メデューサの首〜その10

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メデューサの首〜その10

「しかし、このクラシックには問題無かったと……」 眉をひそめ反論する尚文。 それを聴いたクリスが、私より先に口を開いた。 「音声解析ソフトをバージョンアップし、スペクトル分析しました。それによると、六十秒ごとに単発の音声が挿入されていました。種類は全部で四十。『頭が痛い』『息が苦しい』といった身体的なものから、『目覚めろ』『我慢するな』などの心理的なものまで多岐にわたっています」 「……だそうだ」 音声案内のようなクリスの解説を受け、私は尚文に片目を(つぶ)ってみせた。 「お前の言う通り、私たちが検証した時には問題は無かった。だがそれは、緑色の額縁が使われた日だったからだ。木目模様の額縁の日にだけコイツを流すよう、使い分けていたんだよ」 そう言って、私は全員を見回した。 貝塚講師は苦渋の表情を浮かべ、その他は固唾を呑んで聞き入っている。 「神楽坂によれば、【催眠誘導】に必要な要素は二つ──視覚に影響する【図】と、聴覚に影響する【音】だ。肖像画を鑑賞する中で、無意識に額縁の【放射状の旋回図】を見せられ、この曲のサブリミナルによって暗示にかけられたんだ。これにより身体的影響を受けた者は体に変調をきたし、精神的影響を受けた者は心の抑制が利かなくなった。その者の一番弱い部分が表面化した訳だ……これが、今回の異常行動の答えだよ」 「それじゃ、被害者たちは……最初から狙われていた訳では無かったという事?」 クイーンの質問に、私は小さく頷いた。 「神楽坂の言ったように、被催眠者には一定の条件が必要となる。貝塚講師が、彼らの身体的特徴まで把握していたとは思えない。恐らく、。自分の仕掛けた罠に掛かってさえくれれば……これについては、あくまで推測に過ぎないが」 「……ひどい!」 クイーンとクリスが、口を揃えて声を上げる。 私は一つ咳払いすると、改めて貝塚講師に目を向けた。 「私たちがあの絵の管理方法について尋ねた時、アナタはこう答えました。『音響の管理』と『額縁の交換』をしていると……それは言い換えれば、という事です」 私はそこで言葉を切ると、黙って講師の顔を見た。 謎を解いた優越感など微塵も無い。 私にあるのは、説明責任を果たした達成感だけだった。 静まり返る室内── 理路整然とした推理過程に、異論を挟む者はいなかった。 「……そう……だ」 やがて沈黙を破るように、貝塚講師が呟いた。 「そうだよ!……俺がやったんだよ!」 赤く血走った目を見開き、唸るように叫び出す。 その表情は、今までとは全くの別人だった。 「世間の奴ら、俺の作品に見向きもしない。いくら自信作を作っても、誰も評価しない……分かるか!お前たちに、この(みじ)めさが……この悔しさが!」 口から泡を飛ばしながら、(わめ)き立てる。 それはまさに、被っていた仮面が剥がれた瞬間だった。 「だから、俺の作品の価値を教えてやったんだ。俺の作品を観てしてやったんだ。あの額縁の彫刻には、それだけの力があるんだよ。俺が散々、試行錯誤した作品だからな!」 そう言って、講師は工作台の彫像を指差した。 それが旋回図の練習台であったと、自ら認めたのである。 「思惑通り、あいつらは感動してくれた。喜んでくれた。一体、それの……それの、どこが悪いと言うんだっ!」 何度も拳を振り上げ熱弁を振るう様は、もはや正常人とは言えなかった。 この人物の内に溜まった憎悪と妄執は、想像をはるかに超えている。 今さら善悪の判断を問うても、無駄なのは明らかだ。 その様子を静観していた私は、(おもむ)に口を開いた。 「人を意のままに操りたいという欲望……それは人間の持つ根源的な本能と言えます。それ自体を否定する気はありません」 そう言って、私は講師の真正面に対峙した。 その瞳が、異様な輝きを放ち始める。 「大切なのは、それとのです。大抵の人は、どうにか折り合いをつけながら生きています。欲望に身を任せれば、必ず誰かが傷付くからです。他者を犠牲にしないため、人は創意工夫するのです。それを、自制心や倫理観と呼んでもいい……だが、アナタは違う。アナタは、越えてはいけない一線を越えてしまった」 ひと言話すたびに、私の足が一歩前に進む。 それにあわせ、貝塚講師も後退し始めた。 大量の冷や汗が額を濡らしている。 「私には、アナタの心の動きが読めます、貝塚講師。歪んだ心の闇が……それは、純粋で、醜悪で、独善的で、そして……」 講師の眼前で立ち止まると、私はうっすらと笑みを浮かべた。 「……!」 私の双眼が煌々(こうこう)と輝く。 それは底知れぬ魅力を秘めた、悪魔の眼差しだった。 まともに受けた講師の顔が蒼白となる。 「や、やめろぉ!そんな目で見るなぁ!」 講師の口から、絶叫が(ほとばし)った。 見開いた目が、恐怖の色に染まっている。 「お、恐ろしい……やめろ!……やめてくれ……」 息も絶え絶えに、講師は後退(あとずさ)りした。 震える手で、懸命に自分の顔を隠そうとする。 それを見て、私は静かに目を伏せた。 講師は、崩れるようにその場に座り込んだ。 まだ全身の震えが止まらない。 「……報告……するのか?」 荒い息を吐きながら、講師は声を震わせた。 気力の全てが、消失してしまったようだ。 「そのつもりです。被害にあった者の傷は、決して軽く無い……大学側には、全て話します」 「……そう……か……」 そう呟くと、貝塚講師はゆっくりと立ち上がった。 生気の失せた顔は、全てを観念したように見える。 おぼつかない足取りで作業台に近付くと、彫像に手を置いた。 そのまま、愛おしそうに撫で始める。 傍観する皆の胸に、言いようの無い虚無感が広がった。 講師の目から溢れ出る涙が、彫像の上にこぼれ落ちた。 美女の顔に、幾筋もの涙痕ができる。 まるで、その彫像も泣いているかのようだった。 ************ 翌日、貝塚講師は姿を消した。 本人がいない中、私は事の顛末を大学に報告した。 警察沙汰にするのか、しないのか、その後の対応については学校に一任する事にした。 未だ事情聴取されないところをみると、採択されたのは恐らく後者の方だろう。 世間体(せけんてい)が第一…… まあ……世の中とはそんなもんだ。 貝塚講師が、どこで【催眠誘導】を学んだのかは分からない。 だがドイルのメール情報を総合すると、外部の専門講座や発表会で、その姿は何度か見られているようだ。 独学で知識を得、実践して見事に成功させた訳だ。 それだけ、世間への憎悪が深かったという事か。 集中治療室に入っていた三人目の被害者は、普通病棟に移り快方に向かっているらしい。 私たちが遭遇した四人目の被害女子も、失明は免れたと連絡があった。 今回、いずれの被害者も命に別状が無かったのが、せめてもの救いである。 「それにしても、クイーンの演技……アカデミー賞もんだったなあ!」 今にも吹き出しそうな顔で、ドイルが(はや)したてる。 「やめてよ!それでなくとも、私の黒歴史になりそうなんだから……ポーから『理由は後で話すから』と頼まれたからやったけど……二度と御免だわ」 顔を真っ赤にして、クイーンが抗議する。 「それと今回、クリちゃん大活躍だったねー!」 ドイルはそう言うと、クリスに向かって盛大に拍手した。 顔を真っ赤にした少女は、黙って下を向いてしまう。 「クリちゃん、【IIS】とは?」 「最大エントロピー法のパラメタを学習するアルゴリズムの事で……」 突然のドイルの質問に、反射的に答えるクリス。 「だから、クリスで遊ぶのやめなさいって!」 クイーンが、ドイルの後頭部にチョップを浴びせる。 頭を押さえ、うずくまるドイル。 「全く、とんだ研究対象だったわね。こんな大事(おおごと)になるなんて……ホントにメデューサの呪いでもかかってるのかしら」 私の横に並びながら、クイーンがポツリと呟く。 眼前には、例の肖像画が掛かっていた。 勿論、額縁は木目ではない。 流れている曲も、以前とは違うクラシックだ。 「メデューサも、元は美しい女神だった。しかし呪いをかけられ、頭髪が蛇に変えられてしまったそうだ」 クイーンの言葉に、私は淡々とした口調で答えた。 「あの木目模様……見ようによっては、に見えなくもない」 全員の視線が、再び肖像画に集まる。 そこにはもう、はいない。 新たな額縁の中で、美女は変わらぬ笑みを(たた)えていた。
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