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散歩道は、少女に全決定権があり勝手に決められた。
ちょうどこの踏切を中心として、円を描くようにグルっと一周して回るコースである。
道のりにして大体3kmぐらいといったところだろう。
なんとなく少女が、夜一晩中散歩するなんて言い出さないかひやひやしていたから、これには案外助かった。
「じゃあスタートね」
少女の言葉とともに、アパートを右に回って道なりを進み始めた。
始まったのはいいものの、名前も年齢も何もかも素性を知らない少女では、仮に職質された時が危ない。一応名前だけは聞いておく必要があった。
「一応さ、もし僕が職質された時君の名前知らないとかまずいから、名前だけ教えて。まぁ教えたくなかったら仮名でもいいから」
少女はこちらを向いて迷いなく、瑞葉月帆と答えて、お兄さんは?と返した。
多分、その名前は本名だろう。青島光とこちらも特に気にせず本名を言った。
道なりは遊歩道となり、今のところ誰ともまだすれ違ってはいない。
少女と歩くペースを合わせるには、こちらが大分気を使わなければならなかったため、横一線というよりかは、こちらが少し遅いぐらいのペースで歩いた。
「光さん、あのアパート住んでるんだよね。正直物件悪くない?」
それとなく少女は聞いてきた。
「いや、まぁ確かに悪い」
それとなくこちらも言った。
「例えば、どんなところが?」
「踏切があって通過する電車がうるさいところとか、隣との壁が薄い事とか」
「隣の人うるさいの?」
「まぁ大学生だからそれなりにうるさい」
「それってどういう意味で?」
「まぁ色々な意味で」
少女は眉を上げて、その表情は微笑を含んでいた。
「光さん、童貞?」
「なわけないだろ」
ふーんと、少女はすぐに興味がなくなったようにその話題をやめた。
実際のところ、本当は童貞なのだが見栄を張って嘘を言った。
「というか君みたいな少女が見ず知らずの大人の男に向かって、童貞かなんて聞くもんじゃないからな」
ついでに軽く説教もしてやった。少女の将来を案じての説教である。
つまんない人だなぁ、と少女はわざとらしく言った。
遊歩道は右に曲がりコンクリートで舗装された横道になったため、その道幅は狭くなった。
「ほんと今日って暑いよね」
少女はパタパタとTシャツを胸元で仰ぎながら、なんでこんなに暑いんだと思う?聞いてきた。
「なんでって、夏だからじゃないの」
それ答えになってないよ、と笑いながら茶化してきた。
「そういう君は、なんでだと思うの?」
どうせ答えられやしないだろうと、こちらもなんとなく聞き返してやった。
少女は、うーんと少し唸った後、すぐに言った。
「科学的なこと?それとも精神的なこと?」
少女に暑い理由を科学的に答えられると、こちらの立場がなくなるのを懸念して、よく分からないが精神的なことで、と言った。
「精神的なことでいったら、みんなが夏は暑いものって勝手に思い込んでいるからじゃないかな」
どういうこと?と意地悪に疑問感を前面に出して聞いた。
「実は夏って本当は暑くないんじゃない?ただ春夏秋冬4つの季節がある中で、暑さの時期って必要だってみんな思ってしまうから、だから暑いんじゃない?」
意外と真剣に少女が言うもんだから、なんだそれ、と言って笑ってみた。
光さんの答えよりはマシだよ、と言って少女も笑って見せた。
相変らずの蝉時雨が、隣の木々からずっと聞こえる。
さっき横を白のワイシャツを着たサラリーマンとすれ違ったが、特になにも不審がられることもなく通り過ぎた。
スマホで時間を確認するのも、なんだか少し億劫に感じてやめた。
「光さんはオカルト系とか、興味ある?」
次の話題に移った。
ないな、と言うと彼女はそっかぁと残念がった。
「興味ないって言っても、ナスカの地上絵とかは流石に知ってるでしょ?」
「知ってるよ。というかあれはオカルト系っていうか、歴史の分野でしょ」
「いや、あれはオカルト系だと思うんだよね」
さっきとは違うように、自然に、どういうこと?と聞いた。
「あの地上絵ってさ、当時の人達の技術であれを描くのは不可能らしくてさ、そうなってくると、あれは多分宇宙人が描いたんじゃないかっていう説があるんだよ」
何かのテレビ番組で、ナスカの地上絵は宇宙人によって描かれたなんてことは言っていたが、この世界の説明がつかない事象を超能力やら宇宙人やらのせいにするのは、別にナスカの地上絵に限った事ではない。
君はその宇宙人説を信じてるの?と聞いた。
少女は、いや信じてるっていうか、と前置きをした後、目だけどことなく空を見て答えた。
「ナスカの地上絵が本当に宇宙人によって描かれたとしたら、そっちの方がワクワクする」
「まあ確かにワクワクはするけど、結局人間が色々して頑張って描いたんじゃない?」
なんとなく茶々を入れてみたら、少女はまたこちらを見た。
やっぱり光さんはつまんない人だなぁと、今度は少し怒りながらわざとらしく言った。
現実主義者って呼んでよ、と言ったがどうやらそのツッコミは彼女の耳には聞こえてなかった。
コンクリートの道なりも抜け貧祖な住宅街に入れば、なんだかすれ違う人がポツンポツンと目立ってきた。
光さん、と彼女が言った。
ん?と人の目を気にしながら意識半分に答えた。
「光さん、レットイットビーのどこが好きなの?」
「どこってどこだろ」
人の目ばっか気にして、少女の話をあまり聞いていなかったら、ねぇ聞いてる?と言われた。
「人の目なんて別にいいじゃん。親戚のおじさんとかいくらでも言い様あるって。あ、付き合ってることでも私は構わないよ」
あのさあ、と言って続けようとしたところを少女は制止するかのように、で、どこが好き?と聞いた。
「まあ、レットイットビーは全部好きだよ。歌詞もメロディーも全部優しいじゃん」
「それだけの理由?」
少女は、まだあるでしょと言わんばかりにグイグイ聞いて煽ってきた。
それだけの理由じゃ悪い?と少しムキになって答えると、少女は、いやもっとあるかなと思って、と言った。
残業帰りだろうか、くたびれた表情で手提げバッグを持つサラリーマンの女性とすれ違うと、案の定訝るかのような目でこちらを一瞥したのを感じた。
…letitbe。好きな理由はまだあった。
だがそれを言うか迷っていて、ただ今まあ別に言ってもいいやという結論になった。
「レットイットビーはさ、随分前に死んだ僕の友達がしょっちゅうドライブの時流していたんだよね」
少女は、えッと驚いた顔をしてこちらを見た。
あどけなさが残る子供らしい驚き方に少し笑ってしまった。
「そんな驚くこと?」
「いや、そんな理由があったとか、なんかごめんなさい。」
意外と子供らしいとこあるじゃん、と言ってみると、少女は、まぁと頷いた。
「別に謝ることじゃないよ。まぁだから好きなのは単純に歌が好きなのと、その友達が好きだったからってことと半分半分くらいかな」
そうなんだ、と少女は言い急にしんみりし始めた。
「最後さ、自分ではあんまり意識してないけどアレンジしたじゃん。レディビーの最後のとこ。あれも友達が歌ってた時のアレンジなんだよね」
僕がこの場をしんみりさせないようにしていることをどうやら彼女も勘づいたみたいだった。
「あそこのアレンジがとても良かったけど、まさかパクリだったとは…」
「さっきから君は言い方が悪すぎる。パクリじゃなくて引継ぎね」
冗談めかして言うと彼女もククと笑った。
ポツンポツンとあった街頭も見えなくなり、住宅街を抜けそうなところでまた左に旋回した。
行きの遊歩道と似たような道だが、道幅はさっきより随分狭く、月明りがその道を照らしているといった具合だった。
互いに1メートル弱の距離まで近づきながら、残り800メートルぐらいといったところまできた。
少女は、さっきから何か言いたそうで決まりの悪そうな様子がした。
今日は暑い夜だ。熱中症なんかで倒れたら、もちろん彼女の命が危ないし、そしてなによりその場合、こちらが色々面倒なことに巻き込まれることはわかっていた。
「具合でも悪いか?大丈夫?休む?」
少女は首を横にふった。
無理は良くない、そこでいったん休もうかと言うと、少女は、違うのと言って続けた。
「さっき、光さんの友達は亡くなったって話したけどさ、そのさ…私の親も死んじゃったんだよね」
「…ああ、そうなんだ」
特に驚きもしなかった。
というのも、少女は踏切で自殺をするまで追い込まれていたなら、原因はその家庭環境にも何か問題があるだろうと思っていた。
だから散歩を提案された時も、あえて少女に、両親は大丈夫なのか?などといった質問はしなかった。
少女のカミングアウトは、驚きというよりもどこか納得感の方が強かった。
「でさ、親が死んでから今はこっから少し離れたところ、まあちょっと頑張れば歩ける距離だけどさ。そこで親戚の人と一緒に暮らしてるの」
なるほど、と相槌をうってみせた。特に否定も肯定もしてやらず、ただなるほどと言った。
「でも、その人たちといまいち上手くやれない」
「難しい家庭環境だな。何か嫌なことされたりするの?」
物の弾みで聞いてしまったことをすぐに後悔した。嫌な思い出があるかもしれない。
だが少女は別に平然と答えた。
「まぁたまにね。たまに。でもまぁ優しい方だと思う。」
少女は月明りに照らされて、その表情までは詳しくわからなかったが、なんとなく泣くのを我慢しているかのような、そんな感じだった。
「私中学3年生なんだけど、今みんな受験頑張ってるから私もそれなりにやってる。友達はみんな真面目っていうかいい子だから。不良行為も別にしないけど、ただなんか」
身体を左右に小刻みに揺らし、さらに吐き出したい事がありそうな少女は、口をもごつかせていたが、それを吐き出せば少女は壊れてしまうのではないか、といった不安感すらあった。
残り、300メートルぐらい。もう少し上手くやれないだろうか。
少女の様子は、本当に大切なものを失おうとしている姿に見えた。
本当に大切なものを失った後は、人は回復するのに多大な時間がいる。自分自身もそうだった。回復できないまま死んでいく人だっている。その手前、少女は踏切で自殺してしまおうとするエネルギーを今、含んでいる。
「うちってさ、クーラーないのよ」
少女は、え?という感じだった。
「あと、扇風機もない。」
だから?と言った少女の声は少し震えていた。
「だから部屋がめっちゃくちゃ暑い。今日みたいな暑苦しい夜なんて、全く眠れない」
「それが、どうしたの?」
「でも今日はよく眠れそう。わからないけど」
「意味がわからない」
「お互い頑張っていこうって意味」
どうやって頑張っていこうってことと繋がるの?と聞いた少女に、こぶしをグッと握りしめ軽くガッツポーズを見せてやった。
そうして気づけば、いつの間にかスタート地点に帰ってきていた。
ゴール、と言って少女はポンっとジャンプした。
ポケットからスマホを取りだし見れば、時刻は深夜1時だった。
意外とかかってたんだな、と思った。
光さん、と声がし振り返れば、少女は、今日はありがとうねと言ってペコリと頭を下げた。
「夜道、こっから帰れるの?」
「送っててくれる?」
聞き返された。
「まぁ別にもうここまできたら構わないよ」
「嘘、冗談」
少女は笑って言った。
じゃあ今日はありがとうねと、最後は意外にあっさりと少女はこの場を立ち去ろうとした。
踏切に向かう、後姿をなんとなく見送る。
踏切直前、ちょうど少女を下ろしてあげた場所ら辺で最後に振り返った。
「また、レットイットビー聞かせてね」
近所迷惑も関係ないかのような大きな声で少女は言った。
「今度は、踏切じゃなくて聞かせてあげよう」
負けないぐらいの声量で返した。
少女は、あどけない顔でクククっと笑って踏切を超えて走っていった。
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