第1章 1

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 守永聖也(もりながせいや)と連絡がついたのは、翌晩の二十時。  相変わらず出る気配のない呼び出し音に溜息をついて受話器を置こうとした時、『もしもし』と、声が聞こえてきた。初めて耳にするその声音に、胸が高鳴る。双子とはいえ、兄の詠治よりトーンが高くクリアな感じがした。 「あのう、わたくし山王出版の三戸(みと)と申しますが……」  するとすかさず、『その節はお世話になりました』と丁寧な返事が返ってきた。双子の兄が急逝して一ヶ月。未だ失意の中に居るのではないかと危惧していた私は、その声の張りと明るさに安堵すると同時に、守永詠治に対する宙ぶらりんな気持ちを受け止めてくれる唯一の相手として彼の存在をありがたく感じた。 『兄が生前中、ひとかたならぬご交誼をいただき ありがとうございました。遺骨を連れ帰る際出版社へ伺ったのですが、お目通りが叶わず手紙だけ置いて帰って失礼しました』  「こちらこそ、せっかくお越し下さったのに不在で、その後何の連絡もせず今に至ってしまって……。あのう、この度は心からお悔やみ申しあげます。お兄さんの傍に居ながら このような事態になることを防げず、聖也さんには何とお詫びを言ってよいものか」 『とんでもない、兄を一人前の作家に育てていただいて心から感謝してるんです。兄も生前「今の自分があるのは三戸さんのお陰だ」と申しておりました』  守永詠治の悩みを知りながら助けることが出来なかった私にとって、この言葉は心を深く抉った。が反面、彼と一番近しい人間と言葉を交わすことで今まで無理矢理抑え込んでいた彼への慕情、死を受け入れられない感情が漏れ出るのも否めなかった。  しかし、そんな複雑な感情を知らない聖也さんは、黙り込んでしまった私に穏やかに語りかけてくる。 『ご自分を責めるようなことをおっしゃらないでください。それより、三戸さんに伺いたい事があるんです。兄の急逝で出版社にご迷惑をかけたんじゃないですか? 連載していた小説が中断して穴埋めが大変だとか、企画が駄目になってしまったとか』 「そのようなことはありません。小説は三ヶ月前に連載を終えていましたし、他の雑誌で書いていたコラムも終了していたようです」 『それなら良かった……』  受話口の向こうから感じる安堵のため息を聞いた私は、今となっては唯一の肉親となってしまった叔母の安否を話すことにした。 「昨日、コトさんの家を訪ねたんですが元気にされておられました。ただ、詠治さんの死をいまだに受け入れられない御様子だったので、出来うる限りお宅に伺う所存です」 「お心遣いには大変感謝しますが、そこまでしていただいたら申しわけないです」 「いえいえ、別の目的もあるから大丈夫です」 「別の目的?」 「ご飯をご馳走になるという。日頃粗末なものしか食べていないので」 『……』 「三十五になるのに未だに独身なんで食生活が乱れまくってるんです」  しかし、聖也さんは相変わらず無言で、喪に服している人相手にこの話題は不適切だったと落ち込んだ。とてもじゃないが遺稿譲渡の件を切り出す雰囲気じゃない。なので、それ抜きのお願いを申し出ることにした。 「実は、今度そちらへ伺って お仏壇にお参りさせていただきたいのですが よろしいでしょうか?」 『ええ、是非いらしてください。兄も三戸さんがいらっしゃるのを心待ちにしていることでしょう』  訪問の日にちを翌週の土曜日と決めて私は電話を切った。そして、双子の彼らの印象がずいぶん違っていたことを感じた。  兄の詠治は常に物事を斜に構えて見て、鋭い観察眼で意見した。白を黒と、右を左と言い切る独断性を持ち、何事も否定することから始まった。しかし、弟の聖也さんはこれとは正反対の雰囲気だった。声音こそ似ているが腰が低く当たりが柔らかく素直な感じがする。  同じ兄弟、それも双子なのに こうも印象が違う二人に興味を持った私は、直ちにスケジュール調整するとその日に備えることにした。
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