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メデューサの首〜その2
緑色の額縁に入った肖像画は、若い女性のものだった。
描かれているのは肩から上で、妖艶な表情が観る者の心を惹きつける。
容姿から察するに、ひと昔前の日本女性のようだ。
「これって……中庭の展示ドームに飾られてる、アレ?」
クイーンが写真を手に呟く。
目には興味深そうな光が宿っている。
「そうだ。二か月前に大学の資材倉庫で偶然見つかったもので、先月から一般公開されている」
私はクイーンに顔を向けながら語った。
「作者不明。創作時期も不明……ただ見つかったのが初代総長の私物保管庫なので、彼が趣味で入手したものだろうと言われている」
「それは私も聞いた事があるわ。あまりに出来が良いので、生徒らの情操教育も兼ねて展示する事にしたって……」
私の説明を補足するように、クイーンが後を続ける。
「でもこれ、色々言われてるヤツだよね。絵を見続けると体調が悪くなるとか、不幸に見舞われるとか……」
ドイルが、声のトーンを落として囁く。
さすがに、ジョークを飛ばす気にはならないようだ。
私は卓上のパソコンを開くと、無言で操作した。
モニターに何かの文書が映し出される。
「一人目の被害者が出たのは二十日前だ。三回生の女子が絵を鑑賞中に、突然泡を吹いて倒れた。いわゆる、てんかん発作だ。その七日後に、二人目の被害者が出た。今度は二回生男子が、鑑賞中に喚き出して暴れたそうだ。転倒したはずみに後頭部を殴打したので、救急車を呼ぶ騒ぎとなった」
私は、絵画に関して調べた記録を淡々と読み上げた。
「そして三人目の発生が五日前……今度のは更に酷く、いきなり壁に頭部を打ち付け出したらしい。周りの者が止めた時は、血まみれで意識も無かった。一回生の女子だが、彼女は今も集中治療室の中だ」
説明し終えた私の目に、どんより沈んだ三人の顔が映る。
意識を失う──
喚き暴れる──
頭を壁に打ち付ける──
そのいずれも、絵を鑑賞している最中に起こったのだ。
それも、この三週間で三人……
「ちなみに被害者は三人とも、基礎疾患やここ最近の既往歴は無いそうだ」
「そんな事まで調べたの……さすがね」
「絵との関連性を疑う前に、知っておくべき情報だからな……そんなこんなで、最近になり【呪われた絵】だと噂されるようになった」
そう言って、私はクイーンの顔を眺めた。
「まさか、その呪いの謎を解こうなんて言い出さないよね」
ドイルが不安そうに尋ねる。
脳天気なわりには、意外と気が小さい。
「いや、オカルトに興味は無い。私が知りたいのは、絵を観た被害者たちがとった異常行動の理由だ」
「それ、呪いの謎を解くって言ってるのと同じだし」
私の返答に、すかさずクイーンがツッコむ。
「でもまあ……確かに、興味深い案件ではあるわね」
「やめようよ。壁に頭ぶつけたくないし……そ、それにホラ……僕ぁ、絵画アレルギーなんだ。すぐに気持ち悪くなる。絵画だけに、『えー』てな感じで……ハハ……ハ」
絵に興味を示すクイーンに、ドイルが訳の分からぬ反論を放つ。
室内が一気に静まり返る。
「だ、誰か、なんか言ってよ!」
真っ赤になったドイルが声を上げる。
「……分かった。ここは公正に多数決といこう」
咳払いを一つした後、私は口を開いた。
「テーマとする事に賛成の者は挙手を」
手を上げたのは私とクイーン。
「反対の者」
即座に手を上げるドイル。
「あとは?」
俯いてモジモジするクリスに、視線が集まる。
「どうする、クリス?」
「やだよな、クリちゃん!コワイよな!……なっ、なっ」
問いかける私の傍から、ドイルが必死に同意を求める。
「わ、わたし……」
少女の口から、か細い声が漏れる。
「クイーンさん……じで……す」
ほとんど聴き取れない。
「よし、決まったな。決行だ」
「いやいや、何言ったか分かんなかったし!」
したり顔の私に、ドイルが食い下がる。
「分からんのか?『クイーンさんと同じでいいです』と言ったんだ。つまり賛成って事だ」
「正確には『同じで結構です』って言ったんだけどね」
私の言葉尻をとって、クイーンが訂正する。
彼女は読唇術を特技としている。
クリスの僅かな口の動きを読み取ったのだろう。
「観念なさいな、ドイル」
笑いながらクイーンが励ます。
ガックリ肩を落としたドイルは、渋々頷いた。
「それで?一体何から始めるの?」
目を輝かすクイーンの顔を、私は真正面から見据えた。
「何はともあれ、観てみようじゃないか……その絵とやらを」
************
中庭に建てられたドームは、さほど大きくはない。
当初は学生の休憩所を目的としていたが、最近は大学の変遷資料や同好会の展示場所として使われている。
卵形の建屋に入ると、誰もいなかった。
クラシックのような曲が、小さく流れている。
閑散とした室内には、数個の丸テーブルと椅子以外何も無い。
「あれか」
私は他のものには目をくれず、壁の一角に歩み寄った。
そこには、一枚の絵が掛けられていた。
白い木目調の額縁の中から、美女が微笑みかける。
肩口に垣間見える黒いショール──
アップに束ねた髪には、彩色豊かな髪飾り──
そして、黒曜石の如き輝きを放つ黒い瞳──
噂の影響も否定できないが、確かに観ているだけで心を持っていかれそうになる。
「綺麗な人……」
珍しく、クリスがポツリと呟いた。
あれだけ嫌がっていたドイルも、今は食い入るように眺めている。
「なんだかんだ言って、やっぱり美人には目が無いんだ」
「い、いや……は、ハハ……」
クイーンのイヤミに、気まずそうに苦笑いするドイル。
私は一歩前に踏み出ると、絵に触れそうなほど顔を近付けた。
「ち、ちょっと、ポー!舐めたりしないでよ」
「舐めはしない。嗅いでたんだ」
慌てて引き止めるクイーンに、私はボソっと言った。
「この絵が異常行動の原因なら、何かの誘発因子があるはずだ。最も可能性が高いのは絵の具だ。揮発性の塗料に、神経に作用する何かが含まれているのかもしれない」
「なるほど、それで臭いを……って、それじゃアナタが危ないじゃない!」
「私が頭を打ち付け出したら、正解という訳だ」
「そんなコワイこと、よく無表情で言えるわね」
呆れ顔のクイーンを無視し、私は一通り臭いを嗅ぎ終えた。
特に異臭は無い。
「あまり変な事してると、呼び出されるわよ」
そう言って、クイーンは天井を指差した。
そこには、監視カメラが一つぶら下がっている。
その後、クリスは絵画の写真撮影を、他の三名は調度類や壁等ドーム内の調査を行なった。
その間、私に異変が無かったところを見ると、塗料の線はハズレのようだ。
「見たところ、特に気になる点は無いね」
ハンカチで汗を拭きながら、ドイルが呟く。
各自作業を終えた面々が、中央に集まる。
「あっ!?アレじゃない。例の絵って」
その時ふいに、二人の女子が入って来た。
手に携帯を持ち、キャッキャッとはしゃいでいる。
「とりあえず、一旦出ましょうか」
クイーンの提案に、私は頷いた。
退出時に振り向くと、今やって来た二人が絵をバックに撮影しているのが見えた。
「それにしても……あんな事があったのに、どうして絵を外さないんだろ」
ドームを出たと同時に、ドイルが首を傾げる。
「プライドだ」
私は抑揚の無い声で答えた。
「大学側は、呪いの噂など信じてはいない。だが今外してしまったら、あの絵との因果関係を認めた事になる。そんな事をすれば、学校の信用にかかわるからな。事故はあくまで、自己責任により起こった……それで押し通したいんだ」
「あくまで、体裁第一って訳ね……」
私の説明に、クイーンが吐き捨てるように返す。
ドイルはやれやれと肩をすくめ、クリスは黙って下を向いてしまった。
「きゃあぁぁぁっ!!」
突然、ドーム内から悲鳴が起こった。
私たちは顔を見合わすと、次の瞬間には駆け出した。
いの一番に飛び込んだ私の目に、口に手をあて立ちすくむ人物の姿が映る。
先ほど、入れ違った女子だ。
そしてその足元には、もう一人……
床に転がる女子の両眼は、くり抜かれたように血塗れだった。
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