終章(11)

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終章(11)

 イアラはそんな僕のことを優しく抱きしめてくれた。華奢な体躯に引き寄せられた瞬間、彼女と別れる時の記憶が鮮明に思い出される。 「ずっとこうしたかった。ずっと」 「僕も……僕もだよ」  僕らはお互いを離さないように強く抱きしめ合った。花火大会は佳境に入ったのか、細かい花火が何度も空に打ち上がっている。 「良いの? 僕なんかの為に神の力を捨てて」 「またそんなこと言って!」  イアラが顔を起こし、ふくれっ面で僕の胸を叩いた。こんなやりとりさえも、懐かしく感じる。だけどイアラは、すぐに顔を元通りにして微笑んだ。僕がわざと言ったことに気付いたのだろう。  そして彼女は、いつか僕に記憶を流してくれたように少し背伸びをして、僕の額に自分の額をつけた。当然今回は記憶の流入はないが、彼女の温かな体温を感じた。 「私はどこへもいかないし、あなたの事を離さない」  僕はそっと瞳を閉じる。幻聴ではないイアラの声が、確かにそばで聞こえる。染みついた、清涼なお香の匂い。背中に回した手の指先に触れる、艶やかな髪の質感。 「あなたの命が助かったのは、私の力だけじゃない。あなたの幸せは、たくさんの人に望まれていることなんだよ。だから――」  吐息混じりの声で言うと、イアラは僕を見て笑った。 「たまには、こんな奇跡があっても良いんじゃない?」  小首を傾げた時、彼女の瞳から再び大粒の涙がこぼれ落ちた。その姿を見て、僕はより強く彼女のことを抱きしめた。 「花火、見ようか」 「うん」  僕らは手を繋いで歩いた。坂の頂上に着くと、そこから町の夜景が眺望できた。細かい花火が何度も遠くの空に打ち上がり、時差を持って音がこちらに伝導してくる。時間からしてそろそろクライマックスだ。 「藍じゃなくてよかった?」  僕は彼女の手を握り返し、頷いた。人間界に戻る時、藍とイアラのどちらかを選べたそうだが、彼女はイアラ・メリージュリックという人物を選んだ。その時にはすでに、元の藍の両親には子供がいたからだ。 「また、伊豆に行きたいね」 「行けるさ。何度でも」 「私は何をしようかなぁ」  雑貨店はすでに閉鎖されている。でも僕はその時、とても良い夢を思いついた。 「いつか二人で、また雑貨店をやろうよ。この店で」  僕が提案すると、イアラの顔がパッと明るくなった。いつになるかは分からないが、この人となら絶対に夢を叶えることができると思った。 「その時はオーナーも来てくれるかな」 「絶対に来てくれるさ」  広松は現在俳優業で忙しいが、必ず来てくれるだろう。 「ねえ、イアラ」  彼女にはまだ、言っていないことがある。  痛々しい事故があり、絶命する間際に言いかけたこと。天上に旅立つ時、消えていく彼女に言えなかったこと。  僕は彼女を正面から見た。何かを感じ取ったのか、月の光に照らされた彼女の頬はほんのりと紅潮していた。  そして僕は、彼女の目を見て言った。 「君が好きだ。ずっとそばにいてほしい」  笑みを浮かべたイアラの瞳から再び大粒の涙がこぼれ落ちる。顎から涙が滴り、煌めいた滴が地面で弾けた。 「私もあなたが好き。例え神を敵に回しても、ずっと一緒にいるんだから」  彼女が返事をしてくれた瞬間、僕はもう一度彼女の体を抱きしめた。そして自然な動作で、僕らはキスをした。とても長い時間だったが、重ね合わせた唇を離すことができなかった。  空の彼方で笛のような音が鳴り、直後、巨大な花火が空に打ち上げられた。どちらからともなく唇を離し、僕らはその祝福の花火を見ていた。目玉の花火はそれから次々と夜空を彩り、最後に今までで一番大きな花火が満点の星空に大輪の花を咲かせた。  それから僕らは自然な動作で手を握り合うと、ゆっくりと坂を下った。胸にはまだ、再会の喜びと花火の熱の余韻が残っていた。 「来年も、この場所で一緒に見よう」 「うん。約束だよ」  今、隣で愛しい人の声が聞こえる。
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