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サイクロプスの眼〜その10
「これは二ヶ月程前──今回の事件が起こる前──に公開された『廃墟の謎を解け!』の動画です」
私の説明が終わると同時に、動画がスタートした。
風間、羽賀根、鮎川の三名が、懐中電灯の灯りだけを頼りに廃墟を探索する様子が映し出される。
先日、私が【異常心理学研究会】の研究室で、ひとり視聴していたものだ。
「実はこの動画を見終わった時、私はある違和感に囚われました」
動画の途中で、私はポツリと呟いた。
「……違和感?」
その言葉に、羽賀根が即座に反応する。
懐疑的な視線が、私と映像の間を何度も往復した。
「その時は、それが何かは分かりませんでした。そこで、別の日の動画も観てみました。とても慎重に、細心の注意力をもって……すると、ようやくその正体が掴めました……それは、これです」
動画がある場面に差し掛かった時、私は自ら再生を一時停止した。
それは三人が、廃墟の壁沿いに進んでいる場面だった。
探索者の姿は無く、這うようなライトの灯りだけが映っている。
「……これが、何だと言うんだ?」
訝しげな口調で、羽賀根が問いかける。
「この中でアナタたちは、個々に懐中電灯を持っています。暗闇の探索ですから、安全上、それは当たり前の事です。この映像でも、探索中は常に三つの灯りが交錯しています。念のため確認した他の動画も同様でした。ところが……」
私はそこで言葉を切ると、羽賀根の顔を覗き込んだ。
「あの事件の動画には、最後まで二つの灯りしか映っていませんでした。アナタと風間さんの持つ懐中電灯のものです。香澄さんの灯りは、どこにも見当たらなかった」
その意味深な言葉が、まるで魔法のように羽賀根の表情を一変させた。
顔色は蒼白となり、薄っすら開いた唇が小刻みに震え出す。
相当の衝撃を受けた事は、明らかだった。
「私は考えました。どうしてだろう?どうしてこの日に限って、鮎川さんは懐中電灯を持っていなかったんだろう。毎回、用意周到に装備して臨んでいるのに、なぜ?……そこで私は、多少強引に次のような仮説を立ててみました。あの日、あの廃工場を探索していたのは、アナタと風間さんだけだった……つまり、香澄さんは、あの場にはいなかったのではないか……と」
「何をバカな!あの動画には、ちゃんと香澄の声も入っていたじゃないか」
私の説明が終わらぬうちに、羽賀根が鬼の形相で吠え立てる。
「音声など、編集でいくらでも後付けできます。それが証拠に、あの時の香澄さんの台詞は、『ホントね』『怖いわ』といった相槌や感想ばかりです。アナタたちとのやり取りは一つも入っていない。あの動画を知っている者なら、メンバーが三人であるというのは周知の事柄です。たとえ本人の姿が映っていなくとも、声さえあれば探索時に三人いた事を疑う者はいない」
そう言って、私は大仰に両手を広げてみせた。
「馬鹿馬鹿しい!全くもって……馬鹿馬鹿しい」
聞く耳持たぬと言わんばかりに、一喝する羽賀根。
両肩を震わせ、同じ台詞を何度も繰り返す。
先ほどまでの余裕は、もはや微塵も感じられなかった。
ひとしきり罵声を浴びた後、私は続きを口にした。
「実は勝手ながら、ウチのメンバーにS大まで赴いてもらいました。鮎川香澄さんについて調べるためです……クイーン、報告を」
そのひと言に、羽賀根はギョッとしたように顔を上げた。
血走った眼で、私を睨みつける。
クイーンは頷くと、息を整え話し始めた。
「個人情報の問題があるので、大学に確認するのは避けました。その代わり、鮎川さんと同じ学部の方を尋ねてまわりました。幸い彼女と仲の良い方を見つけて、お話を聞く事ができました」
室内のピンと張られた空気を、クイーンの声が心地良く震わせる。
「その方の話しでは……鮎川さんは、先月から学校に来ていないという事でした。連絡も途絶えたままだそうです。その方も心配になり色々手を尽くしたところ、最近ようやく居場所が分かったそうです」
皆、固唾を呑んで彼女の話に聞き入る。
「それで、鮎川さんは一体どこにいたんだ?」
私は、クイーンの説明を後押しするかのように問いかけた。
「鮎川さんがいたのは……総合病院のベッドの上でした。事故で頭に大怪我を負ったらしく、今なお意識不明の状態が続いているとの事で……」
そこまで語り、クイーンは声を詰まらせた。
より生々しい容態を話すべきか、一瞬躊躇したようだ。
そして気を取り直すと、続きを話し始めた。
「『明日また、廃墟探索があるんだ』というのが、その方が鮎川さんと最後に交わした会話だそうです。そして、こっそり場所も教えてくれたと言ってました。その場所というのが……例の廃工場です」
室内に重苦しい空気が漂う。
クイーンの放った最後の言葉が、誰の胸中にも同じ推測を抱かせた。
鮎川香澄は、あの廃工場の探索で怪我を負ったに違いない……
もしそうなら、風間も羽賀根もその事実を知っていた事になる。
知っていて隠していたのだ。
風間や羽賀根の不審な態度の意味が、ようやく垣間見えた気がした。
「羽賀根さん……アナタは以前にもあの廃工場に行った事があると言われましたね。しかし、公開されている動画の中に、それは見当たりませんでした……鮎川さんが負傷したので、公開を控えたんじゃないですか?」
クイーンから視線を戻すと、私は羽賀根に問いかけた。
「そしてアナタは、二度も風間さんを負傷させようとした。それも鮎川さんの事故と関係しているんじゃないですか?」
矢継ぎ早に放たれる私の問いに、羽賀根の顔面が次第に紅潮し始める。
「アナタがあの廃工場に執着している点、二度とも同じ方法──天板を頭上に落下させる──をとった点から、私はこう推理しました。あそこで、鮎川さんも同じ目にあったのではないか……崩れ落ちた天板により、大怪我を負ったのではないか……そして、あの廃工場の探索を決めたのが、風間さんだったんじゃないか……と」
羽賀根の口からは、いまだ質問に対する答えは出てこない。
その代わり、心中の何かが今にも爆発しそうな顔をしていた。
「だから、アナタは風間さんを憎んだ。彼の決断が、結果的に鮎川さんの事故に繋がったと判断したんです。アナタの悔恨は、風間さんへの憎悪と形を変えた。そして、香澄さんと同じ目にあわせてやろうと思うようになった……つまり、今回の一件の動機は、アナタの逆恨みだったんです」
「違うっ!」
私の言葉尻をとり、突然羽賀根が叫んだ。
「アイツは、それくらいの罰を受けて当然なんだ!」
紅潮していた顔が、荒ぶる鬼面のごとき変貌を遂げる。
大きく吊り上がった眼は、狂気の輝きを放っていた。
「アイツが、あんな場所を選ばなければ……アイツさえいなければ……香澄は負傷などしなかったんだ」
自分の掌を見ながら、羽賀根は声を震わせた。
「……そうさ、僕がやったのさ……アイツに……風間に、香澄と同じ苦しみを味わわせるために……」
そこまで語ると、その不気味な眼光を今度は私の方に向けた。
「風間が意識不明となった今、僕の目的は達成した。全て、君の推察通りだよ……ただ一つを除いてはな」
その言葉と共に、羽賀根は怪しげな笑みを浮かべる。
私は黙って次の台詞を待った。
「香澄は、意識不明になどなってはいない。あの廃工場に行けば、いつでも私を待っていてくれるんだ。私の前に現れて、いつものように一緒に探索をし、いつものように気持ちを通じ合えるんだよ」
そう言って、宙空を見つめ、両手を差し上げる羽賀根。
その現実離れした台詞を聴いた途端、皆の背筋に冷たいものが走る。
彼の精神が常軌を逸した事は、誰の目にも明らかだった。
「アナタのその幻影……心の病が、風間さんへの憎悪をより増幅させたのですね」
私はそう呟くと、ゆっくりと歩を進めた。
羽賀根は即座に顔を上げ、恐ろしい形相で私を睨みつけた。
「違う!幻影なんかじゃない。香澄はいる……確かに、アソコにいるんだ!」
口から泡を飛ばしながら、喚き散らす。
真っ赤に染まった両眼は、もはや常人のものでは無かった。
私は足を止め、その顔を見下ろした。
「羽賀根さん、私にはアナタの心の動きが読めます。歪んだ心の闇が……それは、純粋で、醜悪で、独善的で、そして……」
そう呟き、私は皮肉な笑みを浮かべた。
そのまま腰を曲げ、羽賀根の眼を覗き込む。
「……超ぉぉ面白い!」
私の射るような氷の眼差しに、羽賀根は一気に戦意を喪失した。
椅子から崩れるように落下すると、両手で顔を覆い隠す。
「や、やめろ!……み、見るな!そんな眼で……」
肩を震わせながら、呻くように訴える羽賀根。
血の気の失せた唇が、指の間から垣間見える。
「いるんだ……香澄は……いるんだ……」
懸命に顔を隠しながら、羽賀根は繰り返した。
漏れ出る声色は、まるで老人のそれだった。
「は、羽賀根先輩……!?」
「どうして……こんな!?」
胸元を握りしめるクリスと、目を見開いたクイーンが、ほぼ同時に口を開く。
「レビー小体型認知症の典型だな……実物は初めて見たが」
私は、羽賀根を見つめたまま呟いた。
そう……
この事件の当初に抱いた精神疾患への疑念が、今回の異常行動の答えだったのである。
そしてその当事者は、風間ではなく羽賀根だったのだ。
全員の視線が、一斉に私に集まる。
私は腰を屈めたまま、静かな口調で語りかけた。
「羽賀根さん、戻りましょう……本当の香澄さんのいる場所へ」
その言葉に、羽賀根はハッとしたように顔を上げた。
そして次の瞬間、大粒の涙で頬を濡らした。
精密機器の並んだ室内に、掠れた嗚咽がいつまでも続いた。
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