第6話 二人

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第6話 二人

 そんなんだから、俺はあいつの視線にも気づけなかったんだ。  海全体を広く見渡せる場所に位置する道路の上、遠くを見渡すようなポーズでこちらを伺う青年がいた。 「あれ、凛久じゃね?」  そしてまた、物語は動き出していく。 —————————————————————   泡沫の人魚姫  第6話 二人 —————————————————————  俺は陰鬱とした気分の中、学校へと登校していた。  昨日の帰宅時間がいつにも増して遅かったため、睡眠不足であったというのも原因の一つではあるが、一番の原因はやはり彼女のことだ。 「待ってくれ!!!」  これが、今朝目覚めたときの第一声だった。夢の中でさえ、彼女の姿を追いかけていた。傍から見れば、随分と滑稽な姿を晒していたのだろう。  横に置いていたスマホで時刻を確認すると、アラームの鳴る40分も前だった。  俺は舌打ちをして、また布団へと倒れ込んだ。うつぶせになるように体制を整えると、枕へと顔を埋め込み目を瞑る。  しかし、いくら経とうと眠れる気がしなかった。  仕方なく俺は、朝の支度を前倒しにすると決めた。  そんなわけで、いつもよりずっと早く家を出た俺は、ダメもとで海を一回り捜し歩いた。  お察しのとおり、結局は無駄足に終わってしまったのだが。  そうなると、俺に残された希望は今日の夜だけとなる。  いつも通り、何食わぬ顔で出てきてくれればいいものの、もし、万が一、彼女が姿を現さなかったら……  俺はそれが、たまらなく恐い。 『凛久!』  シレーヌの透き通る声が頭に響く。  彼女の儚い存在が、泡となってしまいそうで。  俺は、夜を待ち望みながらも、それを恐れるといった矛盾を胸に抱えていたんだ。 *  登校を終え、教室へとたどり着いたはいいが、俺の席はまた占領されていた。それに加えて、座っていたのは見ない顔だった。  他クラスの奴だろうか?   そして、そいつと話していたのはやはり、一つ前の席の上浜だった。  俺は教室の入り口付近で立ち止まり、この後取る行動を考えていた。  もし変に声をかけて、知らない奴と上浜との会話に巻き込まれてしまったら。  正直、関わるのは面倒なので避けたいと思っている。  頭を抱えて悩む俺の思いが届いたのだろうか。そのとき、こちらに気づいた上浜と目が合った。これ幸運だとばかりに、それとなく、そいつを退かすよう目で訴えかけてみる。  すると、何かに思い至ったとばかりの表情を見せた上浜は、俺の席に居座る奴との話を切り上げ、じゃあなと手を振っていた。  いいぞ、ナイスだ上浜。  しかし、俺の席に居座る奴は一向にそこを去ることもなく、あろうことか上浜の方が席を立った。  何してんだお前。  上浜は俺の訝しげな視線をものともせずに、そのままこちらへと向かってきた。  嫌な予感が脳内に警報を鳴らす。  俺は、すぐさま逃げ出そうと後ろを振り向いたが、もう手遅れだった。  上浜は肩を組むようにして俺を捕獲すると、 「俺、こいつと話あるからさ、席しばらく使ってていーぞ!」 とクラス内を向いて軽く告げた。  ふざけんなくそ。  ホームルーム開始の10分前、テニス部上浜のゴリラのような腕力に連行される形となった俺は、心の中で暴言を吐き散らかした。 * 「で、ここまで連れてきて何がしたいんだよ」  俺が連れてこられたのは、立ち入り禁止の屋上へと続く階段の踊り場だった。掃除が行き届いていないのもあって、わざわざ生徒も近寄らない。  ここは、内緒話をするのにはうってつけの場所だ。  もしくは、〆るのにもうってつけの場所だった。  俺は、背中を向ける上浜の様子を伺いながら、次の言葉を待った。  不機嫌な俺の言葉に反応した上浜は、振り向きざまにこう告げる。 「お前さ、テニスとか興味ねぇ?」 「は?」  拍子抜けした俺は、緊張感のない声をあげた。 「いやさ、お前部活入ってないじゃん? けど水泳部の奴がお前のことを知ってるみたいで、どうにか欲しいって言って聞かねぇんだよ。でもさ、水泳すげえなら、運動神経がいいってことだろ? だったら取られる前にうちが欲しいなって」 「結構だ」 「え? ああ、OKってことか?」 「違えよ」  俺は上浜の誘いを一刀両断した。  話が通じないなこいつ。  水泳とテニスを一括りに考えるなよ……なんだそのトンデモ理論は。 「まあ、それはいいとして。本題はこれからだ」  俺の拒否の姿勢にも動じない上浜は、大して気にした様子もなく話を続ける。  本題じゃなかったのかよ、と心でツッコミつつ、さっさと戻りたい俺は次の言葉を待った。 「昨日の夜、海に居ただろ。凛久の最寄の、幽霊出るってとこ」  俺は、言葉に詰まった。  昨日の夜……シレーヌと居たところを見られていたのだろうか。別に隠すほどのことではないが、下手に関わられるのは面倒だった。白を切ってやり過ごそうかとも思ったが、俺はある可能性に思い至る。 「上浜……」 「なんだ?」  俺は、一縷の望みを懸けて彼へと尋ねた。 「昨日の夜、白いワンピースを着た少女を見なかったか?」  上浜は昨日の夜、俺のことを「海で見た」と言っていた。  俺とシレーヌが人魚テストやらくだらないことをしていた時のことかもしれないし、俺がシレーヌを探していた時のことかもしれない。もし後者であり、かつ彼がその前後を海の近くで過ごしていたとすれば。  俺がシレーヌを見失った後に、彼女の姿を見た可能性だってある。  俺は、固唾を飲んで上浜の返事を待つ。  しかし、現実はそう簡単に上手くいくはずもなく。 「いーや、俺が見たのはお前だけだ。なんか必死そうに走り回ってたから気になってさ」  やはり、収穫なしか。  気分を落とした俺はいそいそと階段を下ろうとした。 が、上浜に肩を掴まれ、それは阻止される。 「いやいやいや、黙って帰ろうとすんなよ。それより、何その女の子! もしかして、お前も幽霊を探してたとか?」  指の食い込む右肩が痛い。流石テニス部一の怪力ゴリラと謳われる男。その好青年っぽい顔のどこに力隠してんだお前。  俺は仕方なく、彼の言葉を反芻させた。  あれ、お前「も」ってなんだ?  疑問符を頭に浮かべる俺へと説明するように、上浜は昨日の出来事を話しだした。 「ああ。実は昨日、肝試ししててさ……」 *  俺たちはチャイムと同時に席についた。ギリギリ朝のホームルームへと滑り込んだ俺は、先生の話も軽く聞き流し、先ほどの話を整理していた。  上浜の話をまとめると、こうである。  昨日の夜、テニス部の男女が肝試しと称してうちの最寄りに集まっていた。  もちろん、目当ては海の幽霊だ。  彼らは目的通りに海へと向かっていたが、謎のうめき声に恐れをなして逃げ帰ったらしい。  その後、一度は家に帰った上浜であったが、両親が留守なのをいい事に、もう一度自転車で戻ってきたという。  どんな根性してんだ、こいつ。  途中、警察や人だかりに気を取られて、時間をだいぶロスした彼がやっとのことで海に戻ってくると、そこにいたのは何故か必死な俺一人だったというわけだ。  ちなみに、謎のうめき声とは、シレーヌが人魚になろうと奮闘していたときのものだろう。  なんだか変に仲間意識を持たれた俺は、やっとのことで彼の話を振り切り、クラスへと戻ってきた。  この話はここまでにしておきたいのだが、ホームルーム中にも関わらず、上浜はちらちらとこちらを振り返ってくる。まるで、待てをされた犬のようだ。  変な奴に懐かれてしまったなと、俺は頭を悩ませていた。 *  その後の一日も、上浜は隙あらば俺に話しかけてきた。  俺は、次の授業が……先生に呼ばれて……と彼の猛攻を躱し続けた。  その結果、何事もなく一日が終わり、放課後になると上浜はテニス部の奴らに連行されていった。  めでたしめでたし。 *  深夜11時、今日も俺は海に居た。もちろん、シレーヌの安否を確認するためだ。  しかし居ない。  いつもシレーヌがいるはずの時間を探し回ろうとも、彼女の姿は見当たらなかった。雨でも姿を見せた彼女が、だ。  それでも諦めきれなかった俺は、一息ついてからもう一回り探そうと思っていた。  そのとき、堤防の方から誰かの足音が聞こえた。  タッタッタ  軽快なリズムで階段を下っていく。  もしかしたら、シレーヌかもしれない。  俺は期待を胸に振り返った。 「凛久!」  そこに居たのは、白いワンピースをはためかせたシレーヌでなく、ただの上浜だった。 「お前かよ」  思わず、舌打ちを返してしまった。 「おお、俺だよ。悪いかよ?」  不服そうな上浜が言葉を返す。 「やっぱ一人で幽霊探してると思ってよ、俺も手伝おうと思って来たんだ」  余計なおせっかいだ。 「でさ、凛久はその幽霊っぽいの見たか?」  さっきから、幽霊幽霊うるさいな。  俺が一緒に過ごしてきたアイツは、別に幽霊だと決まったわけではない。何も知らないやつがしゃしゃり出てくることに、俺は苛立ちを感じていた。そして、シレーヌの存在を見つけ出せないでいる自分自信の無力さに打ちひしがれていた。 「幽霊ってどんななんだろうな、見つけたら捕まえてみるか? 俺は……」  無言を貫き通す俺を気にすることもなく、上浜は話し続ける。  我慢ならなかった俺はついに、口をはさんでしまった。 「幽霊じゃねぇ!! シレーヌだ!!」 「お、おお……」  突然の俺の変貌に、上浜は苦笑いを返す。  やってしまった。  俺は気まずげに顔を伏せた。ここまで感情的になるつもりはなかった。  いくら上浜に対して苦手意識があるとはいえ、クラスメイトとしての関わりを完全に切るつもりはなかったのだ。付かず離れずのほどよい関係性を保って、平穏な生活を守る気でいたのに。  これでは、俺が頭のおかしい奴扱いだ。  どう取り繕うか、そう考えていたさなか、先に行動を起こしたのは上浜だった。 「シレーヌって、もしかして幽霊の名前か? あ、いや幽霊じゃないんだっけか」  恐る恐る、俺の機嫌を伺うかのように、上浜は俺を見やる。  上浜の心情を測りきれなかった俺は、静かにその質問に答えることしかできなかった。 「そう、シレーヌって名前なんだ。幽霊かは分からない」 「へえ、その子は一体何者なんだ?」  俺の返答に気を良くしたのか、上浜の質問は続いた。それから数十分の間、俺は続く質問に答え続けた。 *  上浜の質問が尽きるころには、俺とシレーヌとの数日間の半分ほどが語り尽くされていた。  突拍子も無い俺の話を、あいつは真剣に聞いてくれていた。しまいには、シレーヌを幽霊などと呼ぶこともなくなっていた。  長く続いた質問の繰り返しが終わると、上浜は言葉にならない声で大きく叫んだ。  いきなりの奇行に肩をびくつかせた俺は、バカでかい声を発した本人の方を見やった。  妙にすっきりした顔を浮かべたあいつは、爽やかに笑ってこう言ったんだ。 「俺、お前と一緒にシレーヌちゃん探すわ!」 *  その日から、俺とあいつの奇妙な関係は続いた。  翌日も、その翌日も俺たち二人は海に居た。別に、時間を決めて約束をしたわけでもないが、深夜前には二人でシレーヌを捜索していた。  上浜は根気強いのか馬鹿なのか、反応の薄い俺に何度も話しかけてきた。そのたび、俺は適当な返事で一言二言返す。それを嬉しそうな声で上浜が笑う。  本当、変な奴だ。  そもそも、あいつはシレーヌと会ったこともなく、本当に存在するのかも見たことがない。なのに、ここまで懸命に探すのは馬鹿じゃないかとも思った。  俺がもし奴の立場だったら、シレーヌの存在を相手の妄言かと疑ってしまっただろうに。  純粋すぎるのも考え物だが、彼が周りから好かれる人物たる理由が少しだけ、分かった気がした。  やっぱ俺は苦手だけど。  俺らは何度もシレーヌの名前を呼びながら、同じ場所を繰り返し周った。  俺たちの懸命の捜索も空しく、この二日間も無駄足と終わった。 *  奇妙な関係が始まって三日目の昼休み、あいつは俺にある提案をしてきたんだ。 「は、図書室に向かう?」 「ああ、そこでシレーヌちゃんのことが分かるかもしれねぇ!」  大した理由も教えずに、上浜は俺を連れていこうとする。  無駄足を踏みたくないからと抵抗する俺に、とりあえずついて来いと引きずる上浜。お笑い芸人のようなテンポで言い合う俺らに、クラスメイトたちがクスクスと笑いだす。  注目されることが嫌だった俺は、渋々図書室への道のりを辿った。  目的地への道中、上浜に話を聞くと、彼が俺をここまでして連れて行こうとした理由がわかった。  上浜は部活の連中からある話を聞いたそうだ。  それは、図書室の司書が事件の切り抜きをコレクションしているらしいという噂だった。話を聞くに、彼女は過去に探偵を目指していた身であり、趣味で様々な事件をスクラップしているという。  そこで上浜は、5年前に海で起きた事故の記録を見せてもらおうと言ってきた。  もし、シレーヌが幽霊であるとすれば、そこに彼女の名前があるかもしれない。そう考えたのだ。  俺たち二人は図書室の前にたどり着くと、恐る恐る扉を開けた。普段は訪れることのない独特の空気感に、少しの場違いさを感じる。特に上浜と部屋のミスマッチ感がすごい。  ここで大声は出すなよと、上浜の脇腹を肘でつつく。  流石に常識はわきまえるタイプだったのか、上浜は小さな声で司書を尋ねた。 「すいません、明沼さんいますか?」  入り口で当番をしていたであろう図書委員に声をかけると、奥から司書らしき人が現れた。  俺たちが事件の記録を見せてほしいと頭を下げたところ、彼女は快くファイルを貸し出してくれた。総勢30冊にも及ぶ事件ファイルは、幅広い時代や土地の事件を網羅していた。  その中でも今俺たちの手元にある3冊は、ここら一帯に範囲を絞って事件をまとめたものだった。彼女がこの土地の司書を務めてから約10年もの間、丁寧に集められてきたものだという。  俺の住む場所は、学校のある土地と市を挟んでいるからと不安になっていたものの、ここら5つの市を範囲に扱っていると聞いたので安心した。  さっそく、その記録を受け取った俺たちは、5年前の事件を調べ始めた。  俺が一枚ずつ捲ってその記事を探していると、上浜が声を上げる。 「おい、これ!」 「静かにしろ。ここ図書室だぞ」  上浜の大声を窘めながら記事をのぞき込むと、そこには酔っ払いの物損事件の話があった。 「なんだよこれ」  理解できないという顔で俺は聞いた。 「何って、こないだの事件だよ。その日、お前もシレーヌちゃんと居たんだろ? サイレンぐらい聞いてないのか?」  ああ、あの時のか。  俺がシレーヌとあった最後の日、シレーヌの異変を感じるきっかけとなったあのサイレンを思い出す。俺は事件の記事を眺めた。  なになに、酔っ払いが暴れて器物破損? けが人はその酔っ払い本人……なんとも迷惑な話だ。  幸い他にけが人も出ず、大事にならなかったせいか犯人の名前も載っていない。町内ニュースなんてこんなもんか。  これを見てたら足止め食らっちまったんだよと、思い出し笑いをする上浜をスルーして、俺は続きを探しに戻った。  それから一分もたたないうちに上浜がまた声を上げた。 「おい、凛久!」  次はなんだ。 「これじゃね? あの事件」  そういって上浜が指さしたのは、転落死の記事だった。全国でも取り上げられたのだろうか、何枚もの記事が重なっていた。俺はその一記事に目を通す。 『-小学生女子 転落死- 二十八日午後八時二十分ごろ、神奈川県〇〇市〇〇中央三丁目、神谷 碧さん(十一)が顔などから血を流して倒れているのを地元の住民が一一九番した。搬送時は息をしていたものの、数時間後、地元の病院で息を引き取った。海付近での事故とあり、地元の住民はー--』  俺はほっと息をついた。シレーヌの名前はない。  彼女を見つける為の手がかりとならなかったのは残念である。しかしそれ以上に、彼女が人間で、そこに存在していることの証明になるようで俺は安堵した。 「その様子だと、違ったみたいだな」  上浜が再度記事をのぞき込んで指をさす。 「写真の女の子、シレーヌちゃんじゃなかったんだろ?」 「写真?」 「は? まさか名前だけしか確認してなかったのか?」  呆れ顔でそう返す彼の指先には、一枚のモノクロ写真があった。  そこに映る少女の姿に目を通した俺は、文字通り固まった。 「……シレーヌだ」 「うそだろ! じゃあやっぱりシレーヌちゃんは」 「違う、そのシレーヌじゃない」 「は? 何言って」  上浜は俺の言葉が理解できていないようだった。  無理もない、だって俺が一番混乱している。  俺の目に映るのは、一枚の写真。  黒い髪を肩より上で切り、溌溂とした表情を浮かべる少女がそこに居た。  その瞬間、全てを思い出したんだ。  それは5年前、俺に寄り添ってくれた少女の記憶。 『大丈夫、シレーヌが守ってあげる!』  顔や、声に、表情も。  全て鮮明に思い出してしまった。  短い黒髪を揺らし、俺の手を引く少女。 『目を見て』 『深く息を吸って』 『そして吐き出して』  違う。  違う。  全部違った。  あの写真の少女こそが俺の思い出の少女だった。  だとしたら、 『シレーヌ』お前は一体誰なんだ。
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