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優しい彼と歩む、この先の未来は希望に満ちているはず。
そう信じプロポーズを受け、初めて彼の実家へ挨拶に訪れたのはひぐらしが鳴く頃。
車で五時間、山奥の小さな集落だった。
「素敵な家ね」
「気に入った?」
茅葺屋根の古民家。
車を止めるとすぐに、家から彼のお父さんらしき人が出てきた。
「よく来たね。さあ、入って」
労わりの言葉に歓迎ムードを感じて一安心。
招かれるまま玄関に入ると、生ぬるく湿った空気がまとわりつく。
じっとりと背中が濡れ、額から顎にかけて、タラリと汗が滴り落ちた。
「いらっしゃい」
暗がりの向こうで女性の声が響く。
陽ざしの下から薄暗い家の中に入り、目が慣れない。
瞬きをし凝らした先、真っすぐ伸びた廊下の向こうで女の人が、私をじっと見据えていた。
彼のお母さんと思しき方が、車いすに腰かけている。
「待ってたわ」
車いすを片手で操り、玄関まで来てくれたお母さんのもう片方の手には、氷の入ったお水が一杯。
微笑んで、それを手渡してくれた。
「ここは暑いから、喉が渇くでしょう?」
「ありがとうございます」
あまりの暑さに、遠慮することなく喉を鳴らしながら飲み干した。
カナカナカナカナ
すぐ近くでひぐらしが鳴いた気がした。
足元がグラリと揺れる。
「大丈夫?」
眩暈を起こし、倒れそうになった私を彼が支えてくれた。
「うちの村の名前の由来、知ってる?」
ぼんやりとした頭に村の看板が浮かぶ。
『葦桐村』
声が出ない、指一本すら動かない、なんだか変なの、助けて?
「辺鄙な村だし、お嫁さんたちがすぐに逃げちゃって。だから、逃げられないように」
彼の腕に抱えられ、窓のない部屋に運ばれ寝かされた。
ユラユラとした蝋燭の灯りに照らされた、彼と御両親が私を見下ろしている。
助けを求め目だけを動かすと、お母さんの足元が見えた。
あるはずの足首から先のものが、ない……。
「さあ、家族になろうね?」
優しい彼の笑顔、その手には銀色に光るモノが握られていた。
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