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第1章 1
作家 守永詠治の訃報を知ったのは、小樽の温泉旅館の中。担当していた作家に随行し、第二次世界大戦後のシベリア抑留者の軌跡をたどる旅の最中だった。
東京から新幹線・在来線を乗り継いて到着した京都府の舞鶴での取材を終えた私達は、その日の深夜 フェリーに乗船し、第二の取材地小樽へ向かった。そして、二十数時間の船旅を終えて宿泊先の温泉旅館でくつろいでいた矢先、その電話があった。
『取材はうまくいってるか?』
月刊文芸雑誌【東風】の編集長からのいきなり電話に訝しさを感じたが
「はい。天候にも恵まれて順調に進んでいます。船旅は快適でしたよ、手配した特等室はバス・トイレ・テレビ付きのホテルと見まごうほどの豪華さでしたし。明日は役場の方の案内で引揚者住宅地跡を見学した後、元引揚者の方にインタビューする予定です」
『そうか、いい取材ができてなによりだ。ところで、そこに大木先生はいるのか?』
「いらっしゃいますけど」
『そっちから かけ直せるか?』
「一体どうしたんです?」
『…… 守永先生が亡くなった』
「えっ……」
『○○区のビルから飛び降りて。下宿先から遺書が見つかって、お前宛のもあった。取材旅行中だったから話すべきか迷ったが、新聞やテレビで報道される前に知っておいた方がいいと思って電話した』
私は絶句した。振って沸いた訃報の知らせに二の句が告げない。
受話器を置いた私の顔が尋常ではないことに気づいた老作家が尋ねてきた。
「編集長からだろう? 何かあったのかね」
「それが、知り合いに不孝があって……」
「東京に戻らなくていいのか?」
「大丈夫です、知り合いといっても身内とかではありませんし……」
彼に気を使わせてはいけないと思った私は、無理矢理笑顔を作ると明日のスケジュールを再確認して彼を休ませ、風呂に行くふりをして編集部に電話をかけた。
編集長によれば自殺の原因は不明で、遺書には生前世話になったことへの礼と死後の後始末に対する謝罪が述べられていたという。
彼が死を選んだ原因に少なからず心当たりがあった私だが、よもや命を断つなど考えにも及ばなくて、その晩はまんじりもせずただただ寝返りを打つのであった。
翌日、朝刊に守永詠治自殺の記事が小さく載っていた。
『○○区の五階建てビル前の路上に倒れているのを住人が発見、搬送先の病院で死亡が確認された。守永氏は、昭和四十年【暁の森】で文壇デビュー。昭和四十二年【火焔】が『評論家が選ぶ今年のベスト3』に選ばれ、翌年【遠くの隣人】で毎朝新聞文学賞を受賞し人気作家の地位を確立した』
認めたくなかったことが活字になると いやが上にも受け入れなくてはならず、私は酷く困惑した。地元の役所を訪問した時も、引揚者住宅地跡に足を運んだ時も、元引揚者にインタビューをする時も、ふとした瞬間に思い出され みるみる心に暗雲が立ち込める。
それは、帰路につく頃より著明となった。
上野駅に到着した時にはすっかり落ち着きを失い、老作家を自宅に送り届けるやいなや出版社へ向かってひた走った。私宛の遺書を一刻も早く開封し、彼が残した最後の言葉を知りたいとひたすら思いながら……
「お客さんお釣り!」と呼びとめる運転手を無視してハイヤーを降りると、目の前にそびえるアールデコ調の建物に飛び込んだ。
大正時代に建てられ第二次大戦の戦火を免れた古い建物の一階フロアをつっ切って階段を駆け昇る。ドアを開け、同僚編集者の「お帰り」の挨拶を遮って尋ねた。
「編集長は?」
「望月先生の出版パーティーに行ってる。場所は帝都ホテルだって言ってたっけ」
その後、神妙な面持ちに変わって、
「守永先生の手紙、一番上の引き出しに入ってるぞ。まったく急なことで驚いたな」
私は机の前に立つと、勢いよく引き出しを開けた。不在中に届いた郵便物がバタバタ落ちるのも目にくれず、中でひっそり佇む白い封筒を鷲掴む。
表にはブルーインクで「三戸 崇様」と書かれてあったが、それは死を決意した人間とは思えぬ伸びやかな筆跡で、私は筆立てからペーパーナイフを引き抜くと震える刀先にいらつきながら封を切って四ッ折りの便箋を開いた。
『拝啓……』から始まった文面には、私の不在中に命を絶つことへのを詫びと五年間担当編集者であったことへの礼が淡々と綴られており、最後にこう締め括られてあった。
『―― ひとかたならぬご厚情とご指導を賜ったことへの感謝を込めて、未発表原稿の著作権を貴方に譲渡いたします』
読み終えた後、私は虚脱し どっと椅子に腰かけていた。
何も考えられず呆然としていたが、次第に怒りがこみ上げてきて気づけば手にした手紙を握りしめていた。
―― 言うことはこれだけなのか? たったこれだけなのか? 私の気持ちを知りながら なぜこんな仕打ちをするのか? いやもしかして、あなたの苦しみを知りながら救うことが出来なかった私への報復なのか!?
部屋に残っていた数名の編集者たちが同情的な視線を送る中、私は溢れる涙をどうすることも出来ず紙上のインクを滲ませるのだった。
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