第7話 亀裂

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第7話 亀裂

 短い黒髪を揺らし、俺の手を引く少女。 『目を見て』 『深く息を吸って』 『そして吐き出して』  違う。  違う。  全部違った。  あの写真の少女こそが俺の思い出の少女だった。  だとしたら、 『シレーヌ』お前は一体誰なんだ。 —————————————————————   泡沫の人魚姫  第7話 亀裂 —————————————————————  新聞に載った1枚の写真に目を奪われ続ける俺には、もはや誰の言葉も届かない。  俺は目の前の真実を受け止めきれずにいた。    シレーヌが、シレーヌでなかった。  そして、思い出のあの子は死んでいた。  何から考えをまとめていけばいいのだろうか。大きすぎる衝撃にうまく言葉が出てこない。  俺は、今まで信じてきたものが崩れていく音を心の奥底で聞いていた。 * 「……久!!」 「おい、凛久!!」 「いい加減、ぼーっとしてないで説明しろ!! 予鈴もなってんぞ」  どれくらい、こうしていたのだろうか。上浜の声で正気に戻される。  時刻を確認すると彼の言うとおり、本鈴の鳴る5分前だった。もちろん、授業をさぼったことなど未だに無い俺らは、資料を片付けて急いで教室へと戻る。ここから教室までの間に大した距離があるわけでもなく、走れば十分に間に合う程度だった。  階段を駆けあがるさなか、俺は『シレーヌ』のことを思った。  彼女を失っていた悲しみと、彼女に対する得体の知れなさ。  思い出のシレーヌと、今のシレーヌ。    何故、こんなにも共通点があるのだろうか。  二人は知り合いだった? シレーヌは全てを知っていた? もしそうであれば、彼女の目的はなんだ? 少女はなぜ亡くなった? そもそも、記事は本物なのか?   今の俺には、分からないことばかりだ。  唇をかみしめ、無言で駆け抜ける。  そんな俺の様子を知ってか知らずか、上浜は何も言わずに後ろを追走した。   *  時刻は夜の十一時。  あの後、午後の授業をどうにかやり過ごした俺らは、言葉を交わすことなく放課後を迎えた。俺は夜を迎えると、日課となりつつあるシレーヌ探しの為に海へと来ていた。  海へと続く階段を下ろうとしたとき、向こうの道路から上浜もやってきた。上浜は昼間の俺の様子を不思議に思っていただろうに、何も気にしていないとばかりに軽く挨拶をした。  俺はそれに小さく頷いた。  偶然に合流を果たした俺らは何か会話を続けるでもなく、無言で階段を下った。  そのとき、強い風が吹き抜けたんだ。 「うわっ」  突然の突風に体のバランスを崩した俺は、情けない声を上げながら横にあった手すりを掴んだ。   「凛久!」  上浜の声じゃない。  俺を心配するかのように発せられた声は、涼やかな鈴の音のようなものだった。  その声の鳴る方へと目を凝らせば、浜辺に佇む白い影が一つ。  俺は、何も言わずに階段を駆け下りた。 「もしかして、あれか!?」  上浜の驚く声も無視して、彼女を目指して走り出した。 「シレーヌ!!!」  目の前には、この数日間探し求めていた姿があった。  彼女を逃がさないように、細く伸びた白い腕を力の限り掴む。  俺の必死な形相に、シレーヌは少しだけ驚いた表情を浮かべると困ったように微笑んだ。  触れた手のひらからは熱が伝わる。大丈夫、人間の感触だ。  よかった、ちゃんといる……  彼女は腕を掴まれたまま、膝から崩れ落ちた俺を心配するようにしゃがみこんで言った。 「おはよう、凛久」  その言葉に、どれほどの安堵を覚えたのだろう。 * 「ほお~これが本物のシレーヌちゃんか」  全方向から余すことなく、彼女に視線を向け続ける上浜を肘で小突く。結構な勢いでぶつけたつもりでいたが、流石テニス部。体幹が強くふらつきもしない。  俺の制止に気づいた上浜は、ごめんごめんと手を合わせてシレーヌへと謝罪をする。当のシレーヌは、何について謝られたのかも分かってない様子だった。  シレーヌが気にしてないのをいいことに、上浜は自分のペースを貫き、自己紹介を始めた。 「挨拶が遅れたけど、俺は凛久の友達の上浜。浜っちって呼んでくれよな」  こいつを友達と認めるのは癪であるが、いちいち訂正するのも面倒くさい。初対面にしては随分と急な距離の詰め方であるが、シレーヌの反応はどうだろうか。 「ええ、浜っち。凛久の友達は私の友達よ、よろしくお願いするわ!」  そうだ、こっちもこっちで自由人だった。流石マイペース同士、互いに動じることなく交流を深め合っている。  俺は数歩後ずさり、少し離れた場所で二人の様子を見守っていたのだが、二人の話は盛り上がったまま、途切れる様子も見られない。上浜が何か渾身のネタでも呟いたのだろうか。一瞬の沈黙の後、シレーヌが大きく噴き出した。  随分と楽しそうだな。  別に、二人が仲良くする分には何も問題はない。シレーヌに話し相手が増えてよかったとさえ思っている。俺自身も、決して寂しさを感じているわけではない。  ただ、ただ一つ言いたいのは、この数日間必死に探してきた俺に対して 随分とあっさりした反応をするんだな と思っただけだ。っていうか、二人とも俺の存在を忘れてるんじゃないか? まさか、ないとは思うが……この二人のことだ。あり得なくはない。でもさすがに……いや  ゴスッ  考えを深めていた俺の頭に何かが突き刺さる。 「いった……」  最近こういう事が多すぎやしないか? と思いつつ、頭を押さえて痛みを逃す。そんな俺の足元に、何かが転がり落ちてきた。  ……羽? 「うっわ! すまん凛久!! テニスの感覚でぶん回したら思いのほか飛んじまって……」  謝りながらやってくる上浜の手には、細身のラケットが握られていた。 「は、バドミントン?」  この短時間で何がどうなってバドミントンをしてたんだよ。  何が何だか分からないでいる俺に、上浜は状況説明を始めた。 「ああ、昨日からさシレーヌちゃんと会えた時のために何かしようと思って持ってきてたんだよ! ほら、汗水流して掴んだ友情は壊れないっていうだろ? 初対面で仲良くなるには、スポーツが鉄板だと思ったんだ!」  随分な大荷物だとは思っていたが、それが中身か。  確かに、彼の言ってることは分からなくもないが……素性の分からないシレーヌ相手に、ここまで土足で踏み込んでいけるこいつには、尊敬の念すら覚える。  ツッコミどころも満載であるが、本当にこいつ、成績がいいんだったか?  とりあえず、一番に浮かんだ疑問を投げかけてみた。 「……なんでバドミントン?」  上浜は、お前がいうか?とでも言っているような顔で、両手を上げてやれやれのポーズを取った。 「お前、テニス嫌だっつってただろ? バドならいけるかと思って」  身に覚えのない彼の話に、俺は更に顔をしかめる。おでこの物理的な痛みとは別の意味で、頭が痛み始めた気がした。 「そんなこと言ったか?」 「だってお前、テニス部の誘いを断ったじゃねえか?」  あれか。  あの階段の踊り場で話した内容をここまで婉曲させて受け取っていたとは。こいつは、俺がテニスを嫌いだからあの誘いを断ったとでも思っていたのだろうか……とんでもない奴だ。  俺は、思わずため息をついた。 「そういう理由で断ったんじゃねぇよ……」 「じゃあ! お前がテニス部に入る可能性も、ゼロでは「ある」  被せるように発した俺の言葉に、嘘だろ……!と衝撃を受けている上浜を放置してシレーヌの方を見る。なんだか、不穏な笑みを浮かべていた。  彼女はきれいなフォームでラケットを構えると、勢いよくスマッシュを叩き出した。  嘘だろ、おい。  このままいくと、シャトルの軌道上にある俺の顔面ドンピシャだ。  とっさのことにあたりを見渡すと、未だ衝撃を受けている上浜の横にラケットが落ちていた。急いでそれを拾った俺は、向かって来たシャトルを思いっ切りぶん殴った。  軽い羽根は俺の加えた上向きの力に飛ばされて、夜空に大きく弧を描く。 「凛久! ナイスセーブ!」 「やるじゃん、やっぱうちに欲しいな……」  嬉しそうなシレーヌに、いつの間にか元気を取り戻していた上浜。いずれ落ちてくる白いシャトルの落下位置では、二人そろってラケットを振りかぶっていた。  は、これって2対1? 普通三人でやる流れじゃないのか?  常識などお構いなしの二人に否応なく覚悟を決めさせられた俺は、渋々と構えのポーズを取るのだった。 *  結局は敵味方関係なくもつれ込んだラリーは、30分の死闘の末に終わりを告げた。 「はぁ……はぁ……浜っち、やるわね……」 「シレーヌちゃんこそ……なかなかやるな……」  浜辺に寝そべり、どこぞの少年漫画のような雰囲気を醸し出す二人を俺は遠目から眺めていた。  時刻は深夜零時過ぎ。思わぬ形で時間を潰してしまったが、いい気分転換になったかもしれない。俺は今朝と比べて冴えているようにも感じる頭で、今一度シレーヌのことを考えていた。  せっかく今日会えたんだ。聞きたいことだって沢山ある。  俺はぐったりとするシレーヌの元まで歩みを進め、近くにしゃがみこんだ。 「シレーヌ、今ちょっといいか?」 「あ……もしかして、昨日のことかしら」  少し気まずそうに笑みを浮かべるシレーヌに、俺は疑問を募らせた。  昨日? 昨日ってなんだ?    昨日、俺たちはシレーヌのことを一度も見かけてなどいなかった。思い当たることが何もない。もし考えられるとすれば、 こちらに気づいて逃げていたとか?   だとしたら、今日の様子には違和感がある。なぜ今日は俺たちに会うことを選んだんだ?  はやる気持ちを押さえつつ、シレーヌを怖がらせないように、なるべく感情を抑えた声で疑問を紡いだ。   「昨日、何があった? 俺たちはずっとお前を探してた……シレーヌは、どこにいたんだよ?」  彼女は不思議そうな表情を浮かべていた。まるで、俺の言っていることに矛盾点があるかのような顔ぶりだった。 「何って、昨日は一緒に冒険したじゃない?」  今度は俺が呆気にとられる番となった。 「昨日じゃなくて、4日も前の話だろ」 「嘘……だって、あの公園で凛久が消えてから、まだ少しも経っていないじゃない!」 「消えたのはお前だろ……?」  シレーヌの言い分を心底理解できなかった俺は、たじろぐようにそう告げた。  それを聞いたシレーヌの表情が、ぐにゃりと歪む。彼女は彼女で理解が及ばないようだった。  確実に、話に食い違いが生じている。  ただし、正論を言っているのはどう考えてもこちら側だった。  誰が聞こうと、シレーヌの言っていることには現実味が無いと判断するだろう。現に横に居た上浜も、混乱の表情を隠しきれずにいた。    正直、俺自身だって彼女を信頼しきれていないんだ。上浜の態度は正常だ。  しかし、朝を知らないという彼女の言い分を信じるならば、話は変わってくるかもしれない。シレーヌの言っていることも、彼女の中では理にかなった話だと考えられる。つまり、シレーヌは昼間の記憶と同様に、この数日間の記憶を失くしてしまったのだろう。  まあ、冷静に考えると馬鹿馬鹿しいとも思える仮説ではある。  ある程度の推測を終えた俺は、シレーヌへと向き直った。  彼女に、一番聞きたかったことが残っていた。  それは、もう一人のシレーヌについて。    彼女と目の前のシレーヌが同一人物でないという可能性は、ほぼほぼ確定している。ならば、彼女たちの繋がりを知りたかった。それが、シレーヌの正体にもつながるかもしれない。  けれど、一番の理由は俺自身にあったんだ。    なぜ、彼女の名を騙って俺の前に現れたんだ?  何の利点も無いとは思うが、一つの可能性が拭えなかった。それは、 最初からすべてを知って、俺を騙していた可能性。  シレーヌが俺を騙していたなど、嘘でも思いたくなかった。だから、ここで少女との関係性をはっきりさせたかったんだ。  そして俺は、願うようにこう告げた。 「シレーヌ、『神谷碧(かみやみどり)』って子を……「嫌よ」  質問の内容を最後まで言い切ることもできずに、俺の言葉は遮られた。   「嫌、何か嫌だわその話。もう止めて頂戴」  そういったシレーヌの青い瞳は、真っすぐに俺を射抜いていた。まるで、こちらの言葉を鋭く否定するかのように、嫌悪感を込めた瞳でそう言い放った。  その瞬間、俺の中で抑え込んでいた何かが音を立ててはち切れたんだ。 「何でもかんでも嫌だ、嫌だって…… こっちのセリフだよ」  気がついたときにはもう遅く、口からは言葉が溢れ出していた。  自分に都合の悪いことを否定し、真実を探ろうとする俺の邪魔になるシレーヌの存在。  俺はもう、我慢ならなかった。 「お前が自分自身を知りたいと願うから、ここまで協力してきたのに……んだよそれ。お前自身が真実から逃げてんじゃねぇよ!!」 「凛久……?」  戸惑いと恐怖の色を見せるシレーヌに、お構いなしに俺は続けた。 「結局お前は何者なんだ? 現実味のないことばっか言いやがって、幽霊か? 人魚か? ……いい加減、怪しすぎてさ、ただの嘘つきとしか思えない」 「……」 「調べれば調べるほど、答えは遠ざかってくんだよ……結局、お前は何者なんだ!! もしかして、初めから嘘ついてたのかもしれないな!!」 「……私は!」 「しまいには! あの子の真似事で? 同じ名前を騙って俺に近づいて……なあ、何が目的なんだよ?」 「あの子って…… 凛久、言ってる意味が」 「偶然にしては出来すぎてるんだ。とぼけるなよ、なあ!!」  自分の情けない叫び声が、海にこだまする。  いつの間にか高ぶってしまった感情は、もう収まることも無い。  こんなに、怒りの感情をさらけ出したのはいつぶりだろうか。  狂うように思いを吐き出す俺の姿を他人事のように眺める俺がいた。変に冷静な気分だった。  傍から見ても、俺の姿は醜かった。  何かおかしいと、異変に気付いた俺の腕を掴もうとするシレーヌの手が振り払われ、俺はその場を去ろうとしていた。そこを上浜に取り押さえられる。 「おい、凛久……どうしちまったんだよ。いったん冷静に」 「頼む、放してくれ……」  心配そうな視線が酷く痛い。  正直、泣きたい気分だった。俺が幼稚な態度を取ったことは分かっている。  それでも、もう抑えることはできなかった。  シレーヌへの不信感が、遂に俺の限界を超えた。それだけのことだ。  想像と違ったであろう俺の表情に、上浜は黙って手を放した。  俺は、静かに階段を駆け上がった。 * 「ねえ君、ちょっといい?」  海に沿った道路を歩いていると、後ろから声を掛けられる。  振り返った俺の目の前に突き出されるのは、金色桜の目立つ青い手帳。  キチンとした制服で身を包む男たちは、にこやかに俺を取り囲んだ。 「警察なんだけど、ちょっとお話伺える?」  俺が適当に返事を返すと、途端に大人たちは喋り出した。  別に君を疑ってるとかじゃなくてねと、丁寧な前置きをつけながら、どうしてここに? 何してたんだ? と息つく間もなく質問攻めに合う。  ぼうっとした頭で警察に受け答えをしているうちに、段々と職質の始まった理由が分かってきた。  原因は、海で聞こえた喧嘩の声らしい。  もしかすると、俺の叫び声が住宅街まで響きわたり、誰かに通報されたのかもしれない。  曖昧な受け答えに俺が関わってると確信を持ち始めた警察は、身分証を出すように促してきた。  このままだと、捕まりはしないものの厳重注意は免れないだろう。父が知れば、面倒なことになる筈だ。    なんて言い訳をしようか。  一瞬、父への誤魔化しに頭を悩ませた俺であったが、あんなことがあった手前、自暴自棄気味になっていた。  もう、どうでもいいか。  俺は諦めを帯びた声で彼らに従い、交番への道を辿った。
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