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3.恭介の話
恭介が言った最初の言葉が、岩国には何よりも意外だった。
「タイムスリップの話をしたのは、お前じゃないのか?」
「してません」
「嘘つけ、俺ははっきり聞いたんだお前から」
健太が口をはさんだ。
「健太、だとしても暴力はダメだぞ」
岩国がそう言うと健太はバツの悪そうな顔で黙った。恭介は無視して続ける。
「先生、僕の話をします。僕はね、毎日普通に塾へ通って勉強をしていました。しかし8月17日だけ、不運に見舞われました。塾へ行く途中に、友人にいきなり殴られたんです。以上、それだけ!」
恭介は早口で巻くし立てた。
「タイムスリップの話は?」
「知りませんよ、彼の創作でしょう」
「先生、恭介はずーっとこんな感じなんだよ。腹立つだろ?」
「まぁ待て。中庭で健太に殴られて、恭介、お前はどうしたんだ?」
「理由を聞きましたよ、もちろん」
恭介は健太を睨みつけた。
「そしたら、今彼が話したような内容を聞かされた。その日の午前中に僕が呼び出して中庭で会ったって。でも午前はいつも、ウチで勉強してるから、健太に会ってる暇なんて無いんです」
「実際、会ってないんだな」
「会ってません。夏休み中はほとんど会ってません」
「会ったじゃねーか……じゃあ俺が嘘をついてるって言うのかよ」
健太が力無い声で言った。
これは、どういうことだろう。岩国は考える。お互いがお互いを嘘つき呼ばわりしているが、どうも彼らの表情を見ていると嘘をついているようには見えない。そもそも、六年生にもなってそんな幼稚で無益な嘘をつくだろうか。しかも、わざわざ教師までをも巻き込んで―― 。
「健太とはこの話を何度もしましたが、結論が出ません。それで先生に相談したんです」
「恭介は俺が夢でも見たんじゃないかって言うんだ。でもそんなややこしい夢、俺は見ないよ」
岩国は返事をせず考えた。もしも、二人ともが真実を語っているとしたら、どうだろう。タイムスリップの存在自体を認めなければならなくなるのではないか。
「先生の考えてること、分かりますよ」
恭介が言った。
「僕らだってね、ただ言い争ってるばかりじゃない。その可能性だって考えました」
「つまり―― 」
「健太の話が事実なら……って考えてみたんです。でもそれなら、僕は17日の5時には光に触れて気を失ってなければならない」
「それを、俺がジャマしたってことだろ?」
健太が続けた。恭介が頷く。
そうなのだ。健太が恭介を殴りつけたまさにその時に、クスノキの根本では何かが光っていたのかもしれない。本来ならそれに触れて過去に戻るはずが、健太の登場で、歴史が変わってしまったとしたら―― ?
「そうなると、健太に光の話をした恭介は……その時すでに塾に向かっていた恭介は、どうなった?」
岩国は逆に聞いた。
「僕が過去に戻らなかったんだから、消えてしまったか……あるいは消えずに、未だにこの町のどこかをうろついているとか」
「怖いこと言うなよ」
健太は大げさに身震いして見せた。
「いずれにしても、その話だと、二人とも本当のことを話してるってことになるな」
「でもね先生、だとすると……」
そうなのだ。これはタイムスリップという非現実的な要素を前提にしている。
「夢があっていいじゃないか。夏休みの不思議体験」
岩国は笑ってみせた。
「ふざけないでください!」
大声を上げた恭介を、岩国と健太は同時に見た。
「そんなことはあってはならないんです!」
「ど、どうした恭介」
「そんなこと、認めるわけにはいかない。だってそうでしょう。地動説がなければ、現代科学が切り開かれることはかった。それと同じように、量子力学と相対性理論が覆るなら、現代社会は成立しません。これは自然科学だけでなく、社会科学においても同じです! もしもタイムスリップなんてものを認めるなら、国家Ⅰ種試験に受かってキャリア官僚になって日本を動かしたいという、僕の夢は潰えるんですっ!」
恭介は初めて見るような大声で岩国に迫った。言っていることはほとんど意味不明だったが、しかし恭介にとっては重要なことのようだった。とりあえず岩国は「分かった、分かったよ」となだめた。
しかし―― 。
だとすると、真相はどういうことなのか。確かに岩国自身も、タイムスリップなどという話を信じているわけでは無かった。だがそれ以外では説明がつかないのも事実だ。
ふと窓の外を見ると、すっかり暗くなっている。
岩国は少し考えてみると言って、二人を家に帰した。別れ際の彼らの表情は、やはり嘘や冗談を言っているものには見えなかった。
それからしばらくの間、岩国はその宿題に頭を悩ませることになった。
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