗は一礼してから中へ、そして最後に「姫蕗社長、お待たせしました」と永原が頭を下げた。その口にキャンディーの棒は見当たらない。 「Boysの尚斗と辰己を連れて来ました」 「あらあらお疲れ様。夜も遅いのに悪いわね、呼び出して」  部屋の真ん中にある赤いソファーに腰を下ろしている彼女は肩までのウェーブが掛かった白髪に、白い肌。そして茶色いスーツを着ている。唯一頬にあるほうれい線が、彼女の年齢がかなりの上であることを教えてくれた。 「辰己の機嫌が悪くなる前にちゃっちゃと終わらしてしまいましょう」  彼女こそが城本姫蕗、B&Bという事務所を立ち上げた女社長である。そして、高校三年生だった自分たちをモデルとしてスカウトしたのも彼女だ。 「早く帰らせて欲しいーんだけど、姫蕗さーん」  相変わらずの対応に、尚斗が「すみません」と頭を下げれば、彼女は楽しそうに笑い、口元に手を当てる。 「別に構わないわ。そういう貴方たちをスカウトしたのだから」 「今更取り繕う必要なんてないのよ」と言う姫蕗に、再度頭を下げる。  彼女の言葉に嘘偽りはない。その証拠は過去にある。 「じゃあ簡単にすませるから、ソファに座って頂戴」 「はい。失礼します」 「おう」  彼女が座るソファの前、ローテーブルを追い越したその先の赤いソファに腰を掛けた。  永原は座る気はないらしく、いつものように手を背中を回し、まるで自衛隊員かと思う。ヤクザからの自衛隊員だなんて、本当に彼の素性が何なのかが気になる。が、姫蕗が話し出したことに集中して耳を傾けた。 「率直に言うと、貴方たちBoysがついにCMデビューよ」 「・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・」  その言葉はきっと普通のモデルならば喜ぶところなのだろうか。しかし尚斗は膝に肘を乗せて手のひらで顔を覆い、辰己は逆に背もたれに寄り掛かって、大きな溜息をついた。 「おいお前ら、その反応はどうなんだ」  永原に聞かれ、「あー・・・・・・」と声を出したのは自分である。 「俺らモデルでしょ? 普通CMデビューなんてしなくないですか?」 「あら、別にモデルがアイドルになったって驚かない時代よ」  姫蕗は「それに」とニッコリ笑った。 「まずBoysの貴方たち、二人でひとつのモデルだって世間から言わせればもうそれは普通じゃないわ」 「今更貴方たちが何をやろうが問題ないでしょう」と自信満々に言う姫蕗に、「ソーデスネ」と尚斗は視線を逸らした。
/24ページ

最初のコメントを投稿しよう!

38人が本棚に入れています
本棚に追加