その男、絶縁阻止率100%

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かつて、この国では兄弟姉妹の絶縁は法律上、許されなかった。 しかし、法改正がなされ、兄弟姉妹であっても、夫婦が離婚するように縁を切ることが可能となった。 細かいルールはあるものの、双方が成人していれば、原則、双方の合意の元に、理由は問わず「絶縁」することが可能となった。 最も、理由は問わずといっても、勢いで絶縁される可能性も考慮されている。絶縁の際には必ず、調停委員と呼ばれる第三者が、数度の事情を聴取して最終確認を取るルールになっている。第三者を介入させることで、本当にその絶縁の必要性について考えさせるためだ。当事者だけでは折り合いがつかないことも、第三者がいることで妥協点が見つかることも少なくない。 わたしは、この調停員という仕事をかれこれ十年続けている。 始業前のちょっとした楽しみである缶コーヒーを飲み干し、腰を上げる。今日もまた、絶縁をしたい人たちが、扉の向こうで待っているようだ。 さて、今回の絶縁の理由だが、一見すると非常にくだらない。本当にくだらない。びっくりするほど、くだらない。 成人になったばかりだとはいえ、こんな理由での絶縁は、わたしでもあまり経験がない。もっとくだらない理由での絶縁もあるが、まあ、なかなかの高レベルであることに違いはない。 「プリンを食べられた」 それがこの二人の姉弟の絶縁の理由だ。にわかには信じがたいことだが、まぎれもない事実だ。 最も、これが全ての理由というわけでもなく、これが発端となって、積もり積もっていたものが爆発した、ということらしい。 だが、姉はプリンを食べられたことが最大の理由である、と提出された書面から容易に読み取ることができる。プリンプリンプリンプリンと書面上で、とにかく連呼されているので、文字を読めれば誰でもわかる。どんだけプリンが好きなんだ。人の事言えないけれど。 わたしの正面で対峙する二人を見る。 姉も弟も落ち着いている。だが、二人とも視線を合わせる様子はなかった。 「それでは時間になりましたので、始めたいと思います」 わたしはまず、姉の方に自身が絶縁したい理由を述べさせることにした。結果として、これはまずかった。 「はあ? あんたがプリンさえ食べなきゃ良かったことでしょ!」 「ふざけんな! 冷蔵庫のど真ん中にプリンが置いてあったんだ。食べてくださいって言ってるようなもんだろ!」 「じゃあ、あんたは冷蔵庫のど真ん中に、嫌いなトマトが置いてあっても食べるっていうの?」 「嫌いなんだから食うわけねえだろ!」 「じゃあ、プリンを食べる理由にだってならないでしょ!」 「プリンは好きだから食うんだよ!」 これが姉二十三歳、弟二十一歳のケンカである。間違っても、小学生同士のケンカなどではない。 普通の人でも、自分が購入したスイーツを食べられれば腹を立てもするだろう。 でも、食べられてしまったものは仕方がない。普通の人なら諦めるのが通常ではないだろうか。 「少し落ち着いてください。プリンを食べられたことが、お姉さんが怒っている理由なのはよくわかりました」 第三者のわたしが介入したせいか、二人はすぐに静かになった。目の前では視線で火花を散らしているが、無視して進めるとしよう。こういうのに付き合っていると終わるものも終わらなくなる。 「弟さんにお聞きしたいのですが、お姉さんは、普段、どのような性格をされているのでしょうか。例えば怒りやすいとか、穏やかだとか。印象でも構いません」 「普段はあんまり怒ったりしないですね」 「そうなんですか?」 「だから意味がわからないんですよ。こんなに怒っている理由が」 どうやら、普段であればプリンを食べられたぐらいでは怒らない人柄なのだろう。普段から怒っている人であれば、怒るのが普通のなので、いつものことね、ハイハイといった感じで絶縁なんて話にもならないだろうが。 「他にはありますか?」 「変に頑固なところはありますね。一回決めたら、やり切るまで突っ走る、みたいな感じで。例えば、恋愛の願掛けしてたんですけど、五年ぐらいやってましたね。数か月前に、別の良いのが見つかった、とか言って、別の願掛けを始めたみたいですけどね。それは見たことないですけど」 「ありがとうございます。次にお姉さんにお聞きしますが、今回食べられたプリン、どこのプリンなのでしょうか?」 手元に用意した資料にさっと目を通す。資料は全てプリンだ。わたしは今回の絶縁の理由のポイントはプリンだと踏んでいる。 ただのプリンでここまで激怒するだろうか。いや、まずないだろう。 だが、わたしは知っている。この世の中には食べられてしまっただけで激怒を許されるプリンがあることを。 なぜなら、わたしはスイーツが大好きだから。暇さえあれば、コンビニの新作スイーツをチェックし、出張があれば、出張先でしか味わえないスイーツ探しに奔走する。 「……コハクプリンスホテルのプリンです」 「……コハクプリンスホテル、ですか」 コハクプリンスホテルのプリンの資料には目を通す必要がない。あそこはプリンで非常に有名なホテルだ。聖地といっても過言ではない。わたしも数度、スイーツを求めて訪れたことがある。 だから聞かなければならない。 「それで、コハクプリンスホテルの何のプリンを食べられてしまったのですか?」 「アンバープリンです」 その返答と同時に、わたしは自分の持っていたボールペンをへし折っていた。 そして、弟に双眸を向けた。自分の体の中にある怒りや憎悪といった負の感情の全てを乗せて。 「な、なんですか、いきなり!」 「あなたは許しがたい罪を犯した。これはもう即刻絶縁しましょう。それがいい。そうしましょう!」 わたしは書類を書き進めようとしたが、できなかった。ボールペンが折れている。 舌打ちをしながらゴミ箱にボールペンを投げ捨て、新しいボールペンを取り出す。 「姉がプリンの名前言っただけなのに、きゅ、急にどうしたんですか!」 「そ、そうですよ!」 調停員であるわたしが、突如として絶縁を勧め始めたことに、二人は明らかに動揺していた。 いや、そもそも二人が絶縁を望んでいるんだろうに、と言いたいところではあるが、それはもはやどうでもいい。 問題は、アンバープリンを食べた、というところだ。それも勝手に、何の努力もせず。これは万死に値するといっても過言ではない。 「……まさか、アンバープリンをご存知ない?」 わたしは鋭いを通り越して、調停員としてあるまじき、殺意まみれの視線を弟に向けながら問う。 「……知りませんけど」 気が付けばボールペンが粉々になっていた。 「よし、死刑だ」 「「ええええええええええええええええええええええええええええええ!」」 二人が同時に大声を上げる。 「その反応。まさか、お姉さんもアンバープリンをご存知ないのではありませんか?」 「希少価値が高い、といったことぐらいは知っていますが、詳しいことは知りません」 「よし、あなたも死刑だ」 「「ええええええええええええええええええええええええええええええ!」」 姉も姉だ。ふざけてる。アンバープリンを知らないなんて、ありえない! あのアンバープリンだぞ! アンバープリンは、わたしが恋焦がれるプリンだ。雑誌でしかその姿を見たことがない。 そのアンバープリンを知らないなどと言うのか! 許せない! 言語道断だ! もう一本、ボールペンを粉々にしてしまった。 それで少し落ち着きを取り戻した。咳払いをして、落ち着きを取り戻す。 「……もう一度確認しますが、二人とも本当にアンバープリンをご存知ない?」 二人は顔を見合わせてから、わたしの方を見て同時に頷いた。 「なるほど」 これは如何にアンバープリンについて講義を行わなければなるまい。 「アンバープリンは、コハクプリンスホテルで販売されているプリンの名前です。コハクプリンスホテルには、他にも多種多様なプリンが販売されていますが、このアンバープリンだけは別格中の別格中の超別格。アンバープリンは、宿泊者限定での販売で、いつ、どのタイミングで販売されるのかわからない代物なのです。一日の中のタイミング、という話ではありません。一年の中のタイミングで、販売されない日がほとんどなのです。もちろん、予約もできません。しかも、販売されたとしても、一個しか販売されません。たったの一個です。お値段も時価になっています。希少価値が高いなんてものではないのです!」 アンバープリンを食べるためだけに、コハクプリンスホテルにひと月もの間、連泊をしたこともあった。その間、いつ販売されるともわからないので、販売されるカフェにずっと張り付いていたのだが、結局、アンバープリンが販売されることはなかった。 ちなみに、コハクプリンスホテルに泊まるのは、ひと月が限界だった。仕事の有休の限度の問題もあるが、それ以上に、コハクプリンスホテルは最上級のホテルであり、それ以上泊まってしまったら、冗談抜きで電気水道ガスが止まり、家賃も払えない状態になるので、泣く泣く断念した。 一度は食べてみたい。琥珀色の幻の中の幻のプリンを。 「そ、そんなに希少価値が高いものだったんですか……」 「そ、それを俺は食べたのか……」 そこではたと気が付いた。 姉はアンバープリンの希少価値が高い程度しか認識していない。普段、怒らない性格からしても、わたしのように、アンバープリンを食べられたことに激怒した、というのは少々、違和感がある。 ということは、激怒したのには、別の理由があるのだろうか。 「お姉さんに聞きたいのですが、プリンを食べられたことに対して、本当に怒っているのですか?」 「え、はい。もちろんです!」 「でも、アンバープリンのことはあまりご存知ではありませんでしたよね? だとすると、本当の理由は他にあるのではないかと、邪推してしまうのですが。いかがでしょう?」 姉は虚を突かれたような表情に変わった。 「他に理由があるのなら、お話した方が良いかと思います。絶縁は、袂を分かつのは簡単ですが、元に戻すのは難しいですから」 絶縁という制度は、双方の合意で成立する。しかし、絶縁状態を元に戻すとなると、そうはいかない。甚大なる労力が必要になる。 絶縁する時は、最悪、書類一枚を役所に提出すればいいが、元に戻す場合は裁判所による審査が必要となる。手間は絶縁する時の比ではない。この手間は、絶縁を行うことに対する抑止力として制定されている。 姉は俯いた。考えているのだろう。本当の理由を話すべきかどうかを。 話すかどうかは、本人が判断することだ。話さなかったとしても、手続上は何ら問題はない。 ただ、心の問題はまた別だ。 弟はプリンを食べたことが問題だと認識している。だが、別の理由があるのだとすれば、その理由次第では絶縁しないで済むかもしれない。 わたしは絶縁をしようがしまいが、正直、どちらでもいいと思っている。各人には各人の考えがあり、思いがあるからだ。それに軽も重もない。 プリンを食べられたことで絶縁をするなんて、まあ、くだらないことと言えるだろう。しかし、それは事と次第による。一概に一笑に付すことはできない。 わたしも、弟もしばらく沈黙していた。部屋の中で聞こえるのは、時計が時を刻む音だけだった。 「実は」 不意に姉は口を開いた。 「あのプリンは人生で初めてできた彼氏に買ってもらったものなんです。彼氏からもらった初めてのものだったんです。だから、弟がそのプリンを食べたって聞いた時、怒りが爆発してしまったんです」 姉は目に涙を浮かべていた。 「わたし、怒るのに慣れてなくって、弟を怒鳴ってしまったことでパニックになってしまったんです。そこからは弟が突っかかってきたことで引っ込みがつかなくなってしまって」 「それで、絶縁まで話が進んだと」 「そういうことです」 「本心では、絶縁は望んでいない、ということでしょうか」 ここは大切なところだ。絶縁はあくまでも双方の合意が前提となる。片方が拒絶すれば絶縁は原則できない。もしもそれでも絶縁したいのなら、離婚と同じく裁判で争う他ない。 「……はい」 わたしは弟に視線を向けた。 どうやら、これ以上、わたしが出る幕はなさそうだ。 「十分程度、席を外します。その間にお二人で話し合ってください」 結局、二人は絶縁を取り下げた。どうやら、弟も売り言葉に買い言葉だったようで、絶縁するのは本心ではなかったようだ。 二人は、ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした、と丁寧に礼をしてから去って行った。 わたしは自席に深く腰をかけ、目を閉じた。自分の怒りを封じ込めるためだ。 でも、ダメだった。 「アンバープリンを、あのアンバープリンを、プリン界の最高傑作と言われる、あのアンバープリンを食べたなんてえええええええええええええええええ! 羨ましすぎんだろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」 この絶叫は、他の部屋まで響き渡った。上司から大目玉を食らったことは言うまでもない。 ~FIN~
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