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「んじゃ、頑張って」
李津は立ち上がると、キャリーケースに手をかけた。もう裾は引かれない。
その代わりに。
「あのおっ! ありがとうございました。また、会えるかなぁ?」
青白かった女の子の顔にはすっかりと血色が戻っていて、李津はホッとした表情を浮かべる。
「だったら死ぬとか、もうやめてくれよ」
「……はいっ」
黒髪の少女はいい返事をして不器用に笑った。
先ほどまで幽霊に見間違うくらいには不気味だったが、笑えば年相応のかわいらしさがある子だった。
「へへぇ。大事にされちゃったぁ」
にへにへしながらジュースを飲む姿はとても微笑ましいが、李津も油を売ってばかりはいられない。このまま目的地が見つからなければ、日本初日に野良キャンプである。
まさか野盗に殺されはしないだろうが、あまり積極的にはそうしたくない。急いでスマホの地図アプリを開く。
その心をゆるめた一瞬。
アスファルトを蹴る音がしたあと、李津の頬にぬめっとした感触があった。
「!?」
湿った場所に、女の子の息を感じる。
「……お、お礼とゆうかぁ」
「え?」
李津の目は間近に迫った黒い少女を捉えて、シャッターを切るようにぱちぱちとせわしなく動く。
「おっ、お金、そんなに持ってないし。今の、わたしが差し上げられる精一杯でぇ……そのぉ〜」
自分の行為を思い出し、再びボワッと顔に火がついた女の子。長すぎる前髪で顔がほぼ隠れているにも関わらず、コンビニの明かりのせいで真っ赤になっているのはバレバレだった。
「あうあう……。ご、ごめんなさいぅーーーーーーーっっ!」
ひとりでテンパり、ひとりで叫ぶと、黒髪の女の子は超スピードで走り去った。
残された李津はぽかんとしながら、まだじんわりと熱を持っている頬にそっと触れる。
「…………日本って、あいさつでキスする文化があったのか?」
自身の勉強不足だと勘違いしてショックを受ける彼、まあまあの天然である。
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