ふたりの光 第二話(完結)

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ふたりの光 第二話(完結)

 町の中央には住民の憩いになっている小さな公園がある。ふたりの小さな旅は、いつもここをひとつの目的地にしていた。ここでは親子連れや学校から解放された児童が球蹴りをしていたり、老人クラブの集いがラジオ体操をしているわけだ。だけど、こういうご時世だから、隅の方にあるベンチの上では、職にあぶれた夢追い人が、スポーツ新聞を片手に、何とか時間を潰そうとしていたりもする。ここの住民たちは、そういう光景を嫌がったりはしない。人生に格差と上がり下がりや、大河のようにうねる流れがあることは致し方ないことなんだ。ここからは少し不思議な話になるのだが、私たちは時折、公園の中央の辺りに、少し不自然な光りの輝きを見つけることがある。それは、公園の入り口の付近から見ると、砂地に入り混じった一粒の銀粉のようにも見えるが、そこから三歩も歩まぬうちに、視界から消えてしまうこともあれば、こちらから近づいていく度に大きく見えてくることもある。 「最近になって気づいたんだけれど、あの光はいつも同じ場所に置いてあるね」 「あれは置いてあるんじゃないよ。必要な人のために生まれてくるの」  その光は周囲を駆け巡る子供達には、まるで見えていないようだった。妙齢を過ぎた多くの夫婦もそれを目にとめても、特に意識したりはしなかった。彼女はそれを公園にいる誰よりも先に見つけ出すときもあったし、見えても見えていないふりをすることもあったし、まるで、無視を決め込むこともあった。だが、私がそれをいち早く目にとめると、そのことを一番喜ぶようにしていた。「さあ、早く触れておいで」と、そういう目でこちらを見つめることもある。もちろん、ひねくれ者の自分としては、それを言われて気分の良いものではない。私はごまかすような苦笑いをして、顔をそむけるようにしていた。  その存在に気づいてからは、人々の様々な反応が気になるようになった。その仄かに瞬く光を少し離れた場所から、ずっと見ているだけで、満足する人もいた。自分には必要ないからと、そそくさと過ぎ去ってしまう人もいた。一組のカップルがゆっくりと近づいていった。そして、事もなげにそれを拾い上げてみせた。そうかと思えば、少し躊躇してから、思い切って拾う人たちもいた。ひとりで拾いに来る人もいたし、家族みんなで拾いにくる人もいた。その行為に対して、誰かが拍手するわけでもない。だが、そういう光景をどこか羨ましく思えるような空気は確かにあった。 「見てごらん、今日はあそこにあるよ。私にははっきりと見えるもの。今からでも、駆け足で行けば、間に合うみたいだよ。ほら、早く拾いに行ってみてよ」彼女はいつもそう言うのだった。決して、煩わしく感じたわけではない。皆の前でそういう行動に出るのが照れくさく感じただけだ。だから、結局、拾いに行ったことは一度もなかった。自分の欲望に負けて、触れにいこうとするところを、他人には見られたくないのだと、人の心をそのように理解していた。だから、彼女の勧めを拒否するしかなかった。それでも、彼女は何度も何度もそれをさせようとした。 「君はいつもそういうお節介をするけど、それが本当に僕のためになっていると思うのかい?」口喧嘩は人間関係の常だが、私はことが起こるたびに、そういうふうに突き放すことが多かった。だけど、どんなに辛辣なことを言われても、彼女は笑ってごまかすようにして、自分を許してくれた。  ふたりの散歩のコースは決まっていて、毎日ほとんど同じ場所を巡っていたから、週に三度か四度はその微かな光を目にするようになっていた。その光をみつけることのできる頻度は、彼女の方は徐々に少なく、私の方は次第に多くなってきた。そのことは、何らかの法則を持っていそうだったけれど、その意味を理解することは、まだまだ難しいようだった。ふたりの付き合いが深まるごとに、彼女はより熱心にそれを拾うように勧めてきたし、私はときに何となく、ときに苛立たしげに、意固地になって、それを懸命に拒否するようになった。そんなとき、彼女はその視線をすっと逸らして、僕の前へと自然な素振りで歩みを進め、遠くを眺めて、何事もなかったかのように振る舞ってみせた。ふたりの間には悪いことは何も起きていないと、私が悪いことなど言わなかったようにと。そして、自分は何も聴かなかったようにと、自然に振舞ってくれた。私はそのたびに自分の弱さと卑屈さを感じて恥ずかしくなった。  それから、一年が経って、ふたりの心の距離が、少しずつ離れていってしまうと、その光を見る機会はどんどんと減っていった。他人の誰かが、それを拾う機会をみることもなくなった。その頃には、すでに自分の社会経験に、ある程度の自信がもてるようにもなり、彼女の存在をそれほど必要としなくなっていたのかもしれない。僕が自分の伴侶となる存在にしてあげたいこととは、豪華な暮らしぶりだとか、唯一無二の貴重な贈り物だとか、スポーツカーに乗ってのドライブであって、そうでなければ、自分のプライドが傷つくと思い込んでいた。だから、ふたりの気持ちが次第に別れていったことは悪くないことだと勘違いしていた。彼女がふたりの関係をより優れた方向へと導こうとはしなかったことが、自分には不満だったのかもしれない。もっと、他人の目に映えるカップルを目指したかったのかもしれない。だから、ある日、ひとつの連絡を受けても、それほどの動揺はしなかったように覚えている。  時代はさらに過ぎて、自分の境遇はさらに大きく改善されていった。身につけた能力に若輩の頃では信じられぬほどの自信が持てることすら、次第に増えてきた。あの苦境の頃とは、まるで違う生活体験をしていた。自分を支えてくれる存在を必要とはしなくなったのかもしれない。あの頃、彼女が傍にいてくれたことは、とてもありがたいことだったけれど、今の充実感の前には、どうでもいいことにさえ思えてきた。  そんなある日、夢かうつつか、何とはなしにあの公園の前を歩いていた。すっかり綺麗に整備された公園に自然と視線が映っていた。ちょうど真ん中のあの場所に、あの頃と同じような形で小さな光が見えた。そのとき、公園のどこを見回しても誰の姿もなかった。特別な考えもなしにゆっくりと近づいてみる。一歩歩みを進めるごとに、光ははっきりと認識できるほどに大きくなっていった。眼前まで来ると、私は何の恐れもなくそれに手を伸ばそう思った。それが彼女の意思の塊に見えたからだ。すると、その光は途端に増幅され、鮮明な映像となって頭の中にまで飛び込んできた。  それは例えば、間違ったサイズの服を買ってしまい、一緒に店まで返しに行った日のこと、豪雨の中を傘を買いに出かけ、そのまま最寄りの駅まで送っていった日のこと、誕生日にネーム入りの赤いボールペンをプレゼントした日のこと、中古のテレビ一台を買いに行ったのに、その店内をふたりで四時間も彷徨ってしまった日のこと、無理をして買ったワインの栓の開け方が分からず、ふたりで恥をかいた日のこと、そのどれもが、当時の彼女の視線から見た、この自分の姿だった。  私は自分が成してきた何げない行為のすべてを、単純な欲望と自己矛盾に満ちた、とても情けないものと判断していた。でも、よく観察してみれば、彼女の目に映っていた自分の姿は、とてもさりげなく慎ましく尊敬できる人間の姿にも見えてきた。私自身には見えていなかった自分の姿が、そこにはありありと映されていた。その小さくさりげない光を拾ってくれるようにと、常にせがんでいた彼女のあの頃の姿を、今はっきりと思い出した。過去の現実に見ていなかったその笑い顔は、消えてしまった今になって、ようやく、はっきりと捉えることができた。とめどない涙が頬を伝うのを感じた。「自分は弱い人間であったから、君の前で拾うことは出来なかったんだ」と、今は雲の上にいる彼女に届くように、何度も懺悔したい気持ちになった。「あなた自身を他人と比べて、無理に心を傷つけないでほしい」と彼女は願っていたのだろうと、今、ようやく気付かされた。残念ながら、それは、彼女が遠くの国への旅路に出てしまった後のことである。
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