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ドリームホープ
「おはようございます」
挨拶をしながら、事務所の扉を開ける。
事務所の中は、入り口を入って両脇に社長室と会議室。廊下を抜けると広いフロアになっており、3つのパーテンションで区切られている。
左からお客さんを応接するための椅子と机が置いてある応接エリア、中央に事務員とマネージャー用の業務机の置いてある業務エリア。右にテレビやソファーが置いてある休憩所兼、所属芸能人の待機エリアのような構造をしている。
「あ、西明寺さん、今日も集合時間10分前! さすがですね!」
業務エリアで私を笑顔で出迎えてくれたのは、今年入った新人の事務員――柳渚ちゃんだ。花が咲いたような笑顔は、女優顔負けの可愛らしい表情だ。思わずこちらも笑顔になってしまう。
「まぁ、これくらい当たり前よ。それより社長は?」
「社長なら、今北大路さんとお話してますよ」
「げっ!」
反射的に出たうめき声に、私は慌てて口を塞ぐ。
「(まさか、あいつまでいるとは……)」
北大路夜空。
腰まである黒髪に、少し切り目な漆黒の瞳。そして、女性なら誰もが羨む形の良い豊満な胸と引き締まった体。
彼女はこの事務所に所属する女優の1人で、私の同期。
それだけなら、ライバルって感じで良かったんだけど……彼女は色々訳あり人物だ。
まず、私と全く反りが合わない。
夜空は「何も考えずただ頑張るのはバカがすること。もっと頭を使ってのし上がらないとトップ女優にはなれない」というのが口癖だ。
それを体現するかのように、彼女は自身の体を使って大きな仕事をとってくる。
つまり……枕営業をしているのだ。
そんな営業の仕方は反則なのではと以前、夜空本人に言ったことがある。
『夜空! あんたこんなことしていいと思ってるの!?』
『これが私のやり方よ。文句あるの?』
『文句って……大アリよ! 反則じゃない!』
『反則? なら聞くけど、努力とかなんとか言ってがむしゃらにやってるあんたは今どんな役をやってるの?』
『っ!』
『私は、ただの女優じゃない。トップ女優になりたいの。そのためなら使えるものはなんだって使うわ』
『……』
『世の中、努力や頑張りなんて綺麗ごとだけじゃ夢なんて叶えられないのよ』
あの時、私は何も言い返せなかった。
確かに、物語の中心に近い人物の役ばかり回ってくる夜空に対して、私は台本の端っこに書いてある役しか回ってこない。
同じ時に芸能界に入ったはずなのに、実績は圧倒的に夜空の方が高くなっていた。
その差を彼女はズルをしているから。だけで片付けていいとは思えなかった。
夢は努力すれば必ず叶う。
その気持ちは今でも変わらない。
だから私は私の方法で夢を叶えてやる! と燃えたのは懐かしい記憶だ。
そのせいか、夜空と会うといつも売り言葉に買い言葉になってしまう。
「失礼しました~」
猫なで声と共にガチャッと社長室の扉が開いたかと思うと、夜空が顔を出す。
彼女は私を見て一瞬嫌そうな顔をしたが、瞬く間に表情を見下したような嫌な笑みへと変化させる。
「あらあらあら~。誰かと思ったら、万年脇枠の西明寺さんじゃない~」
「脇役って言うな!」
「私何か間違ったこと言ったかしら~? 言ってないわよね。この前出ていたドラマの役は……そうそう、知人Aだったじゃなったっけ?」
「グッ!」
「それに比べて私は、この前ヒロインをやらせてもらったわ。ほらこの差、おわかりになる?」
「わ、私だって……!」
ぎりっと奥歯を噛みしめると鼻で笑われた。
本当、癇に障る言い方だけはピカイチだ。
「あなたも顔はいちおうカワイイのだから、愛嬌とサービス精神で偉い人に接してみなさいよ。そうねぇ……いい人紹介してあげましょうか? 初な女優が好きな社長がいるのよ~」
「はぁ!? 絶対に嫌だ! 私はあんたみたいにズルをしなくても絶対に夢を叶えるんだから!」
鋭い目で睨みつけられ、私も夜空を睨む。
ここで目をそらしたら負けだ。
「馬鹿の一つ覚えのようにただ技術を磨いているだけで、どうにかなる世界じゃないのよ、ここは」
「そうだったとしても、私は必ず夢を叶える!」
「あらそう、ならせいぜい頑張りなさいよ」
ひらりと手を振った後、夜空は靴音を高く鳴らして事務所を去っていった。
今すぐ塩をまきたい気分だが、柳ちゃんがいるので手を強く握るだけでなんとか留めた。
「北大路さん、西明寺さんにだけは当たり強いですよね……」
「別に良いのよ。ムカつくからこそ、あいつには負けられないって思うし」
これは、嘘偽りのない本音だ。
そして必ず、夜空よりもすごい女優になるんだから!
「お、西明寺。もう来てたのか」
気怠げなスリッパの音と共に、社長室から出てきたのは背の高い男性だ。
一発で手入れを怠ってると分かる茶色の髪。何日前に切ったのかわからない伸ばしっぱなしの髭。整った顔立ちにはっきりと目立つ濃い隈。くたくたのスーツと似つかわしくないトイレのスリッパ。
「社長……また徹夜したんですか」
「そうなんだよ~。今ハマってるゲームの推しイベントを走っている途中でさ~!」
「あ~はいはい。そうなんですね」
私は、大きなため息を吐き出す。
このだらけた男が、巽紘汰。事務所の社長だ。
本当に社長かと思うかもしれないけど、良く言うとオン・オフがはっきりとしている人なのだ。
彼のオンの姿を見れるのは、主に来客対応時。
オフの姿は私達のような所属芸能人や親しい仕事仲間と会う時に見せることが多い。
曰く「オンの姿は疲れるから、あまり長くいたくない」そうだ。
「本当に社長なの?」と疑いたくなるほど、言葉遣いから何まですべて変わる。
元人気俳優の看板は伊達ではないと、最初社長のオンの姿を見た時に思ったのは懐かしい。
スマホゲームに熱中している社長に再度ため息を吐いた後、私はひょいと彼のスマホを取り上げる。
「あぁ! 今良いところなのに!」
「それよりも先に、私への用を済まして下さい。メール送ってきたでしょ」
「あ~そういえば、送ったなぁ」
社長はぽんと手を叩くと、にこりと笑みを浮かべながら一言。
「西明寺、ドラマヒロイン選出オーディションの案内が来たぞ」
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