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通された居間でお茶を啜りながら、私は縁側から景色を眺めた。そこには両手を広げた恰好の柿の木があり、夕陽色の実が晩秋の青空に映えていた。
柿の実が例年より少ないな――― そんなことをぼんやり考えていたら、
「今年は三戸さんが ちぎりに来てくれなかったから、ほとんどカラスに食われちまった」
「すみません。しばらく足が遠のいていましたもんね。新企画の取材とかで色々忙しくて……」
しかし、本当は違っていた。私はここへ来るのを避けていた。人妻に失恋し傷心する彼を見るのが辛かったから……
「ねえ、三戸さん」
コトさんは手にした湯呑を回しながら語りかけてくる。
「あんたに頼みがあるんだよ。これからも時々ウチに寄ってくれんかね。六年前に主人が死んでに、今度は詠ちゃんがあんなことになって、わたしゃ心細くてしょうがない。何かのついでで構わないから一寸顔を出しておくれ。ご飯ぐらい ご馳走するから」
コトさんの体が一回り小さくなったように感じた私は、また近いうちに訪ねることを約束したのち壁を見上げた。すると、馴染みの古時計が編集部に戻らなければならない時刻であることを告げていた。
上がり框に腰かけて靴を履いている時だった。ふと思い出すことがあって彼女に尋ねた。
「そういえば、先生の弟さんが部屋を片付けられる時、原稿をことづけていかれませんでしたか?」
「原稿?」
「詠治さんの小説の原稿ですよ」
「さあ、なんにも預ってないけど」
――― では、遺書に書いてあった遺稿は一体どこに?
私は、彼女に頭を下げると外へ出た。
来た道を引き返しながら遺稿の行方が気になる私は、彼の弟――― 守永聖也という人物に連絡をとろうと心に決めていた。遺稿の件もあるが、守永詠治が祀られてある仏壇に手を合わせることで彼の死を受け入れ、最後の別れを言いたい気持ちを強く持ったからだった。
翌日、私は出版社の編集室で小さな紙切れを見ながら電話のダイヤルを回していた。
手にしていたのは守永聖也が置いていったアドレスのメモで、電話をする前に編集長にその旨を話すと、「早くかけろ、今すぐかけろ」とせっついた(遺稿を譲渡されたのは私なのに、彼は当然の如く それを雑誌に載せるつもりでいた。『彼の実家に遺稿捜しに行く時は出張扱いにしてやるから』と言って。もし私が『嫌だ』と言ったらどうするつもりなんだろう)。
私は受話器を持ったまま しばらく呼び出し音を聞いていた。コールを鳴らし続けても一向に出る気配がない。
―― こんな時間に電話したって仕事に行ってるよな
私は受話器を置くと、彼に対する興味が井戸から湧き出る水の様に溢れるのを感じた。
兄が自殺を遂げた後、淡々と身辺整理をして故郷に帰っていった双子の弟とは一体どういう人物なのだろう……
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