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サイクロプスの眼〜エピローグ
「羽賀根がおかしくなったのは、香澄が事故にあってからだ」
病室のベッドの上で、風間が呟く。
ようやく意識を取り戻し、今は一般病棟に移されていた。
顔色は悪いが、口調はしっかりしている。
「それ以前にも、彼は廃墟探索の最中に人影や怪異を見たと度々訴える事があった。僕はと言えば、一度も目撃した事は無かったがね……今から思えば、あれが病の兆候だったのかもしれない」
そう言って、風間は宙を見つめた。
「勿論、香澄の事故については責任を感じている。その時の僕は、『廃墟の謎を解け!』の人気も出始め、何とか登録者数を増やそうと躍起になっていた。だから羽賀根に、あの廃工場の探索を持ちかけたんだ。少しでも、怪しげな噂の多い場所がいいと判断してね……だがそれが、結果的に仇になってしまった。まさか、天板が彼女の上に落ちてくるとは思ってもみなかった……」
風間の口元が悔しそうに歪む。
不可抗力とは言え、鮎川香澄の負傷の遠因は自らにあると思っているのだ。
彼の持って生まれた性格が、責任逃避を許さないのだろう。
「僕は、もう探索はやめようと羽賀根に言ったんだ。だが、彼は同意しなかった。そんな事をしても、香澄は元には戻らない。それより、三人で作り上げたこのジャンルを続ける方が、彼女も喜ぶに違いないと……彼にも責任を感じていた僕は、断れなかった。だから、二人で廃墟探索を続ける事にした。香澄の事は、しばらくは公表しないでおこうと羽賀根が言うので同意した。視聴者をガッカリさせたくない、というのが彼の言い分だった。でも恐らく……その時には、すでに僕への復讐を考えていたんだろう。香澄があんな事になったのは、全て僕の責任だと考え、そして憎んで……」
やるせなさのこもったその声色に、傾聴していた【異常心理学研究会】メンバーの表情も曇る。
風間の言う通り、この時すでに、羽賀根の中には復讐計画のシナリオが出来上がっていたに違いない。
「その後僕は、羽賀根から例の廃工場に怪異が頻出していると聞かされた。ネットを見ると、確かに【巨大な黒い影】の目撃情報が出ていた。不謹慎だが、僕はそれを自分の目で見てみたい衝動に駆られてしまった。だから、羽賀根に再訪を呼びかけたんだ」
瞬き一つせず、当時の状況を説明する風間。
思えば、この情報操作が羽賀根の計画の始まりだった。
風間の性格を熟知し、巧みに利用したのである。
「彼と二人で廃工場に赴いた時、アイツは突然香澄に話しかけた。あたかも、彼女がそこにいるかのように……だが、それを見ても僕は否定しなかった。以前のように、三人で探索している気分を味わいたいのだろうと……彼の心中を察して、したいようにさせておこうと決めた。だからその時の映像に、彼が香澄の声を付加すると言っても反対しなかった。彼は、三人で探索しているように観せるためだと言っていたよ」
香澄はアソコにいる!、と叫ぶ羽賀根の姿が全員の脳裏に蘇る。
愛する恋人を失いたくないという願望が、彼の特殊な病の進行を早めたのかもしれない。
自我を失った羽賀根にとって、幻覚か実物かなど、もはやどうでも良かったのだ。
あの廃工場で、風間に復讐を果たす──
そうする事で、自分はここで香澄と逢瀬を重ねられる──
もしかしたら、そんな一種の儀式めいた考えが羽賀根の中にあったのかもしれない。
あれほど執拗に、同じ場所、同じ方法で風間を狙った事も、それなら説明がつく。
無論、あくまで想像の範疇を超えないが……
「……そして、ついに僕は怪異を目の当たりにした。例の【隻眼の怪物】だ(君の話では、あれは羽賀根が作り出した【黒い影】に、グロム球が重なったものらしいが)。恥ずかしい話だが、その時の僕は気持ちが高揚していて、怪物に襲われたと本気で思っていた。だから怪我をしても、誰かに言わずにはおれなかった。それが、あっという間にSNSで広がってしまったんだ」
怪異の事を話す時だけ、やや興奮気味の口調になる。
生来の好奇心の強さが、どうしても顔を覗かせてしまうのだ。
「しかしその後、冷静になってみて僕はまずいと思った。そんな噂が広まったら、香澄の件が露呈してしまう恐れがある。僕だけじゃなく、羽賀根や香澄本人にも嫌な思いをさせてしまうかもしれない……だから僕は、怪異との遭遇は無かった事にしようと考えた。いつものように、不審な物音くらいでとどめておこうとね……そして怪我は、あくまで自分の不注意で負った事にしようと決めたんだ。だから、君らがあの日話を聴きに病院に来た時は、正直生きた心地がしなかったよ。特に僕が【ボンヤリした光】の事をうっかり口にし、君が食いついてきた時はヒヤッとした」
そう言うと、風間は私を見て肩をすくめた。
緊張していた表情が、この時僅かに緩んだ。
「僕の話は以上だ。羽賀根が、そのレビー……認知症だったというのは心底驚いたけど、アイツとはこれまで通り親友だと思ってる。彼の入院先にも会いに行くつもりだ。君らには、何かと世話になったね」
全て話し終えた解放感からか、風間の顔に笑顔が浮かぶ。
一通り話を聴いた私たちは、礼を述べ戸口に向かった。
「……ああ、式縞君」
最後尾のクリスを、風間が呼び止める。
「はい?」
少女は振り向くと、小さく首を傾げた。
「お礼を言わないといけないな……今回の件で、投稿動画の怖さを痛感したよ。今後は廃墟探索などではなく、もっと人の役に立ちそうなジャンルにするよ。そう思えるようになったのも、君のおかげだ。あの日、力になると言ってくれた君の言葉、本当に嬉しかった……ありがとう」
風間はベッドの上から頭を下げた。
どう答えて良いか分からず、クリスは目を丸くする。
「いえ、そんな……でも、もしまた何かあれば……」
クリスはそこで言葉を切ると、メンバーを見回した。
優しく笑いかけるクイーンと
おどけたように頷くドイルと
静かな眼差しで見つめる私と
大切な仲間たちの顔を……
「いつでも、【異常心理学研究会】に来てください」
そう言って、少女はニッコリ微笑んだ。
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