第17話 泡沫

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第17話 泡沫

   空高く月が昇る。  昼には瑞々しく太陽の光を反射する水面も、空の色と同じ深い青に染まっている。  静かな波音に耳を傾けながら、俺たちは海風に揺られていた。  時刻は深夜二時。  未だにシレーヌは、姿を見せていない。 —————————————————————   泡沫の人魚姫  第17話 泡沫 —————————————————————  俺たちは青を警察に引き渡したその日、各々の予定していたスケジューリング通りに動いていた。  上浜は部活の朝練へ、俺は塾へと向かった。  しかし、帰宅時間が朝方というのが尾を引いて、睡眠は2時間程度しか取れなかった。  俺は塾に常設されている自販機で缶コーヒーを購入し、何とか難を逃れたのだが……上浜はこの状態で運動をするのかと思うと、だいぶいたたまれない。  そんな考えは杞憂に終わり、塾が終わるころには、元気に部活を終えたとメッセージが届いていた。  そういえばあいつは化け物だったなと、納得と安堵の感情に包まれる。  その安心感を餌に、俺は初めて自習スペースで眠りについたのだ。    塾から帰り、山川さんの作った夕飯を腹に流し込んだ俺は、自室で課題を終わらせた直後、いつも通りに家を出た。  睡眠不足でボロボロな体を奮い立たせるように、足に力を込めて走る。  タッタッタッ  海へ。  どうして走っているのか、今なら明確な理由がある。  早く二人の顔を見て、すべてが解決した今も、この関係が変わらないものだと安心したい。  だから、その思いを頼りに、足を動かし続けたんだ。 「おーい、凛久!」 「上浜!」  向こうの道路から、自転車で駆けてきた上浜の姿が目に入る。  上浜は俺の位置まで追いつくと、スピードを少し落として横に並走した。 「よく来たな、眠くねぇの?」 「どっちかっていうと俺のセリフじゃないか?」 「そうか?」  あっけらかんとした顔で笑みを浮かべる上浜からは、眠気の一つも感じられない。  あたりが暗いせいで目元に隈があるのかも確認しようがないが、この調子なら心配ないだろう。  そうこうしているうちに、海へとたどり着いた。  上浜が脇に自転車を停めている間、俺はゆったりとした足取りで階段を下りていた。  気取られないように表情を作ってはいるものの、内心は不安で溢れかえっていた。 「シレーヌは……まだ居ないか」  見渡した先には、無人の砂浜が広がる。  そこにはシレーヌの姿はおろか、人っ子一人見当たらない。  万一シレーヌが先に居れば、俺たちの存在に気が付いた時点で、こちらに駆けてきただろう。  洞窟にいる気配もなさそうだ。  まあしかし、時刻は夜の十時。  まだ夜は、始まったばかりだ。 * 「……シレーヌちゃん、来なかったな」  岩場に腰を下ろしていた上浜は、立ち上がって伸びをした。 「まだ、朝になってないだろ」  俺は座ったまま、海を見つめていた。  上浜は幼子の駄々を眺めるような顔で、軽く息をついた。 「もう二時過ぎてんだぞ~ いい加減認めろって」 「まだ二時だ」  俺は上浜に顔を向けないまま、ハッキリと声を上げた。  上浜は優しく眉を下げると、俺の真横に座り直した。 「ほんとはさ、凛久も気づいてんじゃねーの?」 「何が」  言わんとすることが分かっている分、苛立ちが声色に現れてしまう。  上浜だって、事実を言いたくは無いのだろう。  だって感情を隠しきれていない。  器用に片目だけを細めた上浜は、勢いのまま言葉を口にした。 「シレーヌちゃん、消えちゃったかもしんねぇよなってこと」  上浜は下唇を軽く噛みしめると、黙り込んでしまった。  まあ、そうなるよな。  俺も同じ考えでいた。  分かっていた。    シレーヌが自分を青だと認めたときから。    青を助け出してしまったら、シレーヌの存在意義が無くなってしまう。  この世界から逃げたいという強い現実逃避が、青の中でシレーヌを形作っていた。  青が救われた先でシレーヌは存在できるのか、ずっと疑問だった。  だけど、考えてなどいられない。もし一度考え始めてしまえば、青を救い出すこと自体を躊躇いかねなかった。  それはシレーヌに対しても、青に対しても、悪い結果をもたらすに違いない。  でも、上浜も今言わなくたっていいじゃないか。    まだ信じてたっていいじゃないか。  たった一日現れなかったくらいで、シレーヌが消えたと決めてしまうのは時期尚早だ。  シレーヌだって目覚めたはいいものの、何らかの事情で海にたどり着けない状況なのかもしれない。 「シレーヌは……シレーヌは!!」  泡になんてならない。  人魚姫のように、本懐を遂げれずに散ったりなんてしない。  むしろ願いだって叶えている。  小説のシレーヌだって消えたわけじゃなかった。  だから、シレーヌも…… 「凛久、一旦落ち着け」  上浜の制止が耳に入る。  いつの間にか身を乗り出していたようだ。  上浜の両肩に置いていた手を離すと、何もなかったかのように澄ました顔をしてみた。   「さすがに無理あるからな」  上浜の珍しいツッコミを無視していると、この沈黙に降参したあいつが口を開いた。 「ただ待ってるのもあれだしさ、俺にもシレーヌちゃんの動画を見せてくれよ」  確かに、黙ってるだけは退屈だ。  到着してから4時間近く過ぎていたため、俺たちの間で話題も尽きていた。  無言の同意をした俺は、いそいそとポケットからスマホを取り出す。  画像フォルダを開けば、動画欄に横並びでシレーヌが2人いた。 「あれ、二つも撮ってたのか」 「最初のはミスったらしい」 「へえ……」  上浜は顎に手を当てたまま、悪い笑みを浮かべた。 「なあ、どうせなら失敗したやつも見てみようぜ。ちょっと面白そうだし」  後でシレーヌちゃんに言ったらどんな顔するだろなとニカニカ笑う上浜の姿に、俺の悪戯心にも火が付いた。 「まあ、消さないのが悪いよな」  俺も上浜に習うように片眉を吊り上げて、スマホに指を滑らせた。    パッと、シレーヌの姿が近くに映る。 『あ……あ……こんな感じかしら、ちょっと不安ね』  カメラを置いて、指定の位置に移動するまでの様子がハッキリと映っていた。  確かめるような声の出し方には、緊張感が感じられない。  この前見たものとはずいぶん様子が違うなと違和感を覚えたが、一回目なら仕方がないだろう。 『……あら、このままだと変な始まり方になってしまいそうね。青宛の時はすぐにスタートするべきかしら』  言ってくれれば、動画の先端くらいカットできたのにな……  2回目に取ったときは、タイマー機能でも使用したのだろうか。  だいぶうまい仕上がりになっていたし。  もう終わったことなのに、変な心配ばかり浮かんでしまう。    あれ?  ?   『凛久、それから浜っち』  青に向けた動画のはずなのに、俺たちの名を呼ぶ声が聞こえる。 『この動画は貴方たち二人に宛てた手紙だと思ってくれたら嬉しいわ。気づいた頃にはもうおじさんになっていたりしてね……フフ』  すぐさま俺は上浜と目を見合わせた。  お互いの目からは困惑の色が見て取れる。しかし俺たちは声を出すことなく、画面に目を落とした。  シレーヌが何を思ってこの動画を残したのか、それを早く確かめたかった。  その思いは一緒だったようだ。 『ねえ、二人とも。分かりにくいかもしれないけれど、二人にはとても感謝しているのよ?』  背中に両手を回したシレーヌは、いたずらに微笑んでいる。 『私、貴方たちに合うまでは何もわからずに、ただ海岸を彷徨っていたの』 『なんだか寂しい幽霊みたいでしょう? 凛久が言っていた幽霊って言うのも、あながち間違ってなかったのかもしれないわね。だから初めて凛久を見たとき、とても嬉しかった。貴方は、そうではなさそうだったけれど』 『確かに、見るからに非行少女の私が警察を拒否するんだもの。それは関わりたくないわよね。だから雨の日、凛久が海に来てくれたのには驚いたわ。嬉しくって、思わずぶんぶん手を振ってしまったわ』 『それから、初めて凛久にシレーヌって呼ばれたとき、』 『私はちゃんと、この世界に存在しているんだわって実感が湧いたのよ。だから、ありがとう』 『変装して、このあたりを凛久と二人で冒険もしたわね。二人乗りが楽しくって、思わず身を乗り出してしまったり、貰ったサンドイッチに共食いの疑惑があがったり……色々、本当に色んなことがあったわ。ほんの少し前のことなのに、なんだかとても懐かしい』 『浜っちが合流してからのことも面白かったわ。なんだか浜っちとは波長が合うのよね……思わずバドミントンで本気を出してしまったけれど、青がもともと得意だったのかしら? 二人と、熱い友情を掴んだ気がするわ!』 『凛久が、私に呆れたこともあったわよね。あの時はごめんなさい。戻ってきてくれて、嬉しかった。凛久がいない間、とても不安だったの。きっと、あなたまで私を忘れてしまうんじゃないか……少し、青の記憶と混ざっているわね。……青の母が青から目を背けた様に、貴方も私を置いていくのではないかと、無意識のうちに不安になっていたわ』 『やっぱり、私は私じゃないのね』 『……そうそう、人魚伝説について調べるのも楽しかったわ! 凛久のお祖母さんもとても愉快な方だったから』 『……そのあたりから、だんだん違和感を感じていたわ。なんとなくその物語を知っているような、凛久から聞いた碧の名が頭をよぎっては、頭に痛みが走る。けれど、私も見ないふりをしていたの。真実に近づけそうなのに、変よね』 『それから、ようやく私が青であると判明した。最終的には私が日記を持ってきたから分かったことだけれど、貴方たちの反応を見て、二人ももう真実まであと少しのところにいたのだと分かったわ』 『貴方たちの時間を私にくれて、ありがとう。もし、真相を知るときに私一人でいたら……考えると不思議ね。貴方たちが居なければ、こんな感情も湧かなかったでしょうに。あのとき、少しだけ強がってしまったの』 『もちろん、青を救いたい気持ち、私なら彼女を救い出せるんだっていう自信にあふれた誇らしさはあったのよ』 『けれど寂しさだけは、自分を騙せないのね』 『怖くはなかった。本当よ。けれど、青が私を必要としなくなったら……』 『私は、私が貴方たちと過ごした日々はどこへゆくのだろうって』 『何となくわかるのよ。だって自分の体だから。青が家族の問題を解決したら、私は居なくなってしまうんだって』 『私がいるせいで青の精神もより不安定になっているみたい。最近私の行動時間が増えたのは、きっとそのせい』 『私が存在し続けていたら、いつか本物の青を飲み込んでしまうわ。そんなことにはなってほしくない』 『だから私は、この作戦が成功したら、青の中から去ろうと思うの』 『凛久と浜っちとの会話も今日で最後かもしれないわ……何だか変な感じね』 『だから改めて伝えさせて』 『私に付き合ってくれて』 『たくさんの思い出をくれて』 『寂しさを教えてくれて』 『ありがとう、おやすみなさい』  シレーヌの白い手が画面いっぱいに広がる。  そこで動画は終わっていた。  言葉が出ない。  出ない。  でない。  こんな、呆気なく終わってしまうものなのか。  スマホを握りしめる手に力がこもる。    本当に居なくなってしまったんだろうか。  別に消える瞬間を映したわけでもない。  だったら! 「シレーヌちゃん……」  真横を振り向けば、上浜が涙を流していた。  俺は、現実逃避をしていたことに気づく。  シレーヌは、もういない。  だから、いくら待っても来なかった。  いい加減、認めたらどうだ。  でも、認めたところで何になる。  俺はまだ泣かない。  泣いたりなんてしたら、シレーヌとの別れを認めているようなものだろう?  上浜は、静かに涙をぬぐっていた。  俺は、上浜にかける言葉を見つけられなかった。  下唇を強く噛みしめる。  そもそも、なぜこんな重要なことをシレーヌは告げなかったんだ。  分かってさえいれば、何か……  何か……    俺たちが、何か事を起こす未来が分かっていたのかもしれない。  俺だって、無意識に考えないようにしてたんだ。  青を救うことはシレーヌとの別れだって。  やるせない。  わかっていても、その思いが燻る。  せめて、最後に一言いってやりたかった。  シレーヌ 「シレーヌ」 「私を呼んだ?」 「は」  透き通るような高い声に思わず後ろを振り返る。  月に照らされて輝く銀髪は、まるで童話から抜け出してきたかのような彼女によく似合う。  シンプルな白いワンピースを風に靡かせて微笑む少女は、まさに海の波そのものであるかのように儚く、綺麗で。 「シレーヌ?」 「ええ、私よ? どうしたの二人とも、そんな顔して」 「シレーヌ!!!!」 「どうしたのよ、凛久」  夢や幻なんかじゃない。  シレーヌがそこにいる。  俺はそのとき、やっと涙を流した。 *  俺たちは横並びに座って、思い出話に花を咲かせた。  動画を見たことを話せば、シレーヌは困ったように笑った。  からかってやろうと始めたことであるが、こっちが泣いてたんじゃ何も言えない。  口をつぐんだ俺たちがよほど面白かったのか、シレーヌは笑い転げていた。    シレーヌはいつもの姿と少し違った。  全身の至る所に絆創膏や包帯が巻かれており、サンダルも履いていた。  そもそも青の所在地はホテルと聞いていたが、詳しい場所は知らなかった。  シレーヌに尋ねれば、ここから歩いて1時間近い場所だと言う。  青が親切心から地図と靴を用意してくれたらしいが、この時間帯に1時間も女子を歩かせるのはどうかと思うので、シレーヌに注意しておいた。  しかも、何度も道に迷ったというのだから実際は3時間近く歩いていたのだろう。  道理で到着が遅くなるわけだ。 「あんな動画を残すから、居なくなっちまうかと思ったぜ。なあ、凛久」  上浜が笑顔で肩を組んでくる。  いつもなら暑苦しいと振り払うが、今日はまあ、どうでもいいや。 「ああ、正直驚いた。けどまあ、こうしてシレーヌは居なくならないわけだし……シレーヌ?」  彼女は何かを堪えるように、悲しそうに微笑んだ。  嫌な予感が頭をよぎる。 「私ね……」  嫌だ。  待って。 「今日は、二人にお別れを言いに来たのよ」  上浜が焦ったように声をかける。 「冗談はもういいって……だって、」 「本当よ」 「いや……はは」  上浜は状況を飲み込めずに、苦笑いを浮かべていた。  俺は、真っすぐな青い瞳をこちらへ向けて黙りこくるシレーヌの肩を両手で掴んだ。  すぐ目の前に、シレーヌの瞳がある。  何も言わないシレーヌに、俺は怒りを全てぶつけるようにして叫んだ。 「なんで……どうして!!!」  シレーヌは表情を崩しもしない。  真っすぐに俺を見据えていた。  いつだってそうだった。その瞳にいつも、俺の心の内を見透かされるように感じていた。  分かっている。  分かってるから。  もうそれ以上、シレーヌには何も言えなかった。  シレーヌ本人だって同じ気持ちのはずだ。  先ほどの動画を見て、シレーヌの気持ちが痛いほどに分かった。  彼女の中にある、誇らしさと寂しさの感情。    俺はシレーヌを掴む手をゆっくりと緩めた。 「悪い」  下手な泣き顔を晒す前に、この場を離れたいと思った。  無様に彼女を引き留める前に、ここを去りたいと願った。 「凛久」  そのとき、シレーヌの手が俺の腰元まで伸びた。  呆気に取られている間に、それは背中を一周して抱きしめるような形をとった。 「凛久、私は貴方に会えてよかった」 「あのとき初めて出会ったのが、貴方でよかった。心の底からそう思うわ」  彼女の鼓動が聞こえる。  暖かな体温が、優しく俺を包み込む。 「俺も、シレーヌに会えてよかった」  涙交じりの言葉は、シレーヌの耳にも届いたのだろうか。  俺のTシャツの胸のあたりに、小さな雫が降り注いだ。 「凛久」 「シレーヌ」 「俺もいる!」  ドンッといきなり音がして、重量が増えた感触に横を見やれば、上浜が抱き着いているのが目に入る。  そういえば居たなこいつ。 「なんか二人してドラマのワンシーンみたいになってたけど、俺もいるからな! シレーヌちゃん、俺は?」  涙がすっかり引っ込んだ様子のシレーヌは、目をまん丸くして上浜を見つめた。 「浜っちは……」 「俺は……」  ごくりと上浜が喉を鳴らす。 「もちろん、浜っちにも出会えてよかったわ!!」 「俺も! 二人に会えてよかった!!!」  二人して、ニコニコ笑っている。  なんだか、最後の別れにしては緊張感のない空気になってしまった。  けれど、そんな時間が愛おしい。 「おい、凛久、シレーヌちゃん、あれ!」  しばし感傷に浸っていると、上浜が空を指さした。  水平線の先が、明るく眩しい色に染まり始めている。  光は空に伝染し、徐々に、徐々に広がりつつあった。    シレーヌは、空と海の境界線に目が釘付けになっている。 「これが、朝……」  シレーヌは、俺たちの腕の隙間を器用に抜けていくと、海に向けて駆け出した。 「シレーヌ!!」  すぐさま追いかけようと声をかける。  シレーヌは海に片足をつけながら、ゆっくりとこちらを振り向いた。   「私は、消えたりなんてしないわ。あるべきところに帰るだけ。だから、」 「」 「え……」  誰かを思い返すような、突然のその言葉に俺の思考が一瞬固まる。  見上げた先に、俺の瞳の先に映っていたシレーヌは、太陽を背に輝きを放っていた。  朝が来た。  海の方角から差し込む太陽が眩しくて仕方ない。  逆光の為か、シレーヌの表情がよく見えなかった。 「凛久、浜っち」  シレーヌの声が聞こえる。  黒いシルエットが、揺れながら手を振っていた。 「おはよう!」  プツリ。とまるで糸が切れたかのように、シレーヌは膝から崩れ落ちた。  ハッとした俺たちは、急いでシレーヌの元へと駆け寄る。 「シレーヌ、おい! シレーヌ!」  頬を軽く叩いても返事のないシレーヌの姿に、俺は恐怖を覚えた。   「おい、目を覚ませ! おい!」  強く肩を揺さぶり、必死の呼びかけをする。 「……んん……あれ、私」 「! シレーヌ!!」  ゆっくりと瞼を開いたシレーヌは、俺たち二人を交互に見つめた。 「私……どうして……なんだか、感情が溢れ……」  ぼろぼろと、目の前の少女は両眼から溢れんばかりの涙を流し始めた。  突然の出来事に男二人は動揺を隠せずにいた。 「シレーヌちゃん、大丈夫か? どこか痛みが悪化したか?」 「い、いえ! に心配してもらうほどでは……」  薫さん。  シレーヌは上浜のことをそう呼ばない。  だとすれば、シレーヌはもう…… 「おい凛久! なんでお前まで泣いて!!」 「え……」  すかさず頬に手をやれば、目の前のと負けず劣らずの大粒の涙が流れ落ちていた。  混乱する上浜の表情を見て、なんだか笑ってしまう。  シレーヌは、もう行ってしまったのだろう。  誇らしさと寂しさ。今ならもっと理解できるかもしれない。  悲しみの感情は、もう見当たらなかった。 「そういえば、俺も言っておけばよかった。今からでも間に合うかな」 「何言ってんだよ凛久、おまえ……」  訝し気に俺の様子を伺う上浜と、未だに涙を流し続ける青。  二人に向かって声をかけた。 「上浜、青、それからシレーヌ」  これは、僕らをつなぐ真夜中の挨拶。 「おはよう」  朝を告げるように、鳥たちはさえずりを鳴らし始めている。  すっかり海から顔を出した太陽は、俺たちを照らし続けていた。
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