8人が本棚に入れています
本棚に追加
夏の虫とカエルの鳴き声しか聴こえない夜に、さわさわと髪を撫でる控えめな音が重なる。
幸せそうに目を閉じるつむぎと、まんざらではない李津。心地よく流れる時間の中で、兄妹は静かに言葉を交わす。
「そういえば、朝比奈さんが大活躍したらしいな?」
「ん〜。わたしはまだ手が本調子じゃないから、朝比奈さんがいろんな力仕事を手伝ってくれてぇ」
インフルエンサーのガクトを見えない力で縛ったのも、口を封じたのも、倉庫の中へと引きずり込んだのも。つむぎに憑く幽霊の朝比奈さんのおかげだ。
初期は守護霊だったはずが、今ではすっかりパワー系便利屋さんとなった幽霊である。
「そういえば朝比奈さんって、どうしておまえと一緒にいるんだ?」
「うえぇ〜? 気づいたらいたのでぇ〜。それよりもおにーちゃん」
パチリと目を開けて、つむぎは李津を見上げる。
「ふわふわのペンギンの人形、どしたのぉ〜?」
頭を撫でる李津の手が止まった。
躑躅に買ってもらったスクイーズのことである。
「最近よく必死で握ってるけどぉ〜、なんでぇ?」
つむぎの純真な視線に耐えきれず、ガチ↑ガチ←ガチ→ガチ←と硬直した視線が虚ろう。
「いや、あの、それは、ええと……」
おっぱいの代わりです!
などと、本当のことなんて言えない。
言い訳が出てこず、あわあわ。
先ほどまで心地いい空間だったはずが、急に息苦しく感じてきた。気づけば指先が震えている。
(まさか、こんなときに禁断症状がっ……!?)
依存症の恐ろしいところは、思い出すと止まらないところだ。
李津の瞳は血管が切れたように充血する。震える指を、もう片方の手で抑える。
(!!)
運の悪いことに、仰向けに寝転がっていてもわかるふたつの膨らみが目に入ってしまった。
李津の視線はそこに固定されたまま微動だにしない。手が、自分の意思とは無関係に、じわじわと前に突き出ていく。
(おい、やめろ! 静まれ! 静まれ右手ぇええ!!)
ここだけ切り取れば中二病を発症した人だが、実際はアダルト方面にやばい奴である。
きょとんとしていたつむぎが、「あっ」と声を漏らす。
「おにーちゃん?」
「つむぎ、ごめん。俺もう……っ!!」
「あのね、朝比奈さんがぁ、なんでかおにーちゃんの首狙ってるのでぇ〜」
「うわああああああああっっ!?」
ガバッと後ろに飛び退き、つむぎから離れる李津。キョロキョロと周りを見回すが、もちろん視界にはなにも映らない。
ゆっくりと体を起こし、つむぎはこてりと首を傾ける。
「『見・て・る・ぞ』だってぇ〜? やだぁ、朝比奈さんってば、おにーちゃんに嫉妬してるのかなぁ。うへへへぇ」
「は、はは、そうかもね……」
実際に、首筋に鋭くて冷たい突風が当てられた感触があり、李津は顔を青くした。つむぎの言葉なんてもう耳に入っていない。
心臓が大きな音を立てて警告する。
彼女には強力なSPがついているぞ、と。李津は頭に叩き込み、縮み上がった。
余談だが、李津のおっぱい禁断症状はこの日を境に落ち着いたそうだ。
ショック療法、ここに極まれり。
最初のコメントを投稿しよう!