蝉と田中くん

3/5
前へ
/5ページ
次へ
4☓5=20  最近おやじに殴られるんだ。宿題を片付け僕の家へ向う途中、田中くんは言った。驚きはない。僕が知る限り田中くんのおやじは6人居て、田中くんのおばさんはサイコロを振るみたくおやじを変えるから。  そりゃあ殴られたら痛いよねと僕が頷けば、田中くんは痛くないよって何故か見栄を張り、シャツで隠した大きなアザを覗かせた。ふーん痛くないなら大丈夫か、いや大丈夫な訳ないだろ、僕らはわざと噛み合わないやりとりを始める。  背後から照りつける太陽が田中くんと僕の影をピノキオの鼻みたく引き伸ばす。ほらあの坂を登りきれば僕の家が見えるよ、湯気の向こうを指を差すと、ミーン、ミーン、ミーン、電柱の上から鳴き声が降ってきた。  電線に切り分けられた青空は譜面に似ていて、ミーン、ミーン、ミーン、蝉が音を乗せると頭の中で奏でられる。ミーン、ミーン、ミーン、ミーン、ミーン、ミーン。  お前引っ越すんだってな、田中くんは手を翳し眩しい真似をした。僕も同じポーズをとり、お母さんがおやつを作れなくなったから、お父さんの所へ引き取られる事を話す。  それから押し黙った田中くんの顔をこっそり見てやり、6☓6=36、まるで裏切られた表情をする田中くんを2☓4=8する。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加