第8話 父親

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第8話 父親

「警察なんだけど、ちょっとお話伺える?」  別に君を疑ってるとかじゃなくてねと、丁寧な前置きをつけながら、息つく間もなく質問攻めに合う。  曖昧な受け答えに俺が関わってると確信を持ち始めた警察は、身分証を出すように促してきた。  なんて言い訳をしようか。  一瞬、父への誤魔化しに頭を悩ませた俺であったが、あんなことがあった手前、自暴自棄気味になっていた。  もう、どうでもいいか。  俺は諦めを帯びた声で彼らに従い、交番への道を辿った。 —————————————————————   泡沫の人魚姫  第8話 父親 ————————————————————— 「えーっと、栄凛久くん16歳……高校一年生で間違いないかな?」 「はい」  冷房のひどく効いた交番の小さな一室で、一通りの事情聴取を受け終えた俺は小さく返事を返した。事情聴取を行っていた若い巡査と打って変わって、目の前には交番所長と名乗る恰幅のいいおじさんが座っている。こちらの態度が良いせいか、はたまた子供相手に遠慮をしているためか、優しげな表情を浮かべていた。  おじさんは巡査が書き残したであろうメモを確認しながら、柔らかい声色で今日の経緯を尋ねる。 「君の言い分は……友人と電話をしていて、つい大声を出してしまったと。それで、合ってるかい?」 「はい、間違いありません」 「なるほどね……喧騒が聞こえたって通報だったけど、脅迫とかの類でもないわけか」 「ええ、ただの喧嘩です」  俺は、「友達と電話をして大声を出してしまった」という嘘を貫き通している。  別に、シレーヌや上浜の為じゃない。穏便に済ませるにはこれが一番手っ取り早かったからだ。幸い、スマホの履歴を確認されるようなこともなく、親への連絡だけで事が済んだ。  しかし、それが厄介だった。  父は、どう思ったのだろうか。  普通、自分の子供が補導されたとあれば動揺の一つでもするだろう。しかし、あの父においては想像すらつかなかった。  警察のおじさんが父と電話をしている様子を眺めてはいたものの、こちらには父の声も聞こえずに、会話の内容もいまひとつ掴めなかった。大方、非行少年の引き取りでも頼んでいたのだろう。  けれど、結果は分かりきっている。あの父はどうせ忙しいからと、俺を一人で帰すのだ。  父が、俺に時間をかけたことなど一度も無いのだから。  父の行動について予想を立てているうちに、電話を終えたおじさんは最終確認とばかりに俺に話しかけてきた。 「うん、ここまで話してくれたことに間違いはなさそうだ。先ほど聞いた内容と矛盾点も無いようだしね」 「よかったです、じゃあ俺はこれで」  話はこれで終わりかと椅子から立ち上がろうとした俺を、おじさんは焦って引き留めた。 「待った待った、もうちょっとだから我慢してくれよ、な?」  必死に俺をなだめるおじさんの様子に対して疑問が湧いた。  まだ何か、あるのだろうか。   軽く思考を巡らせると、思い当たることが見つかった。  ああ、そういえば、もう一つのお説教が済んでいなかったか。  一人納得した俺は、安っぽい椅子にかけ直した。  おじさんは探偵のように手のひらを前で組むと、気持ち前方へと体を傾けた。 「それで、こんな時間に高校生が一人で外出していたのは……」  ビンゴ。  俺の予想は大当たりだった。やはり、深夜に出歩いていたことを咎められるのだろう。確かに、警察の立場としては未成年の深夜外出を放っておけはしないだろうし、甘んじて受け入れるしかない。 「すみません、以後気を付けます」  先手を取って、無難な返事を返しておく。  俺のその言葉に、少し面食らったような表情を浮かべたおじさんは、優しく声をかけてきた。 「そうだね、警察としては君を咎める必要があるんだけれど……私は今、純粋に、君が海に居た理由を聞きたかっただけなんだ。紛らわしい聞き方をしてごめんね」  おじさんの様子は和やかで、怒っている風には見えなかった。 「はあ……」    まさかそう来るとは思わなかった。  想像を超えたおじさんの態度に、俺は呆気に取られていた。  おじさんは窓の外の更にその先を見据えると、俺に視線を戻さないまま、口を開いた。 「海は、好きかい?」 「ええ」  唐突な質問に、話に置いて行かれかけたものの、質問には素直に答えられた。  海は、好きだ。  自分が幼いころは、母によく連れ出してもらっていた。  別にマリンスポーツに勤しむわけでもなく、海に入ることのない日だってあった。夕暮れ時に手をつなぎ、二人で砂浜を渡り歩いていく。  太陽が沈む地点に映し出される、キラキラと海に反射した光の集合が、海にかかった橋のようで。子供ながらに感動したのを今でも覚えている。  この人も、海が好きなのだろうか。当たり前だが、ここらに居を構える人は好き好んで海に近い場所を選んだ者ばかりだ。警官の管轄事情は知らないが、ここに居続けているのにはそれなりの理由があるのかもしれない。 「ああ、そうか」  俺の返答に、おじさんは嬉しそうに笑った。 「そりゃ、恵子(けいこ)ちゃんも浮かばれるな」  俺は、目を丸くした。 「母さんを知っているんですか」  恵子とは、俺の母親の名前だった。  確かに、この街は都会というにはほど遠く、近所づきあいも盛んに行われている方だとは思う。そう考えると母を知っていても不思議じゃない。  今日まで我が家が警察のお世話になった覚えもないし、昔からの付き合いだと考えるのが妥当な線だろう。 「ああ、昔馴染みでね。君のお祖母さんにも世話になったもんだ」  おじさんは視線を俺に戻すと、誰かを重ねて懐かしむように目を細めた。 「栄って聞いたときに思い出したんだよ。確か恵子ちゃんとこの倅もリクくんつったなって。ああ、懐かしい」  相槌を打つ間もなく、おじさんは話を続けた。 「恵子ちゃんは……本当にいい子だったんだ。あの婆さんからよくもあんな素直な子が生まれたもんだと思ったよ。君の祖母さんはな、訳の分からん伝説だとかを調べては、近所の小学生を引き連れて探検だのなんだのと振り回すような、本当に困った人だった。現に、俺もその被害者の一人だったしな」  祖母についての悪態はつくものの、その表情は常に笑顔であった。  なんだかんだ憎めない人。そんな立ち位置だったのだろう。  祖母は俺が生まれる前に亡くなったと聞いている。だから俺自身も、彼女の人物像を深くは知っていなかった。  この話を聞いて、祖母を破天荒な人間と認識を改めた今、おじさんに軽い同情心を抱く。  自分の知らない二人の様子を聞くのは楽しかった。  続きが気になった俺は、再度耳を傾けた。 「恵子ちゃんも恵子ちゃんで、お転婆ではあったけどな……いつも笑顔で人のために行動するような子だったんだ。 ……だからこそ、海でのことは」 「海でのこと?」  急に声を落としたおじさんの音を拾おうと、身体を前に傾けたそのとき、  ガチャリ 後ろで扉の開く音がした。  おじさんは扉へと視線を移すと、話を終わらせて椅子を立った。 「ああ、栄さん。いらっしゃいましたか」  俺はゆっくりと後ろを振り向き、目を疑った。 「父さん……?」  目の前の父は、表情を変えることもなく、おじさんの話を聞いていた。  父は俺に一瞥すること無く話を終え、丁寧なお辞儀と共にドアの向こうへと踵を返した。  俺は立ち止まったまま、茫然とそれを見ていた。 「凛久くん? お父さんが迎えに来たから帰りなさい」  心配そうに様子を伺うおじさんの声にハッとして、俺は父の後を追いかけた。 *    交番を出ると、一台のセダンが道路脇に停まっていた。  運転席を見れば、眉間に皺を寄せた父がハンドルを握って待っていた。    これは、さっさと乗れという事だろうか。  俺は、静かに後部座席の扉を開くと、黙って車に乗車した。父は、ミラーの位置を軽く調整すると、何も言わずに車を発進した。  乗車中、車の中は気まずい雰囲気が流れた。  音楽やラジオが掛かることも無く、車内は無言で満たされた。  それは、家についてからも続いた。  父が俺に声をかけることはなかった。  予想では、成績を見せたときや、水泳の表彰状を渡したときのように、感情のない声色で窘められると思っていた。いや、功績と失態に対する反応は流石に異なるだろう。  プライドの高い父のことだ。感情のままに俺を怒鳴るかもしれない。  もしくは、手が出るのだろうか。  どちらにせよ、父は俺を叱ると思っていたのだ。  なのに、父は俺に見向きもしない。  カードキーで鍵を開けた父は、俺を振り返ることなく自室へと戻っていった。  俺は潮風でべたついた体を洗うため、風呂に入った。  シャンプーを泡立て、上からシャワーを浴びる。  その途中で、お湯が冷水に切り替わった。  思わず、大きく舌打ちをする。  俺は温水に戻るまで、手の平にシャワーを当てて温度を確かめていた。  手持無沙汰になった俺は、ふと、目の前の鏡を見つめた。  その一瞬、父と同じ顔でこちらを睨みつける自分の姿が見えた気がした。  そこで漸く、父が俺を叱らなかったわけに気がついたんだ。    なんだ、お前も俺のことを諦めていたのか。  俺が父の存在を諦めるのと同じように、父も俺を諦めていたのだろう。  簡単なことだった。  車に乗るときのあの一瞬、父とミラー越しに目があったのを思い出す。けれど、父は俺のことなど見えていなかった。  それが答えだ。 *  翌日の朝、俺はベットの上で寝ころんでいた。  昨日は終業式だった。成績は電話で行われた三者面談で、既に父に伝わっているはずだ。  通知表の入ったカバンは、机の横に放置していた。  今日が、夏休みでよかった。  正直な感想だ。  もし学校があるとすれば、どんな顔して上浜に会えというのだろうか。情けない姿をさらして逃げた俺がかけるべき言葉も浮かばない。それに、シレーヌのことを聞かれたとして、何を答えればいいのかも分からない。俺自身、今でさえ彼女への感情が纏まっていないんだ。それを説明などできるわけがなかった。  目を閉じれば、昨日の出来事が脳裏に浮かぶ。  思い出の少女についての話を遮り、俺に冷たい視線を向けるシレーヌの姿。    気分の悪くなった俺は、枕を掴んで床に放り投げると、シーツを掴むもう片方の手の力を更に込めた。シーツは大きく波打ち、いくつもの皺を形作っていた。  昨日の彼女は傲慢だった。いや、元からシレーヌは傲慢か。  他人の親切心を軽くあしらい、海を揺蕩う魚のように自由に世界を生きる彼女。  初めて会ったあの日だって、  幽霊の話を聞いたあの日だって、  台風の迫ったあの日も、  自転車で駆けまわったあの日も。  俺は彼女へと向けるべき感情をぐちゃぐちゃにして、整理できないままでいる。  信じたいのに、信じられない。 『嫌よ』  真っすぐな青が俺を見据える。  今日は、誰とも話したくなかった。  嘘をついた。  今日だけでなく、これからも。     *  夜、夕飯を食べていると、父の車の止まる音がした。  帰宅後はどうせ自室へ向かうのだろう。ニュースの報道を眺めながら、そう考えていた俺の横でドアの開く音がした。 「帰った」  どういう風の吹き回しだろうか。父はリビングへと入り、あろうことか帰宅の報告までし始めた。そして、残念なことに今日は山川さんも居ない。つまり、この狭い空間に父と俺の二人きりとなる。  頭をフル回転させた俺は、関わらないのが吉という最適解を導き出した。    帰ったからなんなんだよ。  父の奇行を無視した俺は、黙々と米を口に運び続けた。  テレビに視線を固定して、父の存在を無視する俺にしびれを切らしたのだろうか、父はズカズカと俺の元まで歩みを進めると、上から見下ろすように俺の名を呼んだ。 「凛久」  俺は、箸を止めて向き直った。 「なんですか」  感情を乗せないように、冷静を装って返事をする。  父は眉間の皺を深め、面倒だという風にため息をついた。 「成績は……どうだった」 「面談でお聞きになられたのでは?」 「そうだったか。まあいい、問題はないだろうな」  やはり成績の話ときた。    父との会話は、結局、そこに行きつくと決まっている。  珍しい父の言動に少しばかり取り乱してはいたが、なんだ。成績を聞いたことを忘れていただけだったのか。そうであれば、この話はしまいだ。もう、伝える事もない。  成績、成績と言う割には俺のことには興味がない。父は、そういう人だった。 「問題ありません」  ぶっきらぼうにそう告げると、俺は残りの夕飯を胃に流し込んだ。ガタンと勢いよく立ち上がると、食べ終わった後の食器を流しに置いた。  これ以上は付き合いきれない。  面倒な話になる前に、自室へ戻ろうと扉に手をかける。 「凛久」  その瞬間、再度名前を呼ばれた。 「まだ何か?」  苛つきのにじみ出るような声で、返事をしてしまった。  父は少しだけ何かをためらうような表情を見せた後、静かに言葉を告げた。 「お前、海に行ったのか」 「はい」  様子を伺うように、端的に答えた。今更説教かと疑問が湧く。  しかし、続く言葉に俺は我を失った。 「そうか、もう行くな」 「は?」 「深夜に出歩いていたと聞いた。高校生になってまで、全く……いい加減、時間を無駄にするのは止めなさい。水泳の次は海か……いいから、海にはもう行くんじゃない」  唐突なその言葉に、思わず体が固まってしまった。  海にはもう行くな。    今の俺には困らない言葉だ。はなからシレーヌたちの居る海に行く予定はない。  けど、だけどだ。    それは、母さんとの思い出も否定するってことだろう?  俺と母さんとの思い出は、海の記憶で溢れていた。  俺が海を好きなのも、海を見ると落ち着くわけも、どうしようもなく海に惹かれるその理由も。  ただただ、大切な思い出に縋っていただけだった。  海を失うという事は、すなわち、心のよりどころを失うという事だ。母さんとの繋がりを失うという事だ。父だって、母が海を好きだったこと自体、知っていたはずだ。    だからこそ、思い出を奪おうとする父に対して、言いようのない怒りが湧いた。諦めとは別の感情。それを、俺は父にぶつけたんだ。 「……ふざけんな」  急な俺の反抗に、父は珍しく表情を崩した。 「お前は、俺から海まで奪うのか。俺は、お前の言うことに従って生きてきた!!」 「水泳で入賞したときだって、俺の成績は落ちていない。今学期の成績だって、聞いたはずだ!」 「……これ以上、これ以上、お前は俺に何を求めるんだよ!!」  俺は、肩を震わせて思いの丈をぶつけた。  けれど父は、静かにため息をついただけだった。 「父親をお前というのをやめなさい」  いい加減、話にならないと思った。  正面からぶつかった俺を馬鹿にするように、父は冷静に俺を窘めた。  ここまで全てさらけ出しても、父は俺に本音を見せようとはしない。  そんな父の姿が大嫌いだった。  俺は唇を強く噛みしめると、黙ってリビングを出ようとした。  が、扉を開けたとき、忘れ物に気が付いた。  昨日、図書室で見つけた記事のコピーを俺は先程まで読んでいたのだった。  テーブルに置きっぱなしだったかと、締まらない状態で踵を返す。忘れ物の方へと目を向けると、目当ての探し物を父が持っていた。  俺は、奪い去るように父からその紙を取り上げると、次こそはリビングを後にした。  その紙を奪い去る瞬間の父の表情が、一瞬強張ったようにも見えたが、俺は気にせずにいた。 *  翌日、父はいつも通り仕事に出ていった。  その日から、父と会話をすることも無かった。  そんなこんなで塾以外の外出を避けること早1週間。  誰とも話したくないという俺の願いは、遂に砕かれることとなった。 コンコン  自室のベットで微睡の中にいたものの、音で意識が覚醒する。2回ほど、重いドアノックの音が聞こえた。  時刻は朝の8時。俺は、何も考えずに返事をした。  返事があるや否や、自室のドアは音を立てて開いた。 「入るぞ」  そう言ってドアを開けたのは、しかめっ面を浮かべた大柄な男、父であった。  俺の部屋の戸を叩く人物など、家政婦の山川さんくらいしか浮かばなかったが、よくよく考えると時間が早すぎた。彼女が来るのたいてい11時を過ぎた頃で、それまでは3時間もある。  だからと言って候補に父が思い浮かぶはずもないだろう。父は、俺の自室の場所すら覚えていないと思っていた。  戸惑う俺をお構いなしに、父は俺を見据える。 「30分後、家の外で待っていなさい」  そう告げると、父はさっさと部屋を後にした。  当の俺は、突然の命令にしばらく茫然としていた。  ハッとして意識を取り戻すと、次に怒りが湧いてきた。  急に現れては、俺の行動を勝手に決めて、こないだぶつけた言葉が何一つ伝わっていなかったことに悲しさすら覚えてしまう。  これは一言、文句でも言ってやらないと済まなかった。  俺は階段を駆け降りると、勢いよく玄関ドアを開けた。 「早かったな。乗りなさい」  待ち構えるようにドアの前に立っていた父は、俺の準備が終わったと勘違いでもしたのか、さっさと車に乗り込んだ。  車の中に逃げ込まれては、文句の一つも伝えられない。  父の行動にしびれを切らした俺は、車内にまで響くように大きく舌打ちをし、黙って車に乗り込んだ。  父は俺の乗車を確認すると、俺の文句が飛び出る前に車を走らせた。  流石の俺も、ドライバーの集中を乱すことは言い出せなかった。  仕方なく口をつぐんだ俺は、目的地までの道のりを黙って過ごした。
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