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4.二人の計画
すっかり薄暗くなった道を、二人は黙って歩いた。蝉の声ばかりでなく、様々な虫たちの臨唱が聴こえる。恭介は、今日は塾が休みだった。だから二人は、岩国先生に相談するのを今日にした。
相談―― ?
学校を出てしばらく歩き、すでに閉店となった駄菓子屋の前の自動販売機に差し掛かったあたりで、二人は深呼吸した。それから顔を見合わせ、口元を弛めた。先に口を開いたのは、恭介だった。
「ダメだ、途中で笑いそうになったよ俺。健太が真面目くさった顔してるからさぁ」
恭介は言った。作戦は見事に成功したのだ。
「恭介も大声出したりして、何だコイツって思ったよ、俺」
「あは。よくあの芝居で騙されるよなぁ。先生、なんか可哀想だったな、ありゃダメだ、未だに新人みたいだもん。頼りないなぁ」
恭介は別れ際の岩国の顔が忘れられなかった。あれはきっと、本気で一晩中考えると思った。
「まぁ、こういうのも……いい思い出だよな、恭介は勉強に追われて遊んでなかっただろうし」
「そうだなぁ……」
中学に上がれば、健太とはきっと別々になってしまう。同じ公立中学に行くということになれば、それは恭介の受験戦争の敗北を意味するだろう。だが、健太と違う学校になるのは寂しかった。それは健太も感じているらしく、今回この『遊び』を考え出したのも健太からだった。
「あと半年か……短いなぁ」
健太はそう言いながら、自動販売機に硬貨を入れた。彼はここでは決まってファンタオレンジを買う。
「絶対受かれよ、志望校」
彼はやはりファンタオレンジを買った。
「何だよ急に。受かるよ、キャリア官僚になるんだから俺は」
健太は答えず、再び硬貨を入れるともう一本買った。それを、恭介に渡す。
「おぉ、サンキュ」
恭介は受け取った。健太が何かを言いたそうにしているように感じる。
「どしたんだ?健太」
恭介は聞いた。
「あのさ、俺たち、岩国先生を騙したじゃん」
「そうだな」
「でも、実際はお前の話した内容って、嘘はないよな。俺、あのときお前を殴ったし」
確かにあの場所で、恭介は健太に殴られた。と言っても頭をはたかれた程度で、ふざけ合いの一環だった。
恭介には健太が何を言おうとしているか分からなかった。
「つまり、お前はウソをついてない」
「ま、まぁそうだ、うん。あの日だもんな、お前から先生を騙す作戦を聞いたのも」
「俺からあの話をされて、面白いって乗ってくれた」
「うん」
「だけど、実は……」
健太はファンタを一口飲むと、恭介の顔を見た。恭介も一口飲んだ。
「俺もウソはついてないんだ」
恭介は自分の顔が凍りつくのを感じた。
「な、何だよそれ。冗談だろ?」
健太は答えず、恭介の顔をじっと見つめている。恭介は考えた。彼は一体、何を言いたいのだろう。
恭介の頭脳が回転し始めると、もう止まることはなかった。
まずは、事実を確認しなければならない。間違いなく言えるのは、「自分は嘘をついていない」ということ。あの日、健太に岩国を騙す作戦を持ちかけられ、それに乗った。
だが健太も嘘をついていないと言った。
それは本当だろうか。もしも本当だったらどうなるだろう。
つまり岩国先生を騙した内容のとおりに、タイムスリップが起きたということになるのか。
仮に、もしも健太が嘘をついていないとしたら、今、健太は何を考えているだろう。
彼もタイムスリップを信じているか、あるいは、恭介が嘘をついたと思っているか。おそらく二つに一つだ。だが後者は考えにくい。もしも恭介が嘘をついていると彼が信じているのであれば、健太は「恭介が『健太は恭介に騙されているだけであり、健太は本当のことを言っている』ということを知っている」ということを、知っていることになるのだから、わざわざ「俺も嘘をついていないんだ」と告白する意味が無くなる。
ややこしい。
だから、どうなる。
いや、大事なのはそこではない。大事なのは、健太が嘘をついていないというのが本当かどうかだ。
逆に、嘘をついていたとしたらどうなるか。もちろんその嘘には、岩国を騙すための嘘という意味だけではなく、「そんな嘘はついていない」という、たった今ついた嘘も含むことになる。
結果的にそれは、岩国と恭介を同時に騙そうとしたことになるだろう。それだけのことだ。
だとしたら、どうなる。
「おい、恭介」
空中の一点を見つめて熟考を重ねる恭介に、冷や水を浴びせるように健太が言った。
「もしもそう言ったら、お前、どうする?」
「な……何だよ。冗談かよ」
やはりただの嘘だったのだ。
「お前のキャリア官僚の夢はジャマしたくないからなぁ」
健太は歩き出した。恭介もそれに倣う。
恭介は、知っていた。本当は健太の方が理知的で、視野は広く、思慮は深く、ずっとずっと優秀な脳みそを持っているのだということを。だからこのややこしいいたずらの提案を受けたとき、心の中で感嘆しつつも納得したのである。こいつなら、これくらいの発想をしてしまうのだろうと。
「絶対受かれよ、志望校」
健太はもう一度、そう言った。
夜道はやたら騒がしかった。もう九月というのに、虫たちは、まだしばらく鳴き続けるのだと思った。
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